MMT(現代貨幣理論)の死角【8】
まずは近況を振り返り、続いて本論に入る。
■最近の経済情勢
ここのところ、日経平均株価がバブル経済崩壊後の高値を更新する一方、1ドル140円台まで円安ドル高が進んでいる。半年ぶりの下落水準で、その原因は、米国がインフレを抑え込むために利上げを続けるとの観測から、日米金利差を見込んだ円売りドル買いが優勢となったことにあるという。
半年前、政府・日銀は急激な円安を食い止めるべく、円買い介入を実施した。一時的に円高をつけたものの、再び警戒水域まで円安に振れているのは、日米金利差の為替市場に与える影響が依然として強いからだろう。筆者も当時、短期的な予測として、このリスクを指摘していた。
筆者も前回までの投稿で、ディマンドプルの必要性を指摘してきた。しかし、植田日銀総裁は当面、緩和維持の姿勢を崩しておらず、その限りにおいて、今回のような為替要因によるやや行き過ぎの円安回帰が繰り返される可能性は今後も続くだろう。従って、政府・日銀には、FRBなどとの内外金利差の動向、国内のディマンドプル要因の物価上昇状況を見ながらの「出口」戦略がより一層求められるであろう。
他方、政府・日銀はディマンドプル要因を、主に「賃上げによる消費(26日付東京新聞)」に求めていることに注意しなければならない。
考えてもみてほしい。日本経済における雇用者の約7割を占める中小企業が、原材料費が高騰するなか、おいそれと大企業のように賃上げができるのかを。労働組合もなく、労使交渉自体が成立しない中小企業の大半が、経営者側の判断で大企業のように賃上げできるのか。岸田首相は盛んに生産性向上や価格転嫁を推し進めようとしているが、立ち遅れているDX(AI・IoT・ビッグデータなどのデジタル技術による変革)やコストプッシュを脱しないスタグフレーションの状況下で、それらがいかに難しいか。
大企業の賃上げ原資を波及させる政策が必要だろう。日経平均株価がバブル後最高値を更新した今、大企業が内部留保を続けてまで賃上げを控える道理は成り立たない。設備・研究開発投資をすることで、下請けをはじめとした中小企業の利益率が改善する可能性が高まる。もはや、トリクルダウン理論を持ち出して、大企業が潤えば、自ずと中小企業も潤うと考える者はいないのだ。
第2次安倍政権のアベノミクス、とりわけ「異次元の金融緩和策」の後遺症も、どうにかしないとならない。実質賃金が増えず、2%の物価上昇率が未達成に終わったのは、2本目の矢である「機動的な財政政策」も、3本目の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」も、奏功しなかったことが要因と考えられるからである。
特に3本目の矢の失敗は、メガバンクをはじめとした市中銀行にとって有望な融資先が少なかったこと、資金需要が少なかったこと、低金利で貸出(融資)しても、回収して利益が出るか見通せなかったことが原因だろう。流動性の罠に陥り、富裕層や大企業が貯め込む傾向が続いたことも関係していた可能性がある。
この傾向は、後遺症という形で、デフレからスタグフレーションへと移行した現在でも続いているのではないか。であれば、資金需要を増やして、市中銀行の守りの姿勢を崩すにはどうしたらよいか。
自民党が昔ながらの利益誘導型のバラマキを行っているのなら、まずは直ちに止めることである。そして、既得権益側の構造改革をしながら、DXやその一つのロボット・RPA(事務作業の自動化)・自動運転はもとより、再生エネルギー、高齢者産業などといった成長を見込める分野に、財政支出をしながら戦略投資をすることである。これを踏まえて、まずは体力のある大企業を中心とした旧産業から新産業への構造改革、労働生産性の向上、イノベーションを実現しながら中小企業へ波及させるべきである。また、成長分野ごとの規制度合いに応じて国際競争力を高め、外需取り込み策や適切な為替誘導・金利政策による国際収支黒字化を推し進めていく必要もあるだろう。
これらを実施していけば、少子高齢化に伴う構造的な内需縮小の問題を解決していくことにつながると思われる。ひいては、日本経済は成長し、適度なディマンドプル・インフレ、それを上回る実質賃金の上昇、財源を国債に依存しない税収増が実現していく可能性が高まるはずである。
