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怒について(#呑みながら書きました)

自分は普段はnoteのテキストにも表れているように、ヘラヘラダラダラフニフニグニャグニャとどうしようもなく生きている人でして、尊敬する人物は小原庄助さんで、叶うものなら朝は寝まくって風呂に入りまくって酒を飲みまくってのんべんだらりと無為な時間を過ごしたまま果てたい……そう願って止まないのですが、残念ながら人間だもの、相田みつをさんと同じく、残念ながら喜怒哀楽がすべてあります。

喜と楽はあっても全然かまいません。

大阪の門真市には喜楽温泉という銭湯もあります。広さも浴槽の種類も平均的なものですが、スチームサウナのムンムンした熱