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【NZ生活】1年目☕️🌳🐑ゆるゆるまとめ

Z世代はあまり絵文字を使わないと聞いたけどほんとかな💭
気づいたら後10日で31歳だし、そろそろジェネレーションギャップを感じるお年頃。
どうも、Eriです🙋‍♀️

この投稿を書き始めた今日は2023年7月18日。
ニュージランドに降りた立ったの2022年7月17日。
あれ?ほんとに1年経ったの?
というぐらい気づいたら時が経っていた。

毎月のことはその都度『月間まとめ』として書いてきたけど、1年目を今日の目線からふわっと見返してみようと思います📝

さーて何から書こう
(すでに長文になりそうな気がして、noteは基本iPadで書くのに、今日は気合い入れてMacBook開いちゃってる🙈どうした自分←)


そもそも何で私NZ来ようと思ったんだっけ

そういえばそんな話を書いてなかった気がする。(覚えてないだけかもだけど)

そもそもなぜワーホリ?

始まりは2021年の年末頃。
当時絶賛人生迷子中でただ地元佐賀のパン屋さんでアルバイトしてただけの29歳だった私に1つの考えが頭をよぎった。
あっ、私まだワーホリ行ける歳やったなー💡」と。

20代のほとんどワーホリに興味を持つことはなかった。
でもコロナ前まで働いてたセブ島での語学学校職員時代に、フィリピン留学を前座にその後ワーホリや長期留学に旅立つ生徒さんたちをたくさん見ていたからか、なんとなく自分の中にも「ワーホリ」が選択肢の中にやってきたのかも。

でもきっとそれまでの自分には、
「ワーホリ=旅」「ワーホリ=現地でだれでもできるアルバイトやってただ稼ぐ」「ワーホリ=海外生活体験」
的なイメージしかなかったんだろうな。(なんてステレオティピカルな考えだろうか)

アメリカの高校に進学し3年過ごしたり、セブ島で正社員として雇われてた経験を経たあとにワーホリに行くのは、なんか時間の浪費に感じてたのん。
別に英語をがっつり勉強したいわけでもないし、働くならバイトじゃなくてちゃんとキャリア作りたかったり、そもそも海外生活は2カ国すでに経験済みだから別にワーホリで1年だけ新たな国開拓せんでも、
にゃーんて変なプライドや意地がやった気がするこの頃の自分。

それでもコロナ禍到来でセブから緊急帰国して今後のキャリアプランが一旦全部白紙になって、人生露頭に迷ってきたし、帰国してまた日本の外に住みたい欲が高まってた時だったから、ワーホリっていう異国で1年何してもいいビザって魅力的だったんだと思う。

「行くならどこがいいかなー」
行きたい国は不思議と1カ国しか思いつかなかった。

なんでニュージーランド?

二十歳の頃からなんとなく来てみたかった国だった。
佐賀の田舎出身なこともあってか元々都会より地方の自然が多いところが好きだし、20代前半にNZ在住の四角大輔さんの自己啓発本を何冊か読んで彼の生活に少なからず憧れてたとこもある。
(なんかNZ選ぶ人に四角さんファンは多い印象)

でも20代ずっと本気でこの国に行く気にならなかった。

だって南半球のめっちゃ南で日本から遠いし、
行ったとて自分にできる仕事あるかわかんないし、
大自然は見たいけどそれって別に人生で1回で良さそうだし、
そんな言い訳ばっか出てきちゃって、本気で行くぞスイッチが全然入らずに29歳まで来てた。30代はすぐそこ。

ワーホリ先としてNZが思いついても現地でどんな生活してるかなんて想像できんかったけど、それでも「行ったほうがいい気がする」っていう心の声だけ信じて、とりあえず行動に移そうと決意した2021年の年末。

あれよあれよといろいろ決まって、迎えた渡航日

でもそんな気持ちを固めたこの時点ではまだ開国してなかったニュージーランド。
30歳の誕生日前(2022年7月末)までに開国したらいくか!って思ってたら、2022年3月になんと開国🙌
しかも日本人のワーホリはコロナ前と同じで人数制限なしでビザ代は申請手数料3000円ぐらいで他のワーホリ加盟国と比べても好条件。
開国したその日にひとまずオンライン申請を済ませて、4月頭にはビザ無事ゲット🎉

その後は日常過ごしつつ、現地に唯一いた友人に現地生活のアドバイス聞いて日本で出来ることやったり、食べたいもの食べ納め、会いたい人に会い納め、行きたいとこに行き納めしたりしてたら、あっという間に渡航日🛫