■近況を踏まえてMMTを考える
さて、こうしたことを踏まえて、あらためて浮き彫りになってきたMMTの問題点を考察したい。前回指摘した問題を掘り下げて、より理論的に考えてみよう。
そもそもMMTとは何なのか。あらためて振り返ってみよう。
主張の核心は「日本の国債は自国通貨建てなのだから、過度なインフレにならない限り、いくら発行しても問題ない。B/Sで見た場合、国債(負債)は財政支出を通して同額の民間預金(資産)を創り出すので、財政赤字が膨張しても問題にならない。償還期限が来たら借り換えをすればよいのだし、利払いも新規国債の発行でいくらでも補える」というものである。
しかし、ここのところ、かつての勢いは鳴りを潜めている。一つのきっかけは、 2019年12月初旬に中国の武漢市から始まった、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行だろう。外出制限などで労働力不足や物流の停滞が起こり、一時的に物価が高騰した。もう一つは、2022年2月24日に起こったロシアのウクライナ侵攻だろう。資源価格や食料品価格が高騰し、世界的なインフレに発展した。日本はバブル崩壊後、約20年余にわたりデフレが続いていたが、実質的なスタグフレーションに移行したと言ってよい。
つまり、外的要因といったコストプッシュ・インフレが深刻な影響を与えている状況では、「過度なインフレにならない限り」といった条件をある意味満たしてしまっているので、かつてのように支持する人々が少なくなっているものと思われる。
それでは、具体的に、何が浮き彫りになってきたのだろうか。近況を振り返ったように、国際貿易や変動為替相場制を前提とした開放経済では、内外金利差や外国為替市場の影響で、容易に円安に振れる。言い換えれば、MMT論者が主張するように国債を増発して財政支出をしても、国民所得を十分に増やせるほどの貸出や民間投資につながらず、政府・日銀が円買い介入をしても、内外金利差に伴う投機的な売買を完全に制御できない。日銀が買いオペを続け、政策金利を低く抑え続ければ、内外金利差や為替市場を通して、さらなる円売りにつながるリスクを招くことを免れない。
現在、既にコストプッシュ要因で物価上昇率2%を超過しているが、植田日銀総裁も示唆しているように、ディマンドプル要因でないと意味がない。本来、現在のスタグフレーションの状況下では、ウクライナ侵攻や内外金利差の状況を見ながら金融引き締めに転じる必要がある。コストプッシュ要因の物価高が沈静化してから再び緩和し、DXによる労働生産性の向上や成長分野への戦略的投資を前提とした財政支出や貸出を増やして、ディマンドプル型に転じないとならない。しかし、すでにコストプッシュ型からの転換過程で、容易に円が売られて下落するのである。
こうした状況を考えると、MMT論者の主張は今の段階では悪影響の方が大きいと言わざるを得ない。インフレ圧力が強すぎるのだ。
開放経済における投機的な売買が日本経済に与える影響については、GDP(国内総生産)に占める内需・外需の割合や、輸出・輸入の割合を理解しておく必要がある。
結論から言えば、現在の日本経済は内需依存型から脱していない。GDP(国内総生産)を支出面から見た場合の輸出、すなわち「外需」の割合を見てみよう。内閣府の2021年度「国民経済計算」のなかにある「国内総生産(支出側)・名目・年度」によると、国内総生産は約551兆円、財貨・サービスの輸出は約104兆円となっており、輸出の占める割合が約19%となっている。輸入は約110兆円で約20%、控除した純輸出は、約7兆円の赤字である。
ここから円安・円高それぞれのメリット・デメリットを考るとどういうことが言えるだろうか。約19%という現状の輸出割合で今回のように再び円安に振れた場合、メリットはどれだけあるのか。「貿易立国」と言えるほどの波及効果があるのか。下請けへの効果はあるだろうが、先述の通り、株価が最高値を更新しているこのタイミングで大企業が設備・研究開発投資をしない限り、経済全体への効果は限定されると思われる。他方、約20%という輸入割合については、これだけコストプッシュ要因のインフレが続いている状況を考えれば、円安はデメリットが大きいと言わざるを得ない。MMT論者の主張は、この傾向に拍車をかけることになるものと思われる。
