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ぼくたち主体キッズ

 ジェネレーションギャップというのはどの国でもあること。例えばぼくは氷河期世代の真ん中に属する。

 単なる世代の違いが差となり、差が断絶となり、また明確な対立を生むとその社会は不安定さを増してゆく。

 確かにいわゆるバブル世代、あるいはこのまま人生の終焉まで逃げ切ろうとしている団塊の世代の人と話していると、もやもやとした感情、余りことばにしない方がいい感情がぼくの中にも沸き立つことがあることを否定しない。無難にかつ端的に言うなら不愉快。面白くないのだ。

 現在進行形で生み出されているコロナ世代たちの先行きも心配だ。一億総中流ということばは陳腐化して久しいが、日本国内での世代間の格差と対立はこれからも加速していくのだろう。

 北朝鮮の案内員に同じ質問をしてみる。「北朝鮮にジェネレーションギャップはありますか」と。さて、正直に認めるか否か。「最近の若い者のことはよくわからん!」という寺内貫太郎のような不機嫌さを嘆息と共に吐き出すまではあるにしても、「世代間対立」にまで話が及べばその顔色も変わり、自国の「一心団結」ぶりを誇ることを彼らは何ら恥じないだろう。世代間対立に悩む日本社会の現状を、ぼくたち日本人を前に指摘し、社会主義の優位性を誇らないまでも。

 実際に朝鮮戦争を戦った世代。金日成世代。金正日世代。金正恩世代。思いつくままに上げてみた。ふたつのキーワードを挙げておきたい。

 ひとつは苦難の行軍。1994年から98年までの大食糧難の時代。在日コリアンも案内員も「この時代は苦しかった」と認める。大量の餓死者も出た時代。ひとつの大きな”線”となるだろう。これを経験したかしなかったか。食うや食わずの経験をした世代。その後回復基調に入ってから生まれそれなりに暮らせている世代。

 その苦難の行軍の中、1997年に制定されたのが「主体(チュチェ)暦」。年号である。それまでは西暦だけを使っていたのだが、今は西暦と併用し主体〇年という。ちなみに主体元年は1912年。金日成主席の生誕年が元年となる。今年は主体109年。

 案内員に聞いたことがある。「主体暦ってあるじゃないですか。日本だと元号に沿って昭和51年生まれといったり、西暦に沿って76年生まれと言ったりするのだけど、共和国では『主体〇年生まれ』と言ったりするのですか」と聞くと案内員は「ないない。それはないですね」と否定した。2004年のことである。

 さて、今はどうだろう。「主体〇年生まれ」と自ら言う世代は出て来ていないだろうか。これもひとつの”線”とぼくは見ている。主体暦世代と非主体暦世代。主体キッズが成長するにつれ北朝鮮社会は変化の速度をより加速化させる気がする。

■ 北のHow to その101 
 以前も書きましたが、韓国も北朝鮮も年齢を気にします。年齢の差が態度の差、ことば遣いの差にも表れるのためです。
   ぼくは主体暦だと主体65年生まれ。これまで生年を聞かれた時は「76年生まれ」と答えてきましたが、これからは北朝鮮、在日コリアンの方に聞かれたら「主体65年」と答えてみようと思います。さて、即計算できるか否か。現地で「主体〇年」と生年を答えられたら一目置かれる気がします。北の人の心をつかむひとつのキーかも知れません。 

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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。