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自分責め地獄を抜け出し、ありのままの自分で幸せに生きられるようになった私のストーリー

はじめまして!

自分の本音はいつも無視。
自己犠牲、自分責めの毎日で
自己肯定感は0どころか
マイナスだった日々から

やりたくない事を少しずつ手放し
本当はどうしたい?という
自分の心の声を
少しずつ拾えるようになり

今ではありのままの自分で
大好きな人たちに囲まれ
自由に楽しく理想通りの生きることが
できるようになった花井ゆきこです。


ここでは、本音に蓋をしすぎて
人の顔色をみることが当たり前で
仕事も恋愛も何もかもうまくいかなかった私が

押さえ込んでいた自分の本音に少しずつ気づき
自分らしく生きることを模索した結果、
ありのままの自分を心から大事だなと
思えるようになり人生が180度好転!

世界中の人たちが生きづらさから卒業できても
絶対に絶対にぜーーーったいに
私だけは卒業できない!!
となぜか心の底から信じていた過去の私が見たら
信じられなさすぎて倒れるんじゃないかと
思うくらいの人生逆転ストーリーを綴っていきます。

私の今のプロフィールを簡単に紹介すると


看護職としてコロナ関係部署に所属。
過酷な職場環境で疲弊していたが退社後や休日は副業でカウンセラーとして働く日々。
カウンセラー資格を取った後もまだまだ知識が足りないと休日もせっせと講座を受講するなど猛勉強。
いつももっと頑張らないとと自分を追い詰めていた。
⬇️
昨年7月についに本業を退職し心理カウンセラーとして独立!大好きな人たちだけに囲まれ、人間関係のストレスはゼロ!
毎日好きな時に起き好きな場所で仕事ができて最高に幸せ♡
周りは自分の好きなことで月7桁8桁稼いでいておまけにパートナーから溺愛されている美女がゴロゴロ




ミニマリストに憧れ6畳1K1口コンロのマンションに引っ越したのに、狭いキッチンで頭をぶつけながら何かに手が当たって床にこぼして、もおおおおって超イライラしながら3食手作り
⬇️
家賃2倍の理想通りの超築浅駅近マンションへ引っ越し好きな時に好きな料理やヨガをゆったり楽しむ最高に快適な生活


パートナーが欲しいと思いながらもなかなかいいなと思う人に出会えず出会えたと思ったら彼女持ちだったりでどうしたらいいのか悩んでいた。
好きってなに?恋愛てどうやるの?と完全に恋愛迷子状態
⬇️
婚活を始めたら初回デートで100%の男性から2回目デートに誘われ、2回目デートでお付き合いを申し込まれたり、初回デートでプロポーズまでされるというモテ無双♡




元々出っ歯だったのに10年前に転倒して顔面を強打。
片方だけ前歯が欠け両方の歯の長さが違う状態だった。
欠けた歯が恥ずかしすぎて嫌すぎて人前でますます笑えなくなってしまった。
コンプレックスを克服しようと思い切って矯正することにしたけれど今度はワイヤーまみれの口元が恥ずかしすぎて男性と会うのが怖かったし「婚活 矯正 モテない」とかで検索しては落ち込んでいた。
⬇️
歯科矯正している自分を大好きと思えるようになり、ごりごりワイヤー&口の中がゴムだらけでも大きな口で爆笑できるように。もはやゴムをしてる私もかわいいと言ってもらえる(言わせてるともいう笑)


(お見苦しくてすみません😅)



買っても買っても似合う服がわからずクローゼットを開ける度に超絶イライラ&センスのなさに絶望する毎日
⬇️
イメージコンサルの方についていただいてめちゃくちゃ素敵な似合う服だけがクローゼットにかかっている♡そしてその服を着て出かけるとどこへ行ってもめちゃくちゃおしゃれ!と褒められる




カウンセリングで母へのわだかまりがとけたものの、たまに会うとイライラすること山の如し
⬇️
母の深い愛情に気づき心の底から感謝できるようになった。実はこう思ってたという深い話もするようになり思いがけず母と価値観が似ていることに気づいたり、過去嫌だなと思っていた母の言動や行動も全部愛だったんだと頭ではなく腹落ちし、今まで愛してくれてたのに分かってなくてごめんねという気持ちになった。




約束していた予定を変更するときに「こんなこと言ったら悪いかな、嫌な気持ちにさせちゃうかな」など遠慮して言いだせず結局もやもやしながら人と会うことがあった。
⬇️
困った時には聞き合いや相談ができるようになり、心から楽しんで人と会えるようになった。周囲の人からは「一緒にいるだけで自己肯定感があがるし自分のことが大好きになれる✨」「自然と相手の心に寄り添って話を聞いてくれる本当に魅力的な人✨」と言ってもらえるように



