社会的信用とはなんだろうか。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に 私は、あなたと結婚したいのです。」
ご存知、ゼクシィのコピーだ。現在40代の筆者は漠然とだが、小学生の時にはぼくはそれなりの会社に入り、結婚して、家庭を持つものと思っていた。明るいとは言わないまでも、ぼちぼちな人生が待っていると期待していた。結婚なんて普通に出来るものでしょ?とたかをくくっていた。自分の外見のまずさと性格の悪さなど忘れて、実に無邪気に。
ところがぼくが社会に出た時はいわゆる氷河期。就職するのさえ当たり前じゃなかった。社会はぼくを、冷たく突き放した。以降、結婚は必須科目から選択科目になった。当たり前に出来ない。そもそもしない。そういうある種ぜいたくなものになった。
在日コリアンの若い友人が結婚することになった。結婚式に招いてくれるという。190人の招待客の中で日本人は親族含めわずか4名。とんでもないアウェー感だ。交渉の末、朝鮮総聯の機関紙朝鮮新報にも書かせてもらうことになった。ジョルジュ・ビゴーかイザベラ・バードのようにぼくは、彼らの結婚式について描く、もとい書くつもりだ。
その新郎から先日、電話があった。普段、ぼくと彼とは電話をすることはほとんどない。ちょうど職場の昼休みのことだった。結婚式まで1カ月を切っての電話。嫌な予感がした。披露宴の延期かあるいは…。呼び出し音は続く。「もしもし」。覚悟を決めて電話を取った。
幸いにしてそのどちらでもなかった。結果的に披露宴は、その後の緊急事態宣言の影響で延期になったが、電話はさらに深刻な相談だった。
「部屋が見つからない」というのだ。不動産屋を回ること数軒。物件に至っては2ケタ。外国人という理由で断られ、「日本人の知り合いはいますか」と聞かれ「いない」と答えて断られたという。何とか紹介された物件は築45年。
友人は在日3世。生まれも育ちも日本である。奥さんも同じである。
「名前を貸してほしい」と友人はいう。「保証人や判子をつくのは厳しいぞ」というと「名前と連絡先を伝えるだけでいい」という。それだけで信用度がぐんと上がるという。厄介ごとがあるとしたら、管理会社なり家主から「あなたは本当にA君と知り合いですか」と電話がかかってくることくらいだという。
それだけでいいの?拍子抜けした。快諾した。ものすごく感謝された。
数か月後、この国ではオリンピックが開かれるという。これだけコロナが蔓延している中で。世界に向かって、ぼくたちは門戸を開く、あれ、外国人の観戦目的の来日は止めたんだっけ。
2021年の日本の風景である。「家を貸さない」。これから日本で、先行きが正直明るくないこの国で、ふたりで生きていこうと決めた若者のスタートを挫くには大きい障壁である。
それにしても。社会的信用度ではぼくなど、非常に心もとない存在である。非正規雇用で、妻の収入と社会的立場で何とかぼくは生きている。マンションを買った時に、妻単独名義の方が共有名義よりもローンを組んでくれる銀行が多かったほどである。
そんなぼくに頼らざるを得なかった在日コリアンの友人。その苦衷ぶりはいかばかりか。これで家を借りることが出来たら、一周回ってこの国における社会的信用とは何か。日本人というだけで、そこまでえらいのか。ぼくにはもう、よくわからない。
■ 北のHow to その109
新郎新婦ともに在日コリアンの結婚式。明日開催予定でしたが延期になってしまいました。教材として崔洋一監督の「月はどっちに出ている」を見ました。しかしこの映画ももう四半世紀近く前のもの。今の結婚式はどういうものになっているのでしょうか。
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