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【note版】りんごの木

ときおり気ままに、エッセイを書かせていただいています。原文はこちらからご参照ください。

たわわに実るりんご。

今年もこの季節がやってきた。わが家の庭のど真ん中に鎮座するりんごの木は、いま頃青い実をたくさんつけ始める。

スーパーに通年ならんで季節感のないりんごとは違い、わが家のりんごの木は季節の移り変わりをはっきりと示してくれる。日本よりも冷たく長い冬が終わり、春になると見事な薄もも色の花を咲かせ、ひらひらと舞い散った後は小さな硬い実ができ、夏の食べ頃になれば青いまま枝からボタボタ落ち、涼しい風が吹く秋になると紅葉した実の最後のひとつまで落ちきり、冬にはついに葉っぱすらも落ちて寂しくなる。

このりんごの木は、ちょうど台所の窓から真正面に見える。

息子は、5歳でイギリスの現地校に入った。

英語をまったく解しない日本の子供を受け入れてくれる、それだけを重点に学校探しをした。「定員枠や条件などの関係で、すぐには入れなかった」という話も聞いていたが幸い、適応度、学習面においては年齢が小さければ小さいほど入りやすいとの噂だ。

目星をつけた学校に問い合わせ、面談の予約を取りつける。当日は、校内を案内してもらってから、校長と面談というのがお決まりだ。ときおり、母も同じことをしたのか、と思うとまるで自分が母の姿になり変わったかのような、デジャブを感じた。

私のときに比べたら、息子の歳などなんらハードルにもならず、あっとういう間に順応するであろう。そう、楽観していた。

「学年をひとつ下げて、はじめましょう。」

予想もしていなかった展開に、内心動揺しながらも学校生活が始まった。

教室に送り届けると、涙目でこちらを強く見つめる息子。イエスかノーかも答えれず、話しかける先生に激しく首を振り、諦めたようにその場を離れる教師。

「宿題は、毎日20分までで十分です。それ以降は切り上げましょう。」

終わらない。

全然、足りない。
18時、19時、ときに20時・・

横に座って息子の答えを待っているうちに、猛烈な眠気に誘われ、意識が白濁してくる。

私がタイのインターナショナル・スクールに通っていたのは高校だったから、宿題はひとり、静まり返ったリビングのテーブルで、毎晩深夜までかかってやっていた。

カチカチと時を刻む時計の音に焦りながら、窓にふと目をやると夜景がきれいだった。バンコクは、都会だったのだ。

それに比べたら、息子はまだ小さいから英語なんて自然に、勝手にできるようになるんじゃなかったのか?

「そんな深刻に考えなくていいわよ。ウチはかなりテキトーにやってるわ。」

それは、英語ができるから・・

「クリスマスになったら突然話し始めたの」

やはりスペインから英語ゼロで転入してきた、女の子のお母さんが言った言葉だ。

クリスマスまで、あと何日残されてる?

母からは、私のしていることは「親のエゴだ」とまで言われた。そこまで時間をかけて、息子を苦しませていいのか。単に自分が、英語の学校に入れたいだけじゃないのか、とも。

それは・・そうかもしれない。

なぜなら、自分自身が、海外で英語を学ぶことによって、その後の人生が変わったから。息子にも、同じ世界を見させてあげたい。

けれど、それは母も同じではなかったのか?

だから、弟と妹には日本人学校という選択肢があったにもかかわらず、わざわざ私と同じインター校に入れたのではないのか?

少なくとも、息子の場合はほかに選択の余地がなくて現地校に入った。

それとも、片道何時間もかけて、ロンドンの日本人学校にまで通わせるのが、親としての務めなのか?

たまらず台所へかけ込み、流しのシンクに手をつくと、目の前にはりんごの木があった。

暗闇の中、紅葉しかけている実がほのかに蒼白く、光り輝いている。

その年も、私はまだまだ残るりんごをせっせとジャムにし、ゼリーにし、パイにし、ソースにすべく黙々と作業を続けた。

クリスマスはやってきた。

学校では毎年するのだという、イエス・キリストが生まれるまでを演じる聖誕劇があった。息子の役は、キリストの父であるヨセフだ。

「おめでとう!」

父兄のひとりにそう、声をかけられた。羊や星の役など、歌が中心で個人のセリフがほとんどないものと比べ、ヨセフは本来であれば花形の役だったのか。

それとも、私の弟もやはり息子とまったく同じ状況で、まだ喋れなかった年にはタイでヨセフ役を当てがわれたから、ヨセフとは一見中心的で目立つ存在ながら、実はさほど発言せずとも成り立つという、便利な役なのだろうか。

いずれにせよ、担任の配慮を感じた。

舞台には、黙ったまま一度も声を発することなく、聖母マリア役の女の子に手を引かれ、右へ左へとはにかみながら歩く息子の姿があった。

翌年りんごの花が咲く頃、息子は校長の署名入り「勉強がんばったで賞」を手に、本来の学年へ「飛び級」した。

しばらくして、りんごの花はその年も満開になった。

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