お金が減ることが怖かったし嫌だった。
⬇️
お金に対する価値観が変わった。これ受けたい!ほしい!やりたい!ていうものにはためらいなくスイスイ使えるようになった。今は心からほしい!と思ったものをためらわずに買うのが当たり前になり、ずっと行ってみたかった世界遺産に行くなど、金額ではなく自分の心が喜ぶ方を選択するようになった



今でこそ、外見も内面も変わりそして仕事や
人間関係を含む自分を取り囲む環境全てが
様変わりして、大好きな人と大好きな場所で
毎日を心地よく楽しく
心から幸せを感じながら生きている私ですが

実はこんなふうな思っても見なかった
理想の人生を歩めるようになったのは
ごくごく最近のこと。


「うそでしょ??」
「本当に信じられない!!」


と人からは言われますが

実は数年前までは重度の対人緊張症。
スーパーの店員さんとも
まともに目も合わせられなかったんです。

本当に生きづらくて生きづらくて

なんで私はこんなにダメなんだろう
なんで私はみんなみたいに普通に生きれないんだろう

とずっと自分責め地獄の毎日を過ごしていました。

そんな私が
・どうやって40年の自分責め地獄を抜け出したのか
そしてそこからさらに
・どうやって理想の人生を送れるようになったのか
について書いてみようと思います。
少し長くなりますがよかったらお付き合いくださいね。



