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薄謝とボランティア

 少しいつものテーマとは違った話を書きたい。ある団体から、毎年この時期になるとメールが届く。秋に開かれる朝鮮学校での授業のお誘いである。教育研究会、教育交流のかたちをとっている。コロナで開催が微妙とは書いてあるが、やるのだろう。

 主なメンバーは日本の学校の教員や研究者。彼らが朝鮮学校に出向いて授業をし、フィードバックをする。その後交流会が開かれる。この試み自体は高く評価している。日朝交流という意味でも、また朝鮮学校側にも、日本の教員にとっても、普段とは違う環境で授業を受ける。教える経験は貴重なものと考えるからだ。

 だがぼくは教育者ではない。著述業を名乗っている以上、自分の仕事に対して対価を払ってもらうことを前提としている。講師を務めている団体では、往復の交通費と規定の講演料を頂く。

 だがその団体は違う。報酬は一銭も出ない。交通費もない。交流会も昼食も逆にこちらがお金を払うことになる。そのお金というのが朝鮮学校側の貴重な収入(自治体からの補助金の問題、授業料無償化除外に加え、生徒の激減もあり、朝鮮学校が経営面で非常に苦しいことはぼくも知っている)となっていることはわかる。むしろそれが当然という空気がある。

 一度だけ教壇に立ったが、以降はお断りしている。今回も断る。黙殺する。

 そういえば教壇に立った当日は消化器の不調が著しく、授業が終わったらすぐに帰ろうと考えていたのだが、その団体の日本人のメンバーに、交流会に出ることをかなりしつこく迫られたことを覚えている。

 報酬が出ないことがわかった時点でどうしたか。朝鮮学校の教壇に立つということは貴重な経験であると飲み込み、あとは朝鮮総聯の機関紙「朝鮮新報」に企画を持ち込み、記事を書いてその原稿料で気持ちと財布を埋め合わせるという方法を取った。

 この時の記事は朝鮮学校紹介のブックレットにも載った。ユーモアがすぎたと書いた当初は思ったが、いい評価を得たと自覚している。だが、朝鮮新報も毎度原稿を書かせてくれるわけではない。そして同じネタを何度も書く面の皮の厚さはぼくにもない。

 自分が所属している団体の講演料が破格(と言っても講師の中では一番安いランクだが)なのもあるが、基本無償で講演を受けた件は他にない。これまで別の日朝交流団体で講演した際も講演料を頂いた。専門書店のトークライブも同様。当初ボランティアでと言われたある団体からも交通費に色を付けたかたちでお金を頂いた。交流会の費用負担はゼロでという団体もあった。大学の恩師は毎回ご飯をごちそうしてくれた上にお金を包んでくれる。ありがたい。

 その団体は全くそういうことはない。払うそぶりもない。研究会なのだからしょうがないのだろうか。それともぼくが銭ゲバなのだろうか。

 講演の依頼を受けるとかなりの時間を使う。資料を読み込み、レジュメを作り込み、パワポを作る。もちろん練習もする。依頼された時間プラスマイナス3分に抑えるのは、実はなかなか大変な作業でもある。これを昼の仕事の合間や休日にやる。時給換算にすると、東京都の最低賃金は下回る。確実に。

 お金の話というのはしにくい。だが、ボランティアが当然。交流会にお金を払って出るのが当然という態度には正直違和感を覚える。それは交流の健全なかたちではない。成員全員の犠牲で成り立つ関係、どちらか一方が一方的に負担する関係は残念ながら長期的には持たない。破たんするか自然消滅するかというのが当然だし、これまでそういった人付き合いや集まりを何度か見てきた。

 彼らボランティアが、地道に日朝交流を支えていることをぼくは認めるが、ではそれに同調し自分も無償でいいですとは言えない。

 ぼくとてプロだからである。プロと名乗るからにはその時間は楽しませるし、楽しませても来た。プロの教員のような授業は出来ないが、講師として北朝鮮の面白さを伝える点では、ベクトルは違うが互角にやれていると信じている。

 過去の日朝の歴史。今の日朝関係の現状。それを考えると「金を出せなんてとんでもない。無償でやる」と言いたくなる気持ちもわかるが、無償というのはやはりおかしい。行動に対して報酬を出さない、むしろ逆に負担が発生し、それが学校の運営を助けるかたちになっているというのは納得しがたい。
 金額の多寡はともかく、せめて交通費は出す。交流会の参加費は無料にする。あるいは強制しない。せめて負担は減らし、財布を出すふりはしてほしいのだ。

 朝鮮学校を支える行事としてバザーがある。これはよい。対価としてモノやキムチ(朝鮮学校のお母さんが作るキムチは絶品である)が手に入る。支える意識よりも、美味しいキムチが食べられるぜ、やったー!という動機が圧倒的に勝る。1パック500円のキムチだが、もっと出してもよい。

 今の日朝関係の歪みは数的不足もあるが、行動に対しての相応な報酬が発生しない。ボランティアが中心となっていることにもある。

 誰かにものを頼んだら、お礼をする。それが健全な関係ではないか。確かに、朝鮮学校で教壇に立つのは貴重な経験だし、ありがとうということばや子どもの笑顔も、気持ちよく得難いものだし、それで疲れもハッと晴れることは認めるが、それだけでいいですというほど、ぼくは心清くない。ありがとうは報酬だと、確かどこかの居酒屋チェーンの社長が話していた気がするが、ありがとうだけでは残念ながら腹は膨れないのだ。

■ 北のHow to その119
 日朝交流団体のイベントに多いお話です。在日コリアンの友人との付き合いは、割り勘だったり驕り奢られたり健全な付き合いなのですが、ボランティアや交流団体との付き合いは、よく考えないといけません。

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