黄色の花2

【文学フリマ】フリマのフリはFreeじゃない(柴田葵)

作りながら生きていくための同人『Qai〈クヮイ〉』

毎月一つのテーマについて、同人4人が順に書き綴ります(だいたい毎週日曜更新予定)

今月のテーマは「文学フリマ」。
5月6日に開催された文学フリマ東京で、Qaiはフリーペーパー「143」vol.1を頒布しました。写真と詩・俳句・短歌、オールカラーの大変イケている1枚。Qaiの文フリ初参加です。ありがたいことに、164枚がさまざまな方のお手元に旅立ちました。
今後「143」は、Qaiメンバーの出没先、イベント、また、ご協力頂ける書店などで頒布予定です。ぜひチェックしてくださいね。

それでは今回も、短歌に取り組む同人・柴田葵から連載スタートです。

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こんばんは。柴田です。
5月12日午後9時の更新に向けて、このnoteを書いています。

恥ずかしながら、つい先日までフリーマーケットは「Free」マーケットだと思っていました。
でも、私以外にもそういう方はいるような気がします。いないとは言わせません。だってカタカナで「フリー」ならまず「Free」だと思うじゃないですか。「無料」とか「自由」とか「囚われない」の「Free」だと疑わないじゃないですか。Yes, we are FREEEEE!!!

違いました。Freeじゃなくて「Flea」。
「蚤」です。

つまり「蚤の市」。Flea Marketの日本語訳が蚤の市。私のなかでは、この二つが全く繋がっていませんでした。蚤の市には、諸説ありますが「蚤の湧くような古いものを売る」「蚤のような価値のないものを売る」という意味があるそうです。ここ最近の日本で一般的に使われている「フリーマーケット」「フリマ」「フリマアプリ」などのイメージする「軽やか、気軽、オシャレ感」からは遠い印象です。

では、文学フリマはどうだろう、と思います。

繰り返しますが、私はずっと「Free」マーケットだと勘違いしていました。利益を出すことが大前提の商業出版とは異なり、利益を出すことを目的としても、あるいはしなくても、品物にどういう使命を背負わせてもいい・あるいは背負わせなくてもいい「Free」なマーケットだと。

文学フリマに出店している方々は、どちらかというと「私たちは新しく・価値のある・自由なものを提示している」という意識を強く持っているのではないかと思います(もちろんそうでない方もいるとは思いますが、割合的に)。自らの「あったら良いな」と思う本を製作し、出品し、その本には商業的なものさしでは測りきれない価値や意義を背負わせているように見えます。蚤とは正反対の印象です。Fleaというにはあまりにも素晴らしい本が、ものすごい熱気とともに集結しているようにも思います。

「Flea・蚤」なのか「Free・自由」なのか。

ここまで考えて、果たしてどちらが良いのだろうかと、ふと立ち止まってしまいます。私個人としては、どうにも、蚤という考え方も捨て難いように思えてきます。加速度をもって変化していく現代において「より新しい・より価値のある・より自由なもの」を目指すことは「誰ひとり勝てない戦い」のように感じるからです。

「古くみえるもの、大勢の人には理解されなさそうなもの、規模の小さいもの、けれども強い生命力を持つような、そして、誰かが必要としているもの」を、その必要としている誰かに届けることができれば、私も(あなたも)誰かも、とてもうれしい気持ちになるでしょう。

今回は、なんだか漠然とした話になってしまいました。私がやりたいことってなんだろうと考えながら、これからお風呂に入りたいと思います。


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