1.仮面をかぶった子ども時代

サラリーマンの父と専業主婦の母、二人の妹の五人家族。

子どもの私が言うのもなんですが、
日活のスターかなってくらい
超絶イケメンな父と

どこのアイドル?ってくらい
超絶美人の母との間に産まれました。


が、しかし残念ながら
どこがどうなってそうなったん!ってくらい
超ぶーちゃんな
むちんむちんな3600グラム超女子として
誕生しました。


あまりにもでかすぎて、
同い年の子のあまりのお尻の小ささに衝撃を受けたと
言われたことがあります笑

自分ではあまり幼い時の記憶ってないのですが、
祖母は「おしんみたいな子だったよ」
とよく言っていました。

どう言う意味?って聞いたことはないけど
健気でおとなしい子だったってことなのかな。
確かに妹二人の面倒はよくみていた記憶はあります。

そんな私が一番最初に人と自分の違いを明確に感じたのが
幼稚園の年長組のときでした。

友達と水道で手を洗っていたときに、

「なんで私はこんなに友達と比べて声が低いんだろう。変なの。嫌だな」

そう感じたことをはっきり覚えています。

思い起こせば、自分は人より劣っていると
感じ始めた最初はこの時だった気がします。

ちょうどこの頃、一番下の妹が産まれました。

新居の完成、引越し、妹の出産、私の小学校入学
実家が遠方につき完全ワンオペ育児。

今思えば母はめちゃくちゃ
大変な状況だったと思います。

そうじゃなかった時ももちろんあったと思うけど、
余裕がなくてイライラしていて

想定外の時に怒られたり
怒鳴られたりすることが多かったように
思います。

そういうことが続いたからか、
私は少しずつ少しずつ母の顔色を見るようになって
いきました。

怒られないように。怒らさないように。

いつのまにか内心ビクビクしているということが
多くなっていきました。

でも、お母さんのことは大好きだったんでしょう。

お母さんに褒められたい。
そんな気持ちからなのか記憶にはないですが

赤ちゃんのお世話をしたり
家事のお手伝いをしたりしていたようで
当時の作文にもその時のエピソードがが
残っていましたました。

まじめでがんばりやさんで
周囲の顔色ばかりみていた私ですが
いつもひょうきんなことを言っては
周りを笑わせたりする一面もありました。

親も通信簿の中の
「親から見た子ども」の欄のところに
「明るくて外交的で積極的な子」
と書いていました。

でもそれをみたときは、

私のことそんな風に思ってるんだ。
私ってそんな風に見えてるんだ。

と、とてもびっくりしたことを覚えています。

本当は

自分が大大大嫌いで
人の顔色ばかり見ていて
劣等感の塊で
いつも何かにビクビク怯えていて
全く自信なんてない

のに。

でも気づかれないように、

明るくて、面倒見の良い、自分の意見を伝えることもない、
「素直でいい子の長女」を演じていたように思います。


だけど、本当の自分をずっと隠し続けていた私はだんだんと

自分は
何が好きで何が嫌いか
何を感じて
どんな事を考えているのか

分からなくなっていきました。


2.暗黒の学生時代

自信がなさすぎた中高生時代に撮った写真は、
顔を隠したり下を向いたり視線を逸らしたものばかり。

明るい自分を演じながらも、
弱い自分、偽っている自分を
人に知られたくなくて

自分の意見を言ったり、
自分のことを話したりすることが
とても苦手でした。

その時は自分が
心を保って生きていくのにいっぱいいっぱいで、
相手の気持ちになって考えるとか、
客観的に物事を見るということが
できませんでした。

「ヘラヘラしてて何を考えてるかわからない」

そんな私は中学時代はいじめの標的に。
クラス全員から無視をされ、
その時唯一信じてた友人にも
手のひらを返されるという経験もしました。

過敏性腸症候群になったり
くしゃみをすることが
恥ずかしくてできなくなったり
過呼吸になったり

過敏性腸症候群で
腹痛に見舞われて病院に運ばれた時は
カーテン越しにお医者さんが

「お母さん、だいぶストレスがかかってるみたいだからリラックスできるようにしてあげて」

って母に話しているのが
聞こえたことを覚えています。


今思うと身体もたくさん悲鳴を上げていました。
でもその時は、心が原因だとは思ってもいなかった。

その後も

・人と話すだけで緊張し体がカチカチに固まり汗をかく
・雑談ができない
・しんどくていっぱいいっぱいなのにまだできるはず、と自分を追い込む
・人のことが気になって集中できず失敗ばかり
・何を考えているか分からないと人にイライラされる
・彼氏ができても嫌われることが怖く本音が言えない。もう好きじゃないのに別れる勇気もなくずるずる付き合う
・容姿に自信がなくおしゃれに無頓着。化粧をするどころか鏡を見ることも嫌

という状況は続きました。

看護大学に入ったものの、
私の中には看護師になるという選択肢は
驚くべきことにありませんでした。

そもそも、看護大学への進学も、
1浪したものの国立大学への合格が叶わず
そこしか行くところがなかったから。
看護師がどんな仕事をするのかすら
わかっていなかったんです。

みんな看護師になる夢を持って入学してきた中、
私は、毎日毎日やめることしか考えていませんでした。

友達に代返を頼み授業をさぼる日々。

嫌すぎる
何もかもが嫌すぎる
逃げたい
辞めたい

今考えるとその時は先生や実習先、
いろんな人に迷惑をかけていたなと思います。
初めての一人暮らしを心配してか、
両親は時々顔を見に来てくれたり
ダンボールいっぱいの食材を送ってくれたりしてくえれましたが、
当時の私は感謝することすらありませんでした。

お天気の良い日に授業をさぼっても、
対人緊張症なのでアルバイトをするのも怖く
自宅に引きこもってテレビを見ていました。

学校には行きたくない。
でもやりたいこともない。

人とうまく接することができなくて
いつも緊張していて
とにかく

苦しい
しんどい
情けない
辛い

が心の中にグルグル
渦巻いている状態でした。

ハタチそこそこの同級生たちは、
夢いっぱいで、恋もして、
旅行にバイトに忙しくキラキラしていて
みんな楽しそうに見えました。

私も頑張って、アルバイトはやってみたんです。
初めてのアルバイトは、
百貨店の友の会での受付でした。

人が苦手なのになぜか接客の仕事を選択笑
案の定、オドオドモタモタしていたので
お客さんに怒鳴られることに。

今は、そんな若いアルバイト女子を怒鳴るなんて
大人げないじいちゃんだなーと思うんですが、

その時は立ち直れないほど大きなショックを受け、
大泣きしました。

なんで私はダメなんだろう
なんで普通に人と話せないんだろう


いつもいつも
劣等感しかありませんでした。

本当なら若くて元気いっぱいで、
色んなことにたくさんチャレンジできたはずの
10代20代を、

私は自己否定と
自己嫌悪にまみれて鬱々と過ごしていました。


3.強烈な恋愛依存

そんな劣等感の塊だった私でしたが、
21歳の時に5つ年上の医学生の彼氏ができました。

優しくて真面目で
私にないものをたくさん持っている
そんな彼氏のことが大好きでした。

ただ、付き合いはじめこそ
順風満帆だった交際でしたが、

もともと劣等感の塊でしかなかった私は、
だんだんと彼氏にいつか嫌われるんじゃないかという
不安に悩まされるようになりました。

「こんなダメな私のことなんて嫌いになるにちがいない」
「でも嫌われたくない!捨てられたくない!」

嫌われたくないという焦りと
嫌われるかもしれないという
とてつもない恐怖から

ちょっとでも連絡がつかないと、
もうこの世の終わりかというくらい
壮絶な絶望感に襲われ、
連絡がつくまで鬼電をしたり彼の友達にまで電話したり。

そんなことしたら嫌われちゃうって
頭では思うのにやめられなかった。

あまりにもしんどくて一度、
友達に聞いたことがあるんですよね。

「私、彼氏にいつ嫌われるんだろうって
思っちゃうんだけど、○○ちゃんはそんなこと思わない?」って。

そしたら、すごく不思議そうな顔で
「えーそんなこと一回も考えたことない」
とあっけらかんと答えたんです。

衝撃でした。

頭の中どうなってるんだろうと思いました。

なんでそんなに自分に自信があるの?
どうやったらそんなふうに考えられるの?

