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呑気なことを言う私を笑いなさい

大丈夫、心配するな、なんとかなる。

型破りなイメージのある室町時代の僧侶、一休の言葉ですね。
この言葉を持っておくと、たしかに不安を抱えることは少なくなると思います。
気持ちが軽くなって、勇気も湧いてきて、なんでもできそうな感覚にしてくれますよね。
ただ、言葉のパワーが強すぎる気がするんです。

人生は結局のところなんとかなると常に感じていると、心はゆるみっぱなしになってしまいます。
ストレス社会とされて、誰もがストレスフリーというモノを求める時代において、心がゆるむことの何がいけないのかと思うかも知れません。
ですが、ゆるくゆるく生きようとするのと、全力で生きながら限界が来てしまったここぞという場面で、ゆるめることができるのは全然違いますよね。
心がゆるみっぱなしということは、心をゆるめることを切り札として持っているのに、その切り札を序盤から使い続けていることになります。

その状態で生きていると、本当に切り札が必要になったとき、効果が弱くなってしまう。

切り札は、最も効果を発揮するときにだけ使うモノ。

最も効果を発揮するとき、その瞬間へはフリが大事になります。

フリとは、自分のやれることを、自分なりの全力で、続けること。

こんなにオチが来てほしくないフリは、他にないかも知れませんね。
この場合のオチは、自分の人生の限界ですからね。
ですが、たとえ限界を迎えたとしても、そこまでを駆け抜けて来たのなら絶対に救ってくれます。

切り札の輝きが違う。

今は、深刻になるのが一番ダメだ。

こんな呑気なことを言う私を笑いなさい。

笑って、心にゆとりを持てたら、もう一度向き合えばいいだけだよ。

大丈夫だから。

心配するよりも、食事でもして、ゆっくりしなさい。

きっと、なんとかなるよ。

私が亡くなったあと、本当に困り果てたときにだけ、開けなさい。
それまでは絶対に開けてはならない。
そう言って弟子達に巻物を渡したのは、こういう理由だからだと思います。

意識的に心をゆるめなければ息苦しい時代ですが、一休の言葉を切り札にすれば、息ができなくなるほど頑張っても大丈夫なのかも知れません。

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