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そうだ。平壌行こう。北の国の忘れ得ぬ人々 #4

 2015年に訪朝団で訪朝することになった。訪朝団では訪朝前に団員の希望を募る。例えば「農場を見たい」「工場を見たい」「冷麺を食べたい」といったような。「平壌ホテルのチェ・ユンジュさんに会いたい」とぼくは書いて出した。

 この希望は訪朝団、朝鮮総聯の担当者、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の担当者の間で吟味、調整がされる。そこで例えば「軍の施設が見たい」などという突拍子もない希望は即座にはねられるわけである。

「ユンジュさんに会いたい」という希望はおふざけギリギリかも知れないなぁと思ったが、順調にビザは出た。しかし案内員も他の団員も憎たらしいことに、ぼくにギリギリまで会えるか会えないかを伝えず、現地でいきなり「じゃ、今から平壌ホテルに行きま~す」というのである。不意打ちヨクナイ!

 あっけなくユンジュさんと再会した。お土産を渡し朝鮮語でお礼を伝える。「ユンジュさんのことを書いて、おかげさまで朝鮮総聯の機関紙、朝鮮新報で連載を持つことが出来ました。物書きにとって連載を持つってのはひとつの夢なんです。子どもの時からの夢がユンジュさんのおかげでかなったわけです」。

 そのやりとりを団長、団員、案内員はにやにやと見ていた。お付き合いいただいたのも悪いので「ここはぼくがみなさんにごちそうしますんで」という話になり、じゃ、コーヒーでも飲むか。と話がまとまったかに見えた瞬間、ユンジュさんの眼がきらりと光ったのだ。

「ちょっと待ってください!日本の先生さま。健康には気を遣ってますか。コーヒーもいいですがこれです。青汁(ここは日本語)が入ったスムージーです。野菜に果物もいっぱい入って健康的にも素晴らしい…」。案内員が慌てて通訳をしている。

 立て板に水のプレゼン。次の瞬間、その場にいる全員がユンジュさんに胸を撃ち抜かれていた。コーヒーはキャンセル。スムージーに変わった。その価格差は歴然。スムージーの方が圧倒的に高い。ぼくが頼んだオリジナルカクテルも含め一瞬で3千円が吹っ飛んだ。

 案内員、団員たちがハートを撃ち抜かれ倒れる瞬間というのはスローモーションに見えた。これか。これなのか。在日コリアンの方が話していたユンジュマジック。案内員も団員も満面の笑みを浮かべてぶっ倒れていて、ぼくひとりだけが立ち尽くしている。

「ユンジュが銀座に来てたら、間違いなくナンバーワンホステスになってたと思う」とはある在日コリアンの方の嘆息気味の感想。ぼくは銀座は知らないが、ぼくよりもはるかに年上の人生経験豊かな、そして銀座のラウンジにも何度か行ったことがあるだろう団員たちが、案内員たちが、手練れのスナイパーに続々と倒されて行くようなさまを見てそのことばを思い出した。

 その半年後の2016年春。平壌ホテルで会ったのがユンジュさんと会った最後。その後ぼくは訪朝していない。その後訪朝した在日コリアンの方から「ユンジュさんが平壌ホテルから消えた」という衝撃的な話を聞いた。

 突然、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国では人が動く。ぼくはネットワークをフル回転させ情報収集をしたが情報は集まらない。在日コリアンの読者からも「ユンジュさんの行方を知らないですか」と取材先で何度か聞かれたが「何で日本人のぼくに聞くのよ。みなさんの方が詳しいのに!」と苦笑した。

 こう書くとおいおい粛清?と思う読者の方もいるかも知れないが、それは違う。40歳を超えて接客業の第一線で働くのは無理だったか。それとも若い接待員たちの指導員にでもなったか。ぼくはそう考えていた。

 やがてある在日コリアンの方から「安心してください。ユンジュさんを発見しました」とメールが入った。その方によるとユンジュさんが平壌市内のあるレストランの支配人的立場になっているというのだ。

 おってFacebookにもレストランで働くユンジュさんの動画があがった。髪は短くなり声は女性にしては少し太い声。「在日同胞のみなさん、お店に来てくださいね~」と変わらず笑顔を見せていた。「よかったですね」とぼくにも複数の在日コリアンの方からメッセージが来た。

 社会主義を標榜する北朝鮮においてユンジュさんがどうやって、短期間のうちにホテルのバーテンダーからレストランの支配人クラスにまで上り詰めたかはわからない。

 そこは想像だけに留めておこう。何かあの国で強く生きて行く勘所があるのだろう。それをぼくたち外国人はなかなか知り得ることが出来ない。知ろうとすれば、あっという間にユンジュさんの魅力に取りつかれ、次の瞬間床に満面の笑みを浮かべ転がっているのだろう。

 もしみなさんが北朝鮮という国のことを見聞きした時に、魅力溢れる女性バーテンダー、ユンジュさんのことを思い出してくれたらぼくは嬉しい(ぼくのおまぬけなエピソードはむしろ積極的に忘れてもらいたい)。

 平壌の空の下、今日もユンジュさんは一生懸命に働き、そして別の意味で一生懸命な男性たちをぎゃふんと言わせている。そう思うだけであの国のニュースが、そのニュースの背景に映る平壌の映像がぼくには、フォーカスが合いよりくっきりと見えて来る。そして不謹慎と思われるかも知れないがその度に「そうだ。平壌行こう」と呟くのだ。

■ 北のHow to その37
 日本の夜の街の女性は年齢をごまかしているのが常識と聞きます。当然若い方に。北朝鮮では逆と聞きます。若い接待員が年齢を高くごまかしていることが多いとか。その背景には若いとなめられるという気持ちがあるそうです。相手の年齢でことば遣いが変わる朝鮮語、北朝鮮の独特な価値観に驚きました。

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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。