すごくすごくその子がうらやましかった。

彼が就職して遠距離になるとますます不安は大きくなりました。

「都会の素敵な人に言い寄られてたらどうしよう」
「私のことなんて好きじゃなくなったんじゃないか」

せっかく久しぶりに会えても思うことがあっても
言いたいことがあってもぐっと飲み込んで、
嫌われないように彼の顔色を伺っている、
毎回そんなデートでした。

好きだから一緒にいたい
ではなく
どうしても絶対に嫌われたくない

そんな一心でした。
必死でした。

一番綺麗で何にでもチャレンジできる
エネルギー溢れる20代。

そんなキラキラな時期を
私は彼から捨てられないことだけを考え
彼にすがって執着して
苦しい日々を送っていました。

顔は笑ってても
心の中はぐるぐると黒い渦が
巻いているみたいでした。

一方、彼は彼でそんな重い私との結婚を迷いつつも
長年付き合ったけじめを
つけないといけないと思っていたようで

ある日、

「結婚しようか」

とプロポーズをしてくれます。

やったーーー!!!
やっと結婚できるーーー!!!

そう思った次に訪れたのは、

「本当にこの人と結婚していいのかな・・・」
という強烈な不安感。

そう。
結婚が決まったのに。
普通なら最高に幸せなはずなのに。

また新たな不安フェーズに入ってしまったんです。

本音では自分自身が幸せじゃないことが
わかっていたのでしょう。
彼の前でいる私は本当の私じゃないって
本音ではわかっていたんでしょう。

「本当に結婚する?いや、引き返したい…
でもそんな怖いことできない…親にもいえない…」

毎日毎日毎日
ぐるぐるぐるぐる
考えても考えても答えは出ませんでした。
もう最終的に食事もあまりとれなくなり
ちょっとした鬱状態になりました。

でも、嫁ぐ日はあっという間にやってきました。

飛行場まで見送りに来てくれた
両親や友人に手を振りながら、

これでいいのかな。
これでいいんだ。

そう思いながら私は関東へと旅立ちました。
そうして25歳の時、
学生時代から5年間付き合った彼氏と
結婚したんです。


4.私幸せになりたい!!!

3LDKの日当たりの良い都会のマンションで
新婚生活を始めた私たち。

都会の暮らしは楽しくて、
専業主婦友達もでき
家事をしたり趣味を楽しんだり

ぱっと見は
「素敵な奥さん」だったように思います。

でも、結婚してもなお、
私は旦那さんといると
どこか緊張してしまっていたんです。

今思うと、
本当の自分を知られたら嫌われるのでは
捨てられるのでは
という恐怖が拭えなかったのだと思います。

本当の自分を好きになってもらいたい
本当の自分を出して生きたいって思ってるのに

一方では、本当の自分を出したら
人を不快にさせてしまうという
幼い頃からの考え方が無意識のうちに働いて
旦那さんにすら
本当の自分を晒すことができませんでした。

そして対人緊張症で働くことから逃げていた私は
働きに出ることも怖すぎてパートや派遣で仕事をすることが精一杯でした。

旦那さんは旦那さんで、
毎日夜遅くまで慣れない激務をこなす毎日。

休日も仕事に行くか自宅で勉強。
とにかく仕事になれるために
身を粉にして
必死に頑張っていました。

一方私は朝早く旦那さんを送り出して、
夜中に旦那さんが帰ってくるまで
家事をする以外は働くこともなく
かと言って何か打ち込む趣味もなく

朝ご飯とお弁当を作って
いってらっしゃいと送り出した後は
お風呂を沸かして
晩ご飯を作ってお帰りなさいと
旦那さんを迎えるような
生活。

でも、一見平和に見えた私たちですが
時折喧嘩をするようになります。

売り言葉に買い言葉、
だったけれど

傷つくような言葉を言われるたびに
私はそれを真に受けて

そっかー私ダメなやつなんだ
あたまがからっぽなんだ
愛がない人間なんだ


と思うようになり、
ますます自分に自信をなくしていきました。

でも、そうはいっても
旦那さんはきちんと仕事をしてくれて、
私は専業主婦をさせてもらえて、
休みの日にはお出かけしたり
時には旦那さんが家事をしてくれたり。

一般的に見たら十分幸せなはずでした。


でも心から幸せって思えない
そんな私はおかしいんだ


旦那さんともうまくいかない
自分のことが嫌い
いつも自信がない
幸せなはずなのに幸せじゃない

もうそんな状況が心底嫌になりました。

でも重度の対人緊張症で
まともに働いたことすらなかった私は

旦那さんと離婚するなんて
怖すぎて絶対に無理だと思っていました。

このままじゃだめだ
でも離婚なんてできない
でも幸せって思えない
幸せって思えない私がおかしいんだ

っていう無限ループのまま
気がつけば結婚生活は
10年を迎えました。

なんとか今の状況を変えたい!!!
自分を変えたい!!!

