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信じることの手をゆるめる|ぼんやりノート

信じることは無条件にいいことだと思っていた。
けれど、そうでもないらしい。

最近、家事やら育児やらで夫に文句を言いすぎてるな、と思った。
反省しているものの、自分ではどうにもコントロールできなくて、どうにかならないものかと救いを求めて、夫婦とか家族とかの本をいろいろ読んでいた。

そして、覚えておいたほうがいいと思った言葉。

「地球は丸い」みたいにいつの間にか当然のこととして信じていることがたくさんある。(中略)
「信じている」ときってあまり深く考えていない場合が多いような気がする。
「自分を信じて」努力することは素晴らしい。あらゆる活動の原動力になる。
でも「誰かを信じる」ときに信じる方向性を誤ったり、行き過ぎたりすると、理不尽な重圧になる。
そしてなぜか過剰な信頼を裏切った方が責められる、という状況もよく見る。
恋愛や友人関係や職場や学校などあらゆる場面でこの異様な状況は発生する。
閉塞的であればあるほど勘違いは加速する。
信じ合える関係は素晴らしい。
だからこそ自分の信じ方や程度が現時点で適切かを気にしなきゃなーって思う。
もちろん変に疑うのは避けたい。
自分を適度に疑い、妻を適切に信じる!…ようにしたい。


わたしの場合、夫を信じることが行きすぎていて、夫にとって理不尽な重圧になっていた。

実際、夫に「家事や育児のことで、いつも注意されたり何か言われたりして苦しい」的なことを言われたこともある。
わたしはそれについても文句を言うという、今考えると非常に申し訳ない対応。

家庭はとても閉塞的な環境で、わたしの勘違いは加速しまくっていた。
自分と同じく家庭を支える夫なんだから、得意じゃないのは知ってるけど、少しでも家事や育児をしてほしい、と常々考えていた。
けれど、それは「信じすぎ」「プレッシャーかけすぎ」ということなのだろう。

次に、同じ本から、激しくうなづいた部分を紹介する。

相談者:
実は最近、妻の機嫌が悪いときが多くて、理由が全然分からないんです。だから料理や洗濯を「手伝う?」って聞くと断られちゃって…(中略)

作者:
炊事洗濯は奥様一人の仕事ではなくて「自分がやるべき生活動作」と考えていれば「手伝う」なんて発想にはならないと思います。共働きなら尚更。
今後の家事分担や協力の為に覚える姿勢ならまだしも、単なるご機嫌取りの一時的対策の為に言っているのが見え見えだったとしたら腹も立つかもしれないですね


今回のわたしの悩みへのこたえは、
腹が立つ場合もあるが、プレッシャーかけない程度に夫を信じましょう
である。

なんか夫ずるい!と思わなくもないが、夫と結婚すると決めたのはわたしなので、修行と思うことにする。


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