2022年7月16日出国
佐賀の実家から福岡空港→シンガポール乗り継ぎ→NZクライストチャーチ着
の旅路を経て、
2022年7月17日に入国したのでした。

縁と引き寄せの連続のNZ生活スタート

引き寄せはすでに始まっていた説

私のNZ生活を全て整えてくれた恩人のような友人がいる。
彼女との出会いは2020年の半ば頃だっただろうか。
今思えばあの頃からこの国に来るように引き寄せは始まっていたと言っても過言ではない。💭

出会いは共通の友人の紹介だった。
セブで社会人やってた時に出会った日本人の友人から久しぶりに連絡があり、
「えりちゃんと気が合いそうな友達いるから紹介していい?」と。

結構深い話もする仲の友人だったので、「この人が繋げたい人だったらきっと素敵な人だろう!」そう思い、二つ返事で了承した。

当時東京に住んでいたその友人と、佐賀にいた私と、繋げたいと言っていたニュージランド在住の同い年の女の子(日本人)と一緒の3人でZoomでお茶会🍵
環境問題のこととか人権のこととか、自分の興味あることの話で盛り上がり、めっちゃフラットな目線でなんでも話せそうな雰囲気が心地よく、この子とすぐに仲良くなった。

その後もこの3人で何回かお茶会したり、共通の友人なしで2人でのお茶会も、オンラインで何回かやった。

ただこの頃はまさか自分が思いつきでNZワーホリに行くなんて、まっっっっったく考えてなかったのだけどね。

この出会いから2年後、ワーホリビザを取得し、実際に行くことが現実味を帯びてきた時、私は迷わず彼女に現地生活でのアドバイスを求めた。

すると想像以上に順調すぎるぐらい順調な展開が待っていた。

イレギュラーな家探し職探し

こちらに来る前も来てからも、世界中にいるワーホリ中の方々のnoteをよく読みます。

渡航直後の投稿内容として1番多いのは、皆さんやっぱりお家とお仕事探し。
生活の基本。大事です。

大多数の方々が渡航後何かしらの方法で家と仕事を見つける中、私の場合は渡航前にどちらも決まるという奇跡が発生

それもこれもずっとオンライン上での交流しかなかったけど仲良くしてた、あの子のおかげです。

そもそも最初の滞在先にクライストチャーチを選んだのも彼女がこの街に住んでいたから。
いくら海外生活3カ国目とはいえ、初めて来る国は勝手もわからないし、緊張するのよ。
だからたとえオンライン上でしか交流なかった人でも、知ってる人がいる街ってだけで心強く感じるものだ。

NZ在住7年ほどの彼女に、家探しや仕事探しのツール、渡航後すること(銀行口座開設とかIRD取得とか)の方法聞いたりと、ビザを取得したぐらいから何度か連絡をとって情報を集めていた。

でもやっぱ仕事と家って、土地勘とか相性とか行かないとわからんやん?
だから渡航前に出来ることってたかが知れてるし、でもある程度目星はないと不安だなーって感じだったなー。

そんなそわそわ?心がざわざわ?する日々を過ごしていたらふと彼女から連絡がきた。

「ちょうど私の職場今バリスタ探してるんだけどどう?」
「私の住んでるフラット空きあるからオーナーに相談してみようか?」

なぬーーー!!!仕事も家も自らやってきた!!!!
なんだよ、これも完全にNZでの人生のスタート保証されたパターンじゃん。
もうこれニュージランドが私を呼んでるやん。←

言うて日本でのカフェ経験はスタバのみでマニュアルのエスプレッソマシーンすら触ったことなかったけど、一応スタバで5年ぐらいは働いてたから接客業は大丈夫だろうっていうのと、英語オンリーの環境も米国とフィリピン経験してるから問題ないだろうっていうのとで、
「えりちゃんに来てほしい!」って思ってくれたらしい。神かよ🥹

本来ならこっちのカフェ採用って、
履歴書出す→面接→トライアル(適応確認)→合否
って流れが主だと思われますが、ここでもイレギュラーフロー発生!

急に人が必要になったタイミングと、私の渡航時期が重なったこともあり、渡航後できればすぐ勤務開始して欲しかったのがこの子の希望。

でも採用ってなるのとボスの承認が必要なので、ひとまず日本から出来る採用フローとして、ボス・この子・私の3人でオンライン面接をしていただくことに。

それまでの人生でNZ英語を聞く機会がなかったので、ボスの英語に若干四苦八苦しつつも、なんとか経歴やNZで働く環境に求めること・自分が発揮できることそれなりに伝えることが出来た。

その面接から数日後、届いたボスからの合否のメールは… まさかの採用!!!

