雪の足跡2

ウイルス禍で中止する側の気持ち。それが語られることは、たぶんない。

送る会。卒業式。学校最後の1ヶ月。ある日突然失われ、その事実をうまく引き受けることができずに日々が過ぎることの重さが、語られ始めている。

中止する側の人達も、実はその近くにいる。すぐには消化できない複雑な気持ちを、同じように抱えている。でも、そっちが語られることは、たぶんない。語ることを許されない空気が、そこここに漂う。

このまま、語られることなく消滅してしまう気持ちなのかもしれない。でもやっぱり、残しておきたい。いつかまた同じように、自分の手で、強制終了ボタンを押す日が来るかもしれないから。

今日、大きな決断をした。一年半かけて築き上げ、ようやく軌道に乗せた、子供向けプロジェクトの中止だ。理由は例のウイルス。責任者として、考えに考えた末の結論だった。

散々考え、決断してからもまた迷い、周りに「まだ早いんじゃ」と言われてまた迷い、でも最後にもう一度、決断した。

状況が見通せるようになって、参加する子供達や親達の健康上の安全が確保できるまでは、中止する。そう、施設の担当者には伝えた。

「自国の状況を見ている日本人のあなたが言うなら、きっとその方がいいんだね」「でも、本当に、残念だ。悲しいよ。今までありがとう」。

一通り、お別れのハグとキスをして、ドアノブに手をかけた私の後ろから、「きっとまたすぐ、やれるようになるよね」と、つぶやく声が聞こえた。

「もちろんだよ」。

いつも通り、あえて気楽な感じで返事をして、外に出る。

残念だ。
悲しいよ。
今までありがとう。
きっとまたすぐ、やれるようになるよね。

歩き出した自分の頭の中を、さっき聞いた四つのフレーズが、繰り返し繰り返しこだまする。

大丈夫。間違ってない。
この決断は、間違ってない。

そう思いながらも、心が強張ったままなのは、たぶんマイナス14℃のせいじゃないんだろう。

こういう時、雪が降ってくれればいいのに。

寒いだけじゃ、割に合わない。
雪が、全部なかったことにしてくれなければ。

翌日、近くの都市で来週開かれる予定だったスポーツの世界大会が、中止になった。州政府の決定だった。

もっと大きな、もっとたくさんの人が関わる、もっと大金の絡んだイベントが、中止になったんだ。だったら、私の決断も間違っていない。

やっと、自分の決断の後ろ盾のようなものを得た気がした。ここ数日、ずっと緊張していた体から、ようやく力が抜けていくのを感じた。

事の発端は一本の電話だった。プロジェクトの中核を担うボランティアからで、彼の家族が「濃厚接触者」として、突然自宅待機を命じられたというのだ。

感染の可能性がいつに遡るのか。
その家族と彼は、どれくらい頻繁に会っていたのか。
彼はその家族と会ったあと、一度でもボランティアに来たのか。

はやる気持ちを隠せずに、矢継ぎ早に問い正す。

運良く彼は、家族に会った後、ボランティアには来ていなかった。

とりあえず、持ち込んではいなかった。

ウイルスを。
私達のチームから。
この施設内には。

プリンセス・ダイヤモンド号をはるかに上回る密集度で、数百人が一時的に住まうこの施設。高齢者こそ少ないが、妊婦さんと3歳以下の子供がたくさんいる。

安堵した。でも、これはほんの序の口だろう。

まだ一桁台の感染者しか見つかっていないこの都市で、思いがけず近くに感染の可能性がある人が出た。ということは、感染者数が倍増すると言われる来週以降は、もっとリスクが高まるはずだ。

私たち部外者が、施設の中にウイルスを持ち込むというリスクが。

このプロジェクトには、いろいろな場所から何人ものボランティアが来てくれている。彼らが普段どこでどんな生活をし、誰と暮らし、誰と外食し、誰の近親者がいつ旅行したか、そんなことは知りようもない。

私たちのチームが施設内にウイルスを持ち込むことだけは、避けないといけない。

私は、ヘルスケアのプロなんだから。

必死で国境を越えてこの街にたどり着き、まだ行く場所の見つからない、難民の子供達を支えるための、音楽療法プロジェクト。

隔離されたに近い子供達と親達の、行き場のないエネルギーとやり場のない感情を、音楽とアートで受け止め、爆発させ、昇華させる。

週二回、毎回顔ぶれの変わる30人以上の子供達と、時には親も一緒になって、自由気ままに廃材で楽器を作り、即興をやってきた。

私はこのセッションに、大きな意義を感じている。

国を離れ、心も体もバラバラになりそうな状態でいる子供達と、疲れ切っているその親達が、先の見えない不安から2時間だけ自由になって、一心にものを作り、湧き上がった感情を音にする。

そこで生まれるエネルギーの中にいると、毎回、魂を持っていかれる。不安の中にあっても、創造性を発揮して、笑い飛ばしていく彼らの強さ。それぞれの体に染み付いた天性のリズムが織りなす、不思議な多文化空間。互いの文化に敬意を払いつつも、それを越えてつながっていくことができる、対等な関係性。

私にとって、特別な場所。
彼らにとっても、たぶん特別な場所。

その場所を、今日、私の手で閉ざす。

折しもニュースで、センバツが中止になったのを知った。高校生活の大半を野球に捧げ、大事な仲間と協力して勝ち取った切符。それが消えてなくなってしまったというのに、清々しいまでに潔く、夏への決意を語る彼らに驚嘆しながらも、気づけば、疲労の色濃い高野連の人達の方に自分を重ねていた。

選手の健康を何よりも第一に考え
苦渋の決断をした。

選手の気持ちのことを考えれば
今日、決断しなければならなかった。

そうだ、そうなんだ。彼らの心と体の健康が一番大事なんだ。その決断によって、どれほどの影響があるかわかっていても、参加できないその人達自身がどれほど悲しむかわかっていても、屋台骨を支えてくれている人達がどれほど苦しむかわかっていても、そして同じことはもう二度とできないかもしれないとわかっていても

決断しなきゃいけなかったんだ。

そう、間違ってないんだ。この決断は。

なのに、なんでこんなに、辛いのだろう。

子供達を思う。子供達と作った音楽を思う。
親達を思う。親達と作った音楽を思う。

彼らから、奪ってしまったのだ。
私は。

この事実を、どうやって拭い去ればいいのか。

中止する側もまた、傷ついている。

それが語られることは、たぶん、きっと、ないのだろうけれど。



今日はただ、この歌を。
Aimer  ”蝶々結び”。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。いただいたサポートは、難民の妊産婦さんと子供達、そしてLGBTTQQIP2SAAの方々への音楽療法による支援に使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。