見出し画像

詩を一編語る粋

「オジイサンハ ヤマヘシバカリニ。オバアサンハ カワニセンタクニイキマシタ」。

 大学生の時の日本語の授業で、英語圏の留学生がつまりつまり語る「ももたろう」に、ぼくはつたなさと共に感動を覚えずにいられなかった。そこに留学生の努力と共に、海を渡ったひとつの日本を代表する童話が、長い回帰の旅を終えた姿をそこに見たからだった。

 ところで、2017年のことだ。難航する米朝交渉の中で北朝鮮の外相が引用したのが、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」であった。「犬は吠えてもキャラバンは進む(The dogs bark, but the caravan moves on)」。外国の情報については厳しい規制がある北朝鮮だが、変わらず前進し続けるという強い意志を、名作の一節を引用してみせる”粋”と共に表明したのだった。

 さて、同じことをぼくたちは北朝鮮に対してできるのか。

 つまり、北朝鮮の小説や歌などを引用し、こちらの意思を伝えるということが出来るのだろうかということである。

 最近はコロナで行われていないようだが、朝鮮学校が開放される時がある。文化祭やバザーなどがそれなのだが、その時にぼくは教科書を見るようにしている。

 朝鮮学校の教科書は面白い。もちろんだが朝鮮語で書かれている。ぼくは数学が大きらいなのだが、もちろん数学の教科書もある。朝鮮語✕数学。最悪の組み合わせである。読むと体調が悪くなる。

 面白いのが小学生の国語(当然だが、この国語とは日本語ではない。朝鮮語である)の教科書である。ここに書かれている詩の一編でも暗唱することが出来ればと思う。

 大学生のぼくが、留学生の語るつたないももたろうに感動を思い浮かべたように、朝鮮人もぼくが語る、詩の一編に心を震わせやしないか。

 そんな下心を朝鮮大学校の教員に語ったことがある。敵方に手の内を晒すような真似に、その教員はかかと笑いこう答えたのである。

「金日成著作選を読みなさい」。教員は現地の人と時に、著作選を引用し論戦を挑むという。地元の図書館の閉架にあり、さっそく読んでみたが引用するレベルにまで落とし込めていない。金日成主席の死後、金庫を開けたところ、同志である金策の写真がただ一枚あったというエピソードを覚えている。

 実は世界には金日成・金正日主義、かの国の根幹をなす主体思想を学ぶ団体があり、それなりの規模がある。それは日本にもあるのだが距離を置いている。

 北朝鮮の思想を学び、語ることは、確かに心を震わせることが出来るのかも知れないが、自分にその才がないのに加え抵抗感が勝る。団体と近づけば公安にマークされるのは確実だし、思想を学ぶ人たちとぼくのベクトルは大きく乖離しているのが明らかだからだ。加えて、思想というのは危険だ。どこか自分の大事なところに「どっこいしょ」と居座られる気がしてならない。

 だからぼくは、朝鮮学校の国語の教科書が欲しい。小学生レベルでいい。大学の授業でつたないももたろうを語ったように、何か小さな思想性のない物語を現地で語ってみたいのだ。

■ 北のHow to その102
 これは自分の中で不思議なことなのですが、北朝鮮にシンパシーを感じる特に元議員さんなど社会的地位がある人ほど不思議と朝鮮語を学んだり、朝鮮語で歌を歌ってみたりすることがないのです。
 北側の受入組織への大きな感謝と、日本政府への批判と、北朝鮮の体制への共鳴は大きく表明するのですが。どこかそこには「学ぶに値しない」という蔑視が透けて見える気がしてなりません。
  歌を一曲。詩を一編。物語をひとつ。現地で語ることが出来たら待遇は大きく変わることでしょう。

#コラム #エッセイ #北朝鮮 #北のHowto #朝鮮学校 #金日成 #チュチェ思想 #編集者さんとつながりたい #ももたろう #朝鮮語 #物語 #思想 #詩 #教科書 #風と共に去りぬ

サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。