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『何を言うのか?』よりも『誰が言うのか?』

肌がボロボロのビューティーアドバイザーが薦める化粧水や美容液を購入したいと思いますか?

借金だらけの人間主催による「簡単に金持ちになる方法」というセミナーに参加したいと思いますか?

「いや、その化粧水や美容液、まず自分に使えよ」
「いや、だったらその方法使って金持ちになってから出直して来いよ」

こう思いません?
私なら思います。

言葉がどんなに正論でも、筋道が立っている理論でも、その言葉を言う人間に『説得力』がなければ誰も耳を貸しません。

当たり前のようで案外忘れてるな……と、思う出来事がありましたので、備忘録として。



例えば、親子関係。

毎日イライラ不機嫌で、旦那の愚痴とか職場の愚痴とか言ってる母親の、
「勉強しなさい」とか、
「もっと頑張りなさい」とか、
「安定した仕事に就きなさい」とか、
ぶっちゃけ意味ありません。

だって、言ってる母親はイライラしているんです。
不機嫌なんです。
旦那や職場の愚痴を言いまくってるんです。
どう見ても不幸せなんです。

「勉強して、頑張って、安定した仕事について幸せになれるんだったらまずテメェがそれやれよ」
「勉強して、頑張って、安定した仕事についた結果がテメェのその顔(どう見ても不幸)ならやる意味ねぇじゃねぇか」
と、子供は思う。

だからやらない。
もしくは、「自分は絶対幸せになれないんだな。だってコイツの子供だから」と思う。

よく、
「私は苦しかった。だから子供は苦しませたくない」
というスタンスで子育てや教育をする母親がいます。

それ、全く意味がないです。
意味がないというか、説得力がないです。

子供を幸せにしたいなら、まず母親自身が幸せにならなければ、説得力がありません。

「子供の為に離婚を我慢する」とか、めちゃくちゃ意味がないです。
というか、結婚生活に苦しんでる母親の言葉には説得力がないんです。

仮に、説得力がない母親の言葉に子供が従っている場合、子供は苦しんでる不幸な母親に同情してる(=見下している)。

子供は、
自分を産んだ母親=自分自身
と認識している為、不幸な母親に同情すればする程、不幸な母親を見下せば見下す程、自己肯定感がガリゴリ削られる。


『何を言うのか?』
よりも
『誰が言うのか?』
が大切です。



例えば、不倫。

不倫は嘘をついたり隠し事をすることが大前提となる。
嘘をついたり隠し事をする人間の言葉には説得力がない。
誰も不倫した人間の言葉を信じなくなる。



今はインターネットの時代です。
顔を見なくても、経歴やプロフィールを知らなくても、会話をすることができます。

でも、説得力の無さは言葉(=文章)の端々に表れます。
貧乏なのに「この副業したら金持ちになれますよ」とか、ネット越しなら大丈夫だろうと考えているなら、甘いとしか言えない。



誰かを説得したいのであれば、先に説得力のある人間にならなければいけません。
誰かにアドバイスをしたいのであれば、先に「この人のアドバイスなら聞きたい」と思える人間にならなければいけません。



大切なのは『説得力』。

『何を言うのか?』
よりも
『誰が言うのか?』
が、大切。

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