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転んでも、壁にぶつかっても

“好き”を追いかけて生きてきた。
好きなことだけじゃ生きていけないよ、好きなことで生きていくのは厳しいよ、なんてよく言うけれど、それでも好きなことを思うままに追いかけて生きてきた。

楽ではなかった。苦しいことのほうが多かったかもしれない。
好きで始めたことなのに好きなのかよく分からなくなることもあった。
それでも楽しかった。努力が報われる瞬間があれば幸せだった。

もしかしたら私、走るの得意かも、走るの気持ちいいし。
そんな軽い気持ちで始めた陸上競技。
楽しければそれでよかったのに、走れば走るほどもっと速くなりたいという欲が出た。
負けず嫌いな私は、県内でもトップ争いをするような選手になりたかった。だから高校進学の際、目を引くような実績がないのに陸上競技の強豪校を選んだ。

陸上競技を始めたばかりのころは試合のたびに自己ベストを更新していたけれど、学年が上がれば上がるほど、自己ベスト更新は難しくなった。思いどおりに走れなかった試合のほうが多いし、練習でも自分の理想のフォームに近づけるのは難しかったし、仲間との実力差に苦しんだりもした。スランプに陥って、もう速く走ることができないかも、という絶望感を味わったりもした。

でも走ることが好きで仕方なかった。
忘れられなかった。風を切って走る気持ちよさを。初めてのレースで体験した、たくさんの歓声に背中を押され、どこまでも加速していけそうな感覚を。
走りで表現したかった。走るのが大好きだ、という気持ちを。
諦めることができなかった。インターハイ決勝で走るという夢を。
裏切りたくなかった。私を4×400mRの第一走者として信じてくれている仲間や先生を。

結局個人種目では満足できる結果は出せなかった。リレーでもインターハイの準決勝止まりだった。それでもやりきったという自信はある。
3年生のインターハイ準決勝、最後のレース、自分の表現したいものを全て出しきることができたから。

スタートした瞬間から、いけるという確信があった。
「はるえ、いけー!」誰か(恐らく恩師)の声が聞こえた。
イメージどおりに加速した。前半200mはとにかく気持ちよかった。
200~300m、中だるみせずしっかりテンポよく走り、最後の直線に向けてじわりじわりと加速するイメージ。
ラスト100m、何となく自分の順位が分かる。ああ、結構いい位置にいる。
第二走者の子が笑顔で手を振って待ってくれている。あと30m…
力尽きそうになった。そのとき。
腰の辺りを誰かに押された気がした。ぐぐっ、ともう一度加速し直した。きっと仲間たちが背中を押してくれたのだと信じている。
精一杯腕を伸ばして第二走者の子にバトンを渡した。
レース、作ったよ。人生最高の走りをしたよ。私の全て、出しきったよ。あとは、任せたよ。

4人いて全員が実力を出しきれるわけではない、リレーのタイムは4人のベストタイムを足した数字にはならない。同じ4人、同じ走順で走ってもタイムはばらつきがある。各メンバーのベストタイムを足した数字では明らかに上に行けないのに、バトンを持つと豹変するチームがある。それがリレーの怖さであり面白さ。1分以内に走り終わる4×100mRには爽快さがあるけれど、3~4分かかる4×400mRにはドラマがある。
バトンを持つと覚醒すると言われていた私たちは、あの日きっと、どこか慢心があったのだろう。ずっと挑戦者で戦っていたのに、あの瞬間は少し奢りがあったのだと思う。
その後のドラマはご想像にお任せする。結果として、私たちは決勝にいけなかった。足りなかったものを挙げたらきりがない。決勝のレースを見て愕然とした。

あの夏は一生忘れないし忘れたくない。
なぜなら私が“好き”を追いかけて生きる原点だから。
好きなことで勝負する厳しさと幸せを思いきり味わうことができたから、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、という後悔は尽きないけれど、時間を戻したいとは思っていないし、これでよかったと思っている。
失敗したことが多いからこそ、そこから学んで“好き”を追いかけ続けたいと思うから。

大学1年生のとき「かっこいいから」という理由だけで始めたカフェでの接客。
元々の性格だけ見れば接客向きとは言えないと思うし、思ったように言葉が出てこなくて歯がゆい思いをしたことも多々あるけれども、お客様の「ごちそうさま」や「ありがとう」という言葉が嬉しかった。お客様と心が通じあったと感じられる瞬間があって、飛びはねてしまいそうなほど嬉しくて、寝るときに布団で思いだしてニヤニヤしてしまったこともある。
お客様の求めているものが何か判断できるようになってきて、成長できた気がして嬉しかった。
その瞬間が忘れられなくて、想定外の場面に出会うたびに悩みつつも接客を続けてこれたのだと思う。

カフェで働くうちに興味を持ったラテアート。
不器用な私は理論を覚えることができても手が思うように動いてくれなくて、技術の習得に時間がかかった。
描きたいものが描けなくて悔しかった。一生上手になれないと思った。
それでも憧れのアートを描きたいという思いは消えなくて、必死に練習した。
だんだん手がいうことを聞くようになって、思った通りのアートが描けることが増えて、時々自分でうっとりしてしまうものも描けるようになった。客席からお客様の喜ぶ声が聞こえてきて嬉しかった。
悔しいことがあってもそれ以上に嬉しいことがあったから、もっと上手になればもっと嬉しいことがあると信じて努力できたのだと思う。

気づけば大好きになっていたコーヒー。
コーヒーの世界は奥深くて、出会ってから7年近くたつのに知らないことのほうが多いように感じる。
しかし初めて自分で淹れたコーヒーの味、それで喜んでくれた家族の笑顔が忘れられなくて、コーヒーをもっと知りたいと思うしコーヒーに関わっていたいと思う。

カフェのドリンクメニューの考案。
最初はイメージ通りに作ることができなくて試作してはボツにしてを繰り返した。心が折れそうになった。
やっとの思いでレシピができても売れるかどうか不安だった。
自分の“売りたい、出したい”とお客様の“買いたい、飲みたい”が一致した瞬間に感動した。期間限定のドリンクが人気すぎて辞めどきを見失うくらいになったときは嬉しかった。やってよかったと思った。

たくさん失敗した。向いてないなと何度も思った。
それでも好きだから挑戦し続けた。
転んでも、壁にぶつかっても、何度も立ち上がって“好き”を追いかけ続ける。高みを目指して努力して、少しずつでも成長していく。好きなことで味わう喜びほど大きな幸せなことがないことを知っているから。
これまでも、そしてこれからも、私は“好き”を追いかけて生きていく。

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