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「大事な人を自分が死に追いやる」恐怖に、これ以上苦しめられないために。

ウイルスのキャリアとなったことを知らずに、誰かと接触。そのせいで相手が感染、重症化し、命を落としてしまったら。それがもし自分の大事な人だったら。

そういう恐怖を抱え続けている人が、実はたくさんいると思う。大人だけじゃない。子供もだ。

日本政府がようやく緊急事態宣言を出すと知り、正直ほっとしている。たとえ拘束力はなくとも、それを口実に「外に出ない」という選択がとれるようになるからだ。そして、それができれば「誰かを死に追いやる恐怖」から逃れられる人が、少なからずいるからだ。

私の住んでいる町は、1ヶ月ですっかり変わってしまった。

身近に濃厚接触者が出て、プロジェクトを閉めたのが3月初め。それから一週間で学校が休校、公共施設が閉鎖。多くの人が自宅待機となった。やがて、食料品店と薬局以外はほぼすべて閉鎖に。店頭に立ち続ける店員の心身の負担に配慮し、食料品店も薬局も日曜には閉店の決まりができた。

病院のベッドに限りがあることから、感染者でも軽症なら自宅にいるよう言われている。ということは、自宅のドアを一歩出ればもれなく危険地帯。ゴミ捨ても厳重体制だ。宅配のおじさんたちは荷物を投げるように置き、サインももらわず走り去ってゆく。

家の外で人と話さなければならない時は、2m以上離れて口を覆い、お互い顔を合わせない角度を保つ。ウイルスを小馬鹿にしていた人が皆、たった二週間で真剣にルールを守るようになった。かかったらアウト。そういう意識が一瞬にして確立された。

それでも、この州の感染者は1日1000人のレベルで増加し続けている。

自分たちの居住地域に感染者が集中している。ニュースでそう知らされたのは、子供達を連れて「最後かもしれない」買い出しに出た翌日だった。知らなかったとは言え、わざわざ危険のど真ん中に子供を連れ出したことを悔やみ、その日から外に出るのをやめた。わずか一晩で急増した感染者数に、翌日には本格的な外出禁止要請も出た。

感染の可能性が否定できない以上、外出日から二週間は様子を見ないといけない。事が起こったのは、それから一週間後のことだった。

夜になって小学生の息子が、頭が痛いと言い出した。空気が凍りついた。息子はいつも、熱が出る前に頭が痛くなるのだ。

熱はまだない。大丈夫。
いや、わからない。
落ち着け、落ち着け。
でも、一週間外に出てないんだから、風邪じゃない。
一週間以上潜伏期間があるとしたら、あれだ。
もしそうだとしたら。
いや、でも子供はきっと大丈夫。

焦って、思考が空回りする。

とりあえず寝ようか。
痛いのはどこ?
冷やそうか。

こういう時はいくら取り繕っても、親の動揺を子供が敏感に察知する。息子が不安そうに聞く。

「かあさん、オレ、コロナじゃないよね」

心配ないよ。そう言いながらも、気づけば手が震えている(私には肺の持病がある)。

毎日一緒の部屋で寝て、同じ食卓を囲めば、感染はほぼ免れない。今さら動揺してどうする。死ぬときゃ死ぬ。子供達は大丈夫だ。緊急時の対処法は教えてあるし、助けてくれる人もいる。深呼吸して、気持ちを整える。

すると、嗚咽が聞こえてきた。

息子が泣いていた。心配で眠れないという。大丈夫だよ、横になってるだけでも体は休まるから、ともかくボーッとしていなよ。そういうと、息子が大泣きし始めた。

「だって、オレがもしコロナで、かあさんにうつしてたら、かあさんが死んじゃう」

泣きじゃくる息子を、思わず抱きしめようとすると、どこにそんな力があるのかと思うようなすごい力で、押し返された。

「オレとハグしてかあさんにコロナがうつったら、かあさんが死んじゃう」

あまりにも頑なに、全力で拒み続ける息子の気持ちが堪えた。息子は、本当は大のハグ星人なのだ。仕方なく、二人の間に巨大なサメのぬいぐるみとセイウチのぬいぐるみを挟んでから、ぎゅっとした。

「大丈夫だよ、かあさんは、絶対に死なないから」

こんなの気休めでしかない。でも頼む。
どんな言葉でもいいから、とにかく効いてくれ。

結局、息子は1時間以上泣き続けた。日本でコロナ騒ぎが始まってから2ヶ月ちょっと。毎日心のどこかで心配して恐怖して溜め込んでいたものが、堰を切ったように流れ出し、私の言葉など、まるで役に立たなかった。

持病のある人の家族として、小学生の息子がずっと抱えていたプレッシャー。そこに思いが至らなかった自分が情けなくてしょうがない。息子に謝りたかった。

こうなると、学校が休校になり、政府が「外出するな」と言ってくれたのが、せめてもの救いだった。外出が許され学校がある限り、重症化のリスクのある人達はもちろん、その家族たちの「自分のせいで感染させてしまったら」という恐怖は続く。外出禁止要請のおかげで、息子はその恐怖から少しだけ早く逃れられたのだ。

これで熱が出なければ「スーパーで感染」疑惑もやがて消えるだろう。そうすればきっと、心穏やかな時間が持てるだろう。そう、自分に言い聞かせる。

祈るような気持ちで夜を明かす。

翌朝。ありがたいことに、息子の頭痛はほとんど消えていた。熱もない。オンラインで友達とゲームをやって画面酔いしたのかも。そう、おちゃらけてみせる息子の笑顔の裏にいまだある恐怖を思い、一瞬言葉に詰まった。でも、絞り出してでも言わなくては。

「いつもかあさんのこと、気にかけてくれてありがとう」

ここまで書いたところで、友人の父親の訃報が入った。コロナだった。友人本人も感染し、入院している。どうして。どこから。それはわからない。ただ、いつも年老いた父親の面倒を見、自分が病気を持ち込まないように気にかけていた友人のことを思うと、胸がつぶれそうだ。

辛い時は、自分の痛みに寄り添ってくれる歌を聞きたくなる。でも、必ず最後に、自分を今ここに「連れ戻してくれる」曲を聴いて、現実に戻ってこないといけない。そうでないと、痛みの奥にはまり込んで出られなくなることがあるから。

clammbon『タイムライン』





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