え???私そもそも履歴書も出してないし、まだ現地いないからトライアルも受けてないけど???いいんですかーーーー!?!?!?
なんて感謝と驚きで心いっぱいだった渡航1週間ちょい前。

こんな奇跡が起きたのは、紛れもなく誘ってくれたこの友人がすでに職場で持ってた信頼のおかげ。
改めて3年前にこの子と繋いでくれたあの友達にはなんとお礼を言ったらいいか分からないレベルで感謝してる。🙏

こうして私の初めてのNZ生活は始まりました。

友達ゼロでも、孤独ゼロだった最初の5ヶ月程

そんなまさかの展開で、今も働いてるローカルカフェに採用していただき、到着した2日後から勤務を開始。まずはフロント(レジしたりコーヒー運んだり)からスタート。

NZ英語独特の母音の発音や、アメリカ英語にはなかった表現に最初の1〜2ヶ月は戸惑いつつも、日々ちょっとずつ慣れていった。
ってかそもそも今まで完全英語環境で働いことなかったことに気づく。
All Englishな環境は米国での高校時代以来だ。

だからか初週とかは業務内容と英語脳で頭パンパンで、帰宅後の睡魔が半端なかった。

特にレジで聞き間違えとかでミスすることが多かったが、3ヶ月目ぐらいからぱったりミスが減った気がする。

優しく気の利くメンバーばっかりで本当に楽しい日々。
毎日がここで働けていることへの感謝で満たされていた。

プライベートは気付けば1人時間ばかり。
職場で同じ休日の人いなかったから出かける相手が純粋にいなかった。
家でたまにご飯会とかはあるが、外出は1人時間を大満喫していた。
(大家さんにSumner, Lyttleton, Akaroaあたりは連れて行ってもらったなーありがたし)

一緒に住んでる大家さん夫婦が良い人だったり、
フルタイム(週5)勤務で素敵なみんなに囲まれて働いてたしで、
休日は1人を楽しみたかったのかも。
いかんせん繊細さんが故に1人時間めっちゃ大事にする特性でして。

日本では難しかったベジのごはん屋さんを開拓したり、
手間かけてフムスとかキムチを自作してみたり、
ただただ散歩に出かけたり、
日本いた時趣味だった献血に行ってみたり(鉄分不足で協力出来ずだったが)、
オンラインでフリラーンス育成講座受講してみたり(結局その後フリーランスなってない)、
オンラインヴィーガン料理レッスン受けてみたり、
カフェででぼーっと今後のプラン書き出してみたり、
ご褒美に好きなアーティストのライブ行ったり…

1人でも出来ることはたくさんあるからね。

むしろ日本では出来なかったベジご飯開拓や、日本には来ないアーティストのライブに行けて、日本にいた時にハッピーな要素しかなかった。

仕事に慣れてきた10月頃からは、職場でバリスタトレーニング受けてバリスタデビュー!
ラテアートやミルクのスチームもがなかなか安定しなくても、他のバリスタたちが支えてくれてめっちゃスローな成長かもだけど日々精進出来てる(現在進行系)☕

そんな学びと楽しみの日々過ごしてたら、プライベートずっと1人の友達なし子だったのに、全然寂しくないし、なんならホームシックもなくて、11月になってた。おー

季節は桜満開の春を経て、初夏がやってきた11月末、
仕事もプライベートもいろいろと動き出す。

順調すぎる仕事とプライベート

私のNZ到着当初のワーホリ1年の使い方はこうだった。
半年ガッツリ働き、もう半年は旅とか農業しながら放浪する

だがクライストチャーチでの生活が肌に馴染む感じや、職場が居心地いいなーと思ってた矢先にふと思った。

「ここを半年で辞める必要あるか?ってか国内放浪に半年もいるか?」

にゃーんて思ってたら12月頭頃、職場のボスからこんな提案がくる。

「そういえばえりってワーホリ終わったら何する予定?もしこのままニュージーランド居たいなら就労ビザ手伝うよ🙋

あら、それはありがたい!😍
この時は就労ビザの取得プロセスとか全然知らんかったけど、別に日本に帰る理由もないし、ギリッギリもう1カ国ワーホリ行こうと思えば行けたけど、ひとまずお言葉に甘えてビザ取得を目指すことに。

この頃からやっと仕事や家の外で友人が出来た。

行きつけのカフェでビーサン褒めてくれた女の子と、職場の常連さん。
インスタやnoteで知り合ったこの街在住の日本人の方々にもお会いする機会が増えて来たのもこの頃だったかな。

職場の常連さんとは、年末ぐらいからはパートナーになり(こっちは告白の習慣ないから記念日は未だ不明)、ますますこっちにいる今後の方がしっくり感じるようになってきた。