そう思った私は、手当たり次第に調べまくり

・様々なカウンセラーのもとでカウンセリングを受ける
・アサーショントレーニングなどコミュニケーショントレーニングを受ける
・自治体の女性相談窓口を訪ねる
・自己啓発本やブログを読み漁る
・あえて苦手な接客業につく
・占いが当たると聞けば片道数時間かけてどこまででも行く

などなどやれることは全てやってみました。

カウンセリングは、
夫婦関係専門の人のところにも行ってみました。
多分そこで受けたセッションが
人生初めてのカウンセリングだったのですが、

そこでは「ミニスカートを履いてごらん。夫婦はそれでうまくいくよ」
というアドバイスをいただきました。
カウンセリングってこんななの?
とびっくりしたのと
ショックを受けたことを覚えています。

極め付けはネットで見つけた
認知行動療法をやっている方の
カウンセリング。

私、実はこのカウンセラーさんの元で
なんと足掛け10年も
カウンセリングを受けたんです。

認知行動療法は、
出来事を客観的にみて、
自分をしんどくさせている思い込みに
気付いていく

というきちんとした心理療法です。
なので、これで変われない訳が無い!って
思ったんですよね。

やっと出会えた!
やっと楽になれる!
これで私は変われるんだ!

藁にもすがる思いでした。

嬉しくてセッションのたびに
一生懸命課題をやり、
一生懸命自分と向き合い続けました。


5.カウンセラーに見捨てられる


これで私やっと変われるんだ!!!

そう思ったカウンセリングでしたが…

何回課題をこなしても
何度セッションを受けても
どうしてもうまくいきませんでした。

そのカウンセラーさんのやり方は

一つの出来事を相手の立場でみてみたり、
俯瞰で見てみたり
過去に遡って見てみたり

と言うやり方だったのですが
私は

どうしてもその中の

子供の目線で出来事を
捉えていないか?

というチェックのところで、
いつも引っかかってしまったんです。

例えば、
誰かに無視されたと言う出来事があったとすると、

大人の目で見たら
「あの人大人気ないなー」
って思える出来事だけど

子どもの目で見てるから
「あの人に無視されたら
生きていけない、だから怖い悲しい」

になっちゃうよね
だからその間違った思い込みを外そうね
っていうものなのですが。

今ならそうだねー
確かに思い込みだねって思えるのだけど

当時は本当に意味がわからなかったんですよね。
頭では子どもの目で見ることは間違えてる
大人の目で捉えなおせばいいって。

でも
どうしてもどうしてもどうしても
腑に落とせなかった。

そう。
私はアダルトチルドレンだったんです。

カウンセラーになった今冷静に考えてみたら

なぜ子供の目線で見てしまうのか
そこに
しんどくなるポイントがあったんです。


でも
そこにフォーカスするカウンセリングだったため

私は何度も何度も子どもの目でみてしまう、
のところでつまづきました。

そんな私に業を煮やしたカウンセラーさんは
ついにある日、ブチ切れました。

あなた今途上国とかに行ったら
人が怖いなんていってられませんよ!
人が怖いって思えるって幸せな事なんですよ!
あなた甘えてるんですよ!
みんなできてるんですよ!!!!
できないなんてあなたおかしいですよ!!!!


クライエントさんが自分の思い通りにならなくて
腹を立てる。

この方のカウンセラーとしてのレベルが、
カウンセラーになった
今の私ならわかります。

でも、その時は理論に裏打ちされた
認知行動療法で

私の生きづらさが治らない訳がないと
思っていました。
この先生のところで治らなかったら
一生治らない。
そう本気で信じていた私は、先生の発言を聞いた時

あー、おわった。

と思いました。


これだけやってダメってことは
私はほんとうにダメな人間なんだな。

もう死んでしまいたいくらい
自分の人生から逃げたかった。

ちょうどその頃、
夫が突然出ていってしまうという
できごとがありました。

もう本当に人生が嫌だった。
もう自分が心底嫌だった。

なんで私はいつもうまくいかないの?
なんで?

絶望感しかなく
何度泣いたか分かりません。

そんなときに偶然、
ひとりの女性カウンセラーさんと
出会ったんです。


6.ようやく見えた生きづらさトンネルの出口


そのカウンセラーさんは
たまたまFacebookを見ていた時に
見つけました。

なんだか優しそう、
安心できそう、
そんな印象を受けました。

でもまた変われないんじゃないかっていう
怖さもあり
カウンセリングを
受けることを躊躇う自分もいました。

でも、もうここでだめなら
人生本当に諦めよう。

そう思って思い切って
受けてみることにしました。

そのカウンセラーさんのカウンセリングは、
前のカウンセラーさんと違って、

私自身が話したいことを
自由に話すことができる
カウンセリングでした。

話したかったら話してもいいし、
話したくなかったら話さなくてもいいよ。

そんなふうに
どんな私も
ありのまま受け止めてくれました。

毎回毎回、
その時思ったことをただひたすらに話していく
カウンセリング。

でも半年経っても楽にはなった感覚は
ありませんでした。

結局、私は変われないのか・・・
またか・・・

そうやって諦めようとしたけれど、
でももう一回だけ、もう一回だけやってみよう。

そして、継続カウンセリングを
再びお願いしました。

もう絶対に変わりたい
こんな自分はいやだ!!

