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歴史はストーリー

高校では日本史を選択していたのですが、最初の授業で先生が、歴史とは物語である、という趣旨のことを話されていました。

歴史は英語でいえば「history」。その「history」という単語の中には「story」が組み込まれている。だから、歴史の中には物語がある、その物語を楽しんでほしい……みたいな内容。

当時15歳の自分は(マインド的には当時も今も14歳ですが)、それを聞いた瞬間、パーッと頭の上に光が指し、先生はなんて素晴らしいことをおっしゃるんだと感激し、周囲の目も憚らずにポロポロと涙を流し……たりなどは特にせず、「知らんがな」とだけ思いました。

窓の外で鳴く鳥たちと脳内で会話をし、源家とか徳川家とかの良家の皆様なんぞ、どうせ庶民の自分には関係ないし、井伊直弼さんとか本居宣長さんとか字面はなんとなくカッコ良くて好きだけど、大昔のおじさんに興味ないしなあ……などと教科書をペラペラ捲りながらヘラヘラする始末。

ていうか、なぜ日本史の教科書の登場人物って、野郎ばっかなんだ。

世界史なら、クレオパトラさんとか楊貴妃さんとかマリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌさんがいるし、現代社会なら平塚らいてうさんとか津田梅子さんといった活動的なヒロインが登場する。

しかし、日本史ときたらどうだ。冒頭のほうにちょい役で卑弥呼さん、中盤あたりに北条政子さんの鬼畜エピソード、後半で坂本龍馬さんのついでに妻のおりょうさんが出てくるくらいではなかろうか。

ダメですよ、もっと女優を出さないと。月9で放送するには数字が取れない。月9じゃなくて日曜夜のNHKの大河ドラマ枠だから大丈夫だなどと侮ってはいけない。

ちなみに自分が最後に視たのはたぶん『篤姫』である。何年前なんだよそれ……。しかも、主人公が宮崎あおい神だからという理由で視ていた。それ以降もちょくちょくヒロインが出てきているそうですが、まだ足りない。

とはいえ、実際のところ、過去の日本は男性が中心の社会で、それこそ戦国の世なんて、女性は給仕、そして子供を授かるために存在するものと見做されていた故に、活躍の場が与えられなかった、なので日本史の教科書にも出てこない、というのも理解できます。

でも、女性の武将もそれなりに多く存在したそうだし、城には姫がいたはずだし、男性でもみんながみんな戦っていたわけではなく、稲作に身を捧げている人も、魚を売る人も、女性ゲストの着物の帯を回して「あーれー」と言わせるのが趣味のバカ殿もいたはずです。

あるいは、元々は戦っていたものの、段々と平穏な暮らしを欲するようになった人もいるでしょう。

宇宙生物がいる町で何でも屋を開いた天然パーマの坂田さんや、もう人は殺さぬでござると誓い流浪していた緋村さんなどが代表例ですが、その他にも教科書に載っていない人がたくさんいるはずです。

途中からなんか例える人物がおかしくなっているような気もしますが、週刊少年ジャンプは広義でいえば教科書なので、何も問題ありません。

そう、歴史の裏には無数の無名の人たちがいる。それは今現在のこの時刻だって例外ではありません。今日だっていつかは1年前になり、いつかは100年前になり、いつかは1000年前になる。

将来の歴史の教科書はどれほど分厚くなっているのか、あるいはもう紙媒体などなくなって、タブレット端末での授業が当たり前になってすべて電子書籍化しているのかわかりませんが、登場人物は歴史を重ねるごとに増えていって、減ることはありません。

しかし、時間というものの進み方は、いくら科学が進歩しようと変わらず、学校の授業で教えられる範囲は限られている。

未来ではもしかしたらZoom授業が当たり前で学校に登校するということがなくなるかもとか、そもそもその頃にはZoomではなく別の媒体になっているのではないかとか考え出すとキリがないのでそこらへんは省略しますが、とにかく授業は決められた時間内に終わらせないといけない。

だとすれば、どうしても削らないといけない箇所が出てくる。漫画のネームや小説のプロットで、あまり面白くならなさそうな部分を省いていくように、歴史のストーリーから、印象の薄い部分を切り取っていかなければならない。

織田信長さんと豊臣秀吉さんと徳川家康さんの御三家、カリスマ的な人気を誇る源頼朝さんと平清盛さん、落書きのしやすさからこれまた人気が高いフランシスコ=ザビエルさんなどは残ると思いますが、俺たちの卑弥呼さんなんて、そもそも数行しか出てこないので、25世紀あたりの教科書ではスルーされているかも。

そういうことを考える21世紀初頭の日本は、戦をせず、住居は誰かが建ててくれたもので、狩りに行かなくても食料が手に入り、貴族でもないのにこのような戯文を認めて遊ぶことができます。

万が一、32世紀くらいにこのテキストのデータがノート型パーソナル・コンピュータなる骨董品の中から発掘され、授業で取り扱われた時、生徒は空に舞う鳥たちと脳内で会話しながら思うのでしょう。「知らんがな」と。


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