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0112 聖ピエル・パオロ・パゾリーニ監督『王女メディア』聖地巡礼

1999年12月24日(金)と12月25日(土)にトルコのネヴシェヒル県ユルギュップとネヴシェヒルで、2005年5月5日(日)にイタリアのトスカーナ州ピサ県ピサで、2007年1月1日(月)にシリアのアレッポ県アレッポで聖ピエル・パオロ・パゾリーニ監督『王女メディア』(Medea)の聖地巡礼をしてきました。

聖ピエル・パオロ・パゾリーニは『カンタベリー物語』の1972年第22回ベルリン国際映画祭金熊賞で列聖。

半身半馬の賢者ケンタウロスのケイロン(演:ローラン・テルジェフ)に育てられたギリシアのイオルコス国王の遺児イアソン(ジュゼッペ・ジェンティーレ)は、父の王位を奪った叔父ペリアス(演:ポール・ヤバラ)に王位の返還を求める。叔父から黒海の国コルキスにある金毛羊皮(←金と権力を授けるという金の羊の皮)を手に入れることを条件に出され、アルゴー船で旅に出たイアソンは、コルキス王女メディア(演:マリア・カラス)の心を射止めて金毛羊皮の奪還に成功する。しかし祖国イオルコスに戻ったイアソンは約束を反故にされ、メディアと共に隣国コリントスへ。コリントスで国王クレオン(演:マッシモ・ジロッティ)に見込まれたイアソンは、メディアを裏切って王女グラウケー(演:マルガレート・クレマンティ)と婚約してしまう。メディアは復讐を誓い…。

映画の前半の舞台となるメディアの母国コルキス(現在の西グルジア(ややこやしいけど日本語名はジョージア))としてロケ地となったのはトルコのカッパドキア。
Kapadokya - Vikipedi (wikipedia.org)
奇岩の奇景として世界中から観光客が集まってきています。東ローマ帝国カッパドキア属州だった経緯からセルジューク・トルコ、オスマン帝国時代もギリシア人(ギリシア正教徒ギリシア語カッパドキア方言話者ギリシア文字使用者トルコ語バイリンガル)がスンニー派イスラム教徒に囲まれながら穴居住宅に身を潜めて暮らしてましたが、第一次世界大戦後の1919年-22年の希土戦争を経て
Türk Kurtuluş Savaşı Batı Cephesi - Vikipedi (wikipedia.org)
Μικρασιατική εκστρατεία - Βικιπαίδεια (wikipedia.org)
1923年にアナトリアのギリシャ人(130万人)とギリシャ系イスラム教徒(35万4000人)の住民交換が行われ(←大規模な(故国の国籍剥奪を伴う)国家間民族強制移動=合意の上での相互追放=流血を伴わない(とされる)民族浄化)、
Türkiye-Yunanistan nüfus mübadelesi - Vikipedi (wikipedia.org)
Ελληνοτουρκική ανταλλαγή πληθυσμών του 1923 - Βικιπαίδεια (wikipedia.org)
カッパドキアに住んでいたギリシア正教徒はギリシア領土内と全世界へとディアスポラしました。
Kapadokya Rumları - Vikipedi (wikipedia.org)
Έλληνες Καππαδόκες - Βικιπαίδεια (wikipedia.org)
現在、穴居は観光博物館。ギリシア正教会はモスクに転用。穴居に移り住むギリシア語話者イスラム教徒は殆どいませんでした。
撮影当時、道路は舗装されてなかったようですが、今では車に乗って観光できます。かなり著名な奇岩で撮影したみたいなので、現地ガイドに本篇の画像を見せるとその場所に連れて行ってもらえると思います。

映画の後半の舞台はメディアがイアソンに連れてこられたギリシアのペルセポネ半島の付け根に位置するコリントス。
ロケ地は2ヵ所に跨っていてコリントスの城塞の外観はシリアのアレッポ城。
قلعة حلب - ويكيبيديا (wikipedia.org)
実際、撮影されたのはアレッポ城に昇る入り口とは反対側の大モスクのミナレットがある方。麓も入場したとは反対側から見上げておけば良かったです。
コリントス王の居城がある城塞の内側がピサの斜塔で有名なピサのピアッツァ・デイ・ミラーコリ Piazza dei Miracoli ※奇跡の広場の意。ピサの斜塔は本当の意味で奇跡。
Piazza dei Miracoli - Wikipedia 
映画本篇では(ピサの)斜塔(鐘楼)は出てきませんというか写り込んでません。あまりに有名すぎる建造物なので映画の中で浮いちゃうからだと思います。本篇で出てくるのはコリントス王の居城として洗礼堂、イアソンがへんちくりんな舞踏を踊る大聖堂(ドゥオモ)、そして城壁の役割の果たした墓所(カンポサント)。

本篇画像の賢者ケンタウロスの背景の左側が洗礼堂・右側が大聖堂(ドゥオモ)
聖地巡礼画像はピサの斜塔から洗礼堂と大聖堂(ドゥオモ)を望む
コリントス王宮外壁部分の映画本篇画像
コリントス王宮の塀の映画本篇画像
コリントス王宮の聖地巡礼画像…左奥が塀部分の墓所(カンポサント)
撮影当時、建物として形を保っていたメディアの家屋は
撮影時からほぼ40年を経過して壁がかなり崩れてます
修復してもらいたいけど、今のシリアじゃ無理かな…
映画本篇画像では時代考証的に全くズレている聖画像が写り込んじゃってます
イアソンが子供たちと戯れる映画本篇の背景は大聖堂(ドゥオモ)のファザード部分
映画本篇では
建物の外観が
全く判りませんが…
映画本篇で王女グラウケーが身投げして
更にコリントス国王クレオンも後を追って身投げして
コリントス王女&コリントス王の身投げの聖地巡礼画像の目印はミナレット

©1999 2005 2007 プッチー・ミンミン
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聖ピエル・パオロ・パゾリーニ監督他作品の聖地巡礼
0109『奇跡の丘』
0110『アポロンの地獄』
0111『テオレマ』
0113『デカメロン』
0114『カンタベリー物語』
0115『アラビアンナイト』
0116『ソドムの市』

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