思ったことを話しながら、
時々カウンセラーさんの質問に答えていきながら
そんなやりとりを何度か続けていくうちに、
いつのまにか私は何十年も
心の奥の奥の奥に押さえ続けてきた
自分の本当に気持ちに
気づきはじめたんです。

それまでは、

何一つ不自由のない暮らしをさせてもらってきて
幸せな家庭に育ってきたのに
大切に育ててもらってきたのに
生きづらいなんて私ってなんて甘えた最低なやつなんだ

そうやって思ってきたけれど、

カウンセリングを重ねる中で出てきたのは

まさかの母への憎しみでした。


あんなことされたくなかった!!
あんなこと言って欲しくなかった!!
もっと優しくして欲しかった!!
あんたのせいで私の人生むちゃくちゃだわ!!
あんたのせいだ!!
あんたのせいだ!!!!!

そんな母親への気持ちを
カウンセラーさんに泣きながらぶつけた時から
私の人生がほんの少し変わり始めました。

でも、同時に
愛情たっぷりに育ててくれた母を憎むの?
人のせいにするの?

というとてつもない罪悪感に
苛まれました。

そして
自分の本音に気づいて、
本音を親代わりのカウンセラーさんにぶつけると
今度は不思議なことに
時々小さかった自分のことを
思い出すようになったんです。

そのとき
なぜそうしたかはわからないけれど

どうしたの?
と話しかけてみたんです。

そしたら、
突然マグマが噴き出すように
感情が溢れてきました。

そっか
悲しかったね
寂しかったね
辛かったね
甘えたかったよね
こうして欲しかったよね
ああして欲しかったよね

あとからあとから
小さなゆきちゃんから出てくる言葉を聞きながら

気づいたらこんな言葉を
かけていました。

わんわん泣きました。
大声をあげて泣きました。

本当に不思議なのだけど
そんな出来事がその後も何度かあり、
私はその度に小さいゆきちゃんの
小さな声を聞いてあげて
時には一緒に泣いたり
優しく寄り添うということを繰り返しました。

すると、静かに霧が晴れるように
少しずつ少しずつ
考え方が変わってきました。

全く意識してなかった出来事だったけれど
その時に私の中のインナーチャイルドが癒されて
いたのだと思います。


それ以降、

・ショックな出来事があるとグルグルドロドロ沼から抜け出せなかったのに
グルグルしても立ち直りが前より早くなったり

・自分なんてだめだだめだと責めまくっていたのに、責めそうになると
また責めそうになってるって気づけるようになったり

・離婚しても一人では生きていけないと思っていたけど
自分一人の力でやってみようって思えるようになったり

そうやって、
だんだんと自分自身のことを
大切に思えるようになったり

ネガティブ思考から抜け出せるようになっていき、
それに伴って
どんどん行動も変わっていきました。

そして私はやっと40年間苦しめられた
生きづらさから解放されることになりました。

自分自身を大切にできるようになると、
あんなに憎んでいた夫への見方も
自然と変わってきました。

それと同時に夫の態度も変わってきて、
初めて落ち着いて話合いができるようになりました。

最終的には、お別れをすることになりましたが、
たくさんの経験をさせてくれた夫には
今でも本当に感謝しています。


7.やっと抜けたと思ったトンネルが再び…

人生が変わるきっかけになった
女性カウンセラーさんと出会ったことで、

私はそれまで考えてもみなかった
「このカウンセラーさんみたいな
カウンセラーになりたい」
という思いを抱くようになりました。

その女性カウンセラーさんが
産業カウンセラーという資格を
持っているということを知った私は

同じ産業カウンセラーの資格を取ろうと決め
カウンセラー養成講座に入りました。

休日は朝から晩までみっちり缶詰で講座を受け、
1年間カウンセラーとしての知識と技術を叩き込まれ、

晴れて産業カウンセラー試験に一発合格。
晴れてカウンセラーデビュー。
カウンセリングスキルは養成講座時代から
同期や先生にも褒められることが多く

なんと憧れだった女性カウンセラーさんも
スキルを認めてくださり
クライエントさんを紹介していただくことも
ありました。

人生に絶望し
藁をもすがる思いでクライエントとして
カウンセリングをうけたのに
そのカウンセラーさんから
カウンセリング技術を認めてもらえる日が
くるだなんて。

その時は涙が出るくらい嬉しかったことを
覚えています。

その後
2020年に心理カウンセラーとして起業。

カウンセラーの資格を取ってからは
本業の看護職をフルタイムでこなしつつ、
終業後や休日は上級クラスで
カウンセリング技術を勉強したり実際にカウンセリングをしたりと

心理カウンセラーとして活動を始めました。

折しもコロナ真っ只中。

本業ではコロナ担当部署で
看護職として働いていたため
過酷を極める仕事で疲弊した同僚たちは
次々にメンタル休職していきました。

越えても越えても
次々に襲ってくるコロナの波。

張り詰めた緊張感でずっと心が休まらず、
かといって友達や親と
会うことも許されない状況。

私なんてみんなに比べたら
しんどくもなんともない仕事だから
弱音吐くなんてとんでもない!