職場のクリスマス休暇も明けて、新年のやる気MAXな頃、夏の太陽の明るさと比例して、ちょっと暗雲が立ち込めてくる… ☁

長期滞在見えてきた、ワーホリ後半戦

メンタルケアの重要性学んだ数ヶ月

私のパートナーは10年前から行った来たりするうつ病と向き合っています。

出逢ったころ、付き合い出したころは特に症状なく落ち着いていたのですが、1月半ば頃からうつさん再来。

会いたいのに会えない、支えたいけど支え方が分からない。
そんな日々が3月まで続くなんて、最初は想像してなかった。

プライベートの心の拠り所だった彼が居ない日常、とても不安でした。

でもその分、弱みを吐き出せる友人たちの存在に気づけたり、彼との時間がより precious なものに感じられたりと、大切なものに目を向けられるようにもなったので結果おーらい。

なんなら交際初期の段階でこのタイミングが来てよかったなーと、あの時も今も切に思う。

彼の中の心の闇が私達を切り離そうとしても、離れない選択をしなくてよかった。

「この人から離れてはいけない気がする」
そんな直感を信じたからこそ、その後の強い信頼関係に繋がったから🍀

充電しまくった、1ヶ月のホリデー期間

3月は1ヶ月のお休みを頂いて、やっと「ワーキング」しかしてなかった私のワーホリに、「ホリデー」がやって来た。

この頃の思い出はnoteに随時あげてたな。

旅に、食い倒れに、映画館巡りに、飲み会に…

普段の飲食業勤務、フラット住まいでは感覚が鈍り気味になっていた、自然の中での静けさや自分の好きに没頭する時間の素晴らしさを再確認出来た、良き充電期間。

ホリデーが明けるときに、
「わー仕事たのしみー💃」
ってウキウキなれたことは、今の仕事・職場がどれだけ自分の居場所として落ち着いているのかも思い出させてくれた。

そして充電終えて復帰した4月。
ここから真面目に【NZ定住】の未来が見え始める。

就労ビザ取得、円満なパートナーシップ、昇格の先にあるものとは💭

年末から準備が始まった就労ビザの申請準備は、無事2月末には申請を終え、4月末に無事取得🙌

この嬉しさを共有したnote が過去1たくさんの方々にリアクションしていただいのは感無量!嬉泣

これで+2年という、ワーホリの1年に囚われない滞在期間を手に入れたことで、パートナーと今後も一緒にいる未来が見えやすくなった。
彼のうつもこのタイミングで落ち着き始め、一緒に料理したり、出掛けたりすることが多くなる。
数ヶ月一緒に居れなかった期間を経てだと、より毎日が尊いものに感じて、より一緒の時間を大切にするようになった。

仕事では、マネージャーが休暇中に一部業務を引き継いだり、6月半ばからは Duty manager (時間帯責任者) に昇格。

日本でのスタババイト時代に同様のポジションをやったことがあるが、その際は日本スタンダードのホスピタリティを維持するプレッシャーに心折れてメンタルがやられた。
でもこちらだと良い意味でホスピタリティのスタンダードが低く、英語ならではのフランク(でもプロフェッショナル)な対応が可能だからか、慣れるまでは若干のプレッシャーを感じたが、徐々にそれもなくなってきた。
これもsupportiveなチームがいるからだ。🫶みんな大好き

5月末に大好きなミュージカルでまだ日本に上陸してない「ハミルトン」をオークランドに観に行ったことが突破口となり、字幕や吹き替えの翻訳者になることに興味を持ち出す。
カフェ業も好きだけど、フリーで出来るスキルを手に入れたら、より自分らしい働き方・生き方が出来そうだしね😌

そんなこんな現状への感謝感じつつ、今後の野望とか芽生えてたら1年経ってた👀

NZ生活2年目の抱負🐑

気分が落ち込むこともあったけど、総合的にめっちゃ平和で心穏やかだった1年目。

うーん2年目に大事にしたいこと、何かなー🤔

学びを止めず、感謝を忘れず、未来に繋げる1年にする

これだな✌️

思えばこの1年、日々を丁寧に過ごしすぎて英語の勉強全くしてないことに今更ながら気づいたし、Kiwiの彼や職場のみんなともっと込み入った話が出来る語彙力・コミュ力を手に入れたいし。
10月からは本格的に翻訳の勉強を始める予定だ。💪

バリスタとしては、ラテアートのスキルやコーヒーの知識も高めるぞっ。

でもそんな学び・キャリア向上の日常の中でも、小さなことでも「ありがとう」"Cheers" を言える心のゆとりやしなやかさを大切にしたいと思います。します👍

2年目もゆるゆる、のんびり、ここnoteにその時々の想いや思い出残してこ💜

Kia Ora

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