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本質のヒント

週末は、娘のバイトの日。

大学で写真を学んでいる彼女は今、小さな貸写真スタジオで、機材の準備や受け付け、オーナーであるカメラマンさんのアシスタント等を担っている。

夕食の支度をしていると、今日はクライアントさんとランチを共にして、お仕事の話や自分の就活の話しなど束の間の交流した、と話してくれた。

大学卒業後の進路を真剣に考え始めている近頃は、随分迷うことも多いようだ。

そんな時、何か良いアドバイスなり励ましができないかと思うが「頑張って。あなたならできるよ。」などという下手な鼓舞よりも、幼かった頃の様子を話すようにしている。

生まれた時、彼女はとっても穏やかであった。

巡回する看護師さんに「赤ちゃんがあまり泣かないのですが」と心配になって聞くと「良いことじゃないでしょうか」と笑われた。

息子の時は、眠ってなんかいられないほどいつも大声で泣くから、赤ちゃんとはそういうものだと思っていた私は、娘の穏やかさにむしろ戸惑ったぐらいだ。

お兄ちゃんに手がかかり、いつも待たされていた彼女だが、お気に入りのガーゼタオルの端っこを口いっぱいに入れて、それに吸い付いていれば安心して、すやすやとよく眠ってくれた。

先日、自分には熱い想いのような何か執着が足りないのではないか、と珍しく自己否定を口にしていた。

しかし、それも彼女の大切な個性の一つである。

幼い頃、お兄ちゃんの嫉妬ゆえの意地悪を受けても、めそめそ泣いたりしないし、怒って相手を否定することも決してしない。

そんな様子を見て義母が「嫌なことは嫌だと言わなければいけないよ」と諭すけれど、「うん。ありがとう」とニコッと笑い、周囲の浮き沈みに影響を受けることはない。

ランチを共にしたクライアントさんが「なんだか内に秘めたものがありそうな感じがする」と言ってくれたそうで、「それは嬉しかったな」と照れながら話してくれた。

自分の良さは、なかなか自分では見えにくい。

無理に取り立てることもなく、至極当たり前にしていることに、自分の本質のヒントがきっと隠れている。

「誰かの役に立ちたいと思っている」と口にする娘は、生きることの喜びを既に知っているし、もし失敗したとしても、そこから学んで立ち上がる力は、もう十分に備わっているのだから。

充実した気持ちや多幸感は、本人の心の真ん中で捉えるものであって、それは何度も諦めずに自ら模索しなければ実感できない。

順番では親は先に死ぬのだし、他者の想像上の物語を生きるのではなく、自分の思う通りに動いてみるに限る。

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