と、
私はまたしても自分の心に蓋をする癖が
知らず知らずのうちに表れ、

少しずつ少しずつ
自分は何が好きで何が嫌いで、
やりたいことってなんだっけ?

そもそもあったっけ?
と自分の本音が分からなくなっていきました。


つかれた…

ある時、気持ちを整理しようと
ノートに気持ちを書き殴ってみたら

しんどいしんどいしんどい・・・

と何十回も書いている自分がいました。

その時点で本当は
相当限界が来ていたのだと思います。

本業と副業で働きへとへとだったのに、
その上真面目な私は
三食自炊をし家事も頑張っていました。

野菜をたくさん取らなきゃ!
栄養バランスちゃんとしなきゃ!
と1口コンロの使い勝手の悪すぎるキッチンで
あちこち頭をぶつけながら、
時には手が当たってお鍋をひっくり返し発狂しそうになりながら笑、
頑張って料理をしていました。

もーーーーー!!カウンセラーも疲れた!
フルタイムの仕事も家事も疲れた!
狭い家もいやすぎる!
もう色々疲れた!!
もうやだ!!!

そんな私の唯一の楽しみは
ネットサーフィンでした。

特にとある婚活コンサルの方のブログが
お気に入りで
よく見ていたんですよね。

その方は仕事で何千万も稼ぎ、
旦那さんからは溺愛され、
可愛いお子さん
ラグジュアリーなレストランでの食事
エルメスのバーキンや豪邸
高級車など

欲しいものを全部手にしていました。

何でこの人はこんなに理想が叶ってるんだろう?
どうしたらこの人みたいになれるんだろう?

ってずっと不思議で仕方なかった。

そんなある日、
その方のブログをいつものように眺めていると

「私のメンターである小田切あさぎさんが無料ライブをされます!」
と書いてあったんです。

え?小田切あさぎさんて…
あの小田切あさぎさん????!

うそだうそだうそだーーー!!!!

私は小田切あさぎさんの事を
何年も前からなぜか知っていました。

何か面白いけどとにかくお下品な人
むちゃくちゃしてる人
子育ての手を抜いてる人

そんなイメージでした。
(あさぎさんごめんなさい笑)

そんな人が私の憧れの人のメンターだなんて
本当に信じられなかった。
ていうか信じたくなかった。

でも、憧れの人のメンターなんだよね…?

と少しずつ気になっている自分もいました。

無料ライブ、見てみようかな。
そう思って、
チラ見する気持ちで無料ライブを見てみたんです。

そしてもっというと
マインド講座だから
心理カウンセリングの仕事に活かせそうかなって
思って

興味津々だったというのが
ライブをみてみようとおもった
一番大きな理由だったかもしれません。

ただ
気がついたら夢中でライブを見ている自分がいて、
気づいたらあさぎさんが主催されている魅力覚醒講座に
申し込んでいました。

あれから2年半。

その時とは考えられない理想の生活を
送っている自分がいます。

全ては
あの日無料ライブを見た日から
私の人生が変わり始めたんです。


初受講の15期の時、ガッチガチに緊張しながらキラッキラOGなっちゃんとのランチ会へ

8.あれ?思ったのと全然違った魅力覚醒講座


魅力覚醒講座の受講料は
いまだかつて払った事のない
金額でした。

本当に変われるのかな。
本当に大丈夫かな。

でもあさぎさんみたいになりたい!
どうしてもなりたい!
でも怖い!
でも変わりたい!

と震えながら入金をしたことを
覚えています。

でも、この講座を受けたら!
私は理想の私になれるんだわ♡
素敵な自分になれるんだわ♡

そう思ってウキウキワクワクしながら
講座を受け始めたのですが…

待っていたのは非常に泥臭い
日々でした笑

大まかに言うと

あさぎさんの教えを最低3回聴き、
学んで実践したことや、
考えたこと感じたことをとにかくアウトプット

だったのですが、

まず講座はど平日毎週金曜日12時からスタート。

リアルタイム受講したければまずは有給をとる
もしくは昼休憩に1時間だけ外に行くという
行動をしなければなりませんでした。

そう、今でこそ理想通りの人生を送っている私ですが
最初は本当にその小さな一歩からスタートしたんです。

コロナ業務に関わる職場では
当時はほとんど誰も有給を取っていなかったと思います。

そもそも有給をとるなんて
とてもじゃないけれど
言える雰囲気じゃなかった。

私は1人業務がちがっていたとはいえ、
毎日深夜までごはんもまともに取らずに
働き詰めの同僚たちを横目に

有給をとりたいというのは
とても心苦しかった。

それでも私は講座をリアルタイムで受けたかったので
数時間有給をとってみました。
申し訳ないなと思いながら。
心を痛めながら。

でも、自分の心の声をひたすら丁寧に聞き、
怖いけどこっちの方を選びたい!と思った方を
選んで行動していくことでしか
人生って変わらないんですよね。

もともと自分の心の声にフタをして生きてきた私は、
カウンセリングでだいぶ本音に耳を傾けることが
できるようになっていましたが、

コロナ禍に無理をして過ごしてきたことで、
またまた本音迷子になりかけていました。

そこから、

本当はどうしたい?
何が食べたい?
どっちがいい?
ぶっちゃけどう思ってるの?

とどんなに小さな自分の声にも耳を傾け続けました。
ランチに何を食べたいかを真剣に心に問いすぎて
お昼休憩がなくなりそうになることもありました笑

だけど、心の声を丁寧に聴くことを積み重ねることで
私は少しずつ自分を大切にできるようになっていきました。


とはいえ、自分を大切にするという選択をしたことで
わがまま、自分勝手なことをする人だと
噂を流されたこともあります。
正直ショックでした。

常識、世間一般という枠の中におさまることが
良いことだとされる日本では
そこから逸脱することはよくないことと教え込まれますよね。
まさにそれを体感する出来事でした。

自分らしく生きる
欲望全開で生きる
本音で生きる

って人と違うことをするということ。
その覚悟を持って堂々と生きることなんだ。

と気づかされました。

とはいえ
本当にこれでいいのかなあ
こんなことしちゃっても大丈夫かなあ

迷ったり不安に思うこともたくさんありました。

日々小さな心の声に耳を傾けて、本当の欲を叶える行動を
とるようにしていると、段々と行動も大胆になっていきました。

例えば…

一目惚れした家賃が2倍のマンションに引っ越す
本業をやめてフリーランスとして独立
いきたかった場所への10日間の旅行

etc…

2年前くらいには、あさぎさんが住んでいるドバイツアーに
申し込んでいたのですが、
直前に出演していたちゃん卒ライブで疲れ果てていたのと
ホテルや飛行機の手配がびっくりするくらいうまく行かず、

どうしても行くのが嫌になり
直前に14万円のキャンセル料を支払って
キャンセルし田舎に帰ったこともありました。
(ちゃん卒ライブをちゃんとしなきゃと思っていた私笑)

行ったらいいのにーー
絶対楽しいのにーー

ってアサギスト仲間には散々言われたけど
でも私は心が本当に望んでいた方を選択しました。
高い勉強代でした笑
でも後悔はしていません。

行動や選択に迷ったことはたくさんあります。

でもそのたびにグループの仲間やOGがアドバイスをくれて
また勇気を出して一歩を踏み出すことができ、
ドキドキする!ワクワクするけど怖い!
ということにどんどんチャレンジし続けることができ
理想の人生を叶えることができたんです。

そう、人生は身を置く環境と行動を変えることで
いかようにも変えることができるんです!!


9.楽しみでしかない私の未来

カウンセリングで重度の対人緊張症を克服し
魅力覚醒講座で理想の人生を遅れるようになった私。

大嫌いな自分をなんとか変えたくて
そして理想の人生を叶えたくて

40年と言う時間と
何百万円と言うお金
そして
莫大なエネルギー

をかけてきました。

気がつけばもう46歳。
人生の折り返し地点を
過ぎました。

人は私を傷つけるもの
自分には何の取り柄も能力もない
理想を叶えられる人なんて
一握りの恵まれた人だけ

そんなふうに知らない間にできた思い込みに囚われ
自分の可能性を信じることもなく
同じような価値観の人たちの中で
違和感を感じながらもその違和感にフタをして
同じような毎日を送っている人、
きっとすごく沢山いると思うんです。

カウンセリングをしていても思うけれど
特に日本女性は自分のことは二の次で
仕事に家事に育児に必死に頑張っている人たちが
ものすごく多いと感じます。

本当はやりたいことがたくさんあるはずなのに
頑張り過ぎて疲れて
そんなこと思い出すことすらなく
日々に追われている

私は、そんな頑張り屋さんな日本女性たちが
やりたくないことを手放して
自分の可能性に気づいて
本当にやりたいことを自由にやり
その人らしく楽しく幸せに生きていけるように
全力でサポートしていきたいなって思っています!


小田切あさぎさんが

「私たちはそんなに無力じゃない!」
「誰でも自分の力で理想の人生を作れるんだよ!」

と勇気をくれたように、今度は私が誰かの背中を押していけるといいなと
思っています!

長い文章を読んでくださり
本当にありがとうございました!








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