マクロ経済学の理論を考えると、MMT論者の主張は極論すれば、かつての鎖国のような閉鎖経済でないと成り立たないように思えてならない。現実的に外国為替市場や国際貿易を考慮しても、固定相場制という条件が必要になってくるのではないか。マクロ経済学では理論上、閉鎖経済において、新規国債を中央銀行(日銀)が買いオペで引き受けると、IS-LM曲線双方が右シフトするので有効需要が過大に創出され、インフレ圧力が高まることを説明している。
では、開放経済ではどうか。マクロ経済学では、貿易収支が為替レートによって調整されると考える。ただし、Jカーブ効果を考慮しないとならない。更に、短期的にはアセット・アプローチによって為替レートが決定されるとする。まさに今の円売りがこれによるものだろう。そして長期的には、購買力平価説によって為替レートが決定されると考える。日米比較で日本の方が米国よりもインフレ率が高ければ、円の貨幣価値はドルよりも低くなり、購買力も低下するので円安圧力が高まる。MMT論者の主張は、閉鎖経済でさえインフレ圧力が高まるのに、開放経済では為替要因も加わり、インフレ圧力が高まることを考慮に入れていない。
そのうえで、マンデル=フレミング・モデルという理論を考慮しないとならない。閉鎖経済の均衡を説明するIS-LM分析に、国際収支の均衡を表すBP曲線を加えて分析をする考え方である。これによれば、資本移動が完全で変動相場制が適用された場合、財政政策は無効、金融政策は有効という結論になる。言うまでもなく現在の日本経済は、現実的にこの条件に近い立場にある。この点からも、MMT論者の主張がいかにアンバランスなものかが分かる。
こうしたことを踏まえて、実際の政策はどうあるべきだろうか。本論では第6回の投稿で、短期的には緊急避難的な為替介入、中期的にはスタグフレーションを回避するための一時的な金融引き締め、長期的には財政政策による成長産業の育成、その結果としての適度なディマンドプル・インフレの実現、それを上回る実質賃金の上昇を確認してから改めて金融引き締めを実施することの妥当性を指摘した。
ここで参考になる理論が、マンデルのポリシーミックス(政策割当論)である。国内経済の均衡には財政政策、国際収支の均衡には金融政策を割り当てながら、適度な国内経済の均衡(インフレ率・利子率の調整による完全雇用の達成)、適度な国際経済の均衡(政府支出・利子率の調整による国際収支の均衡)の同時均衡を目指すというものである。もっとも、この理論は固定相場制を想定している。変動相場制においては理論上、外国為替市場が国際収支の均衡を果たすので、財政政策に注力することになる。
ただし実際の日本経済では、政府・日銀が低金利政策を導入して金融緩和策を続けてきた。ポリシーミックスではもっぱら、利子率の調整は利子率を引き上げる引き締め策を意味する。言ってみれば、理論上、金利上昇局面で減殺されてきた可能性があり、前提条件が国際収支の赤字圧力を高める結果になっていたという意味において、実質的な固定相場制に近い状況になっていたのではないか。加えて、半年前の為替介入は、理論上、固定相場制における政策である。
こうしたことから、ポリシーミックスは、一部の要素が制約を受ける可能性を残しつつ、変動相場制でもある程度有効と考えてもよさそうである。
とすれば、ディマンドプルに向けた財政政策に限り、MMT論者の主張を採用することも可能になってくる。閉鎖経済を擬制し、且つ、キャッシュフローや取引コストを加味して、B/Sバランスを見ながら国債発行を続けるのである。国際経済は、理論上、金融引き締め策を目指すので、やはり中・長期的には適度なディマンドプルの達成度合いやそれを上回る実質賃金の上昇率を見ながら、金融緩和策からの「出口」戦略が必要不可欠となってくる。
なお、日銀が買い入れているのは国債だけではない。上場投資信託(ETF)なども買い入れており、今問題になっているのは、ETFは売らない限り日銀が持ち続けることになることである。MMT論者は、この点も考慮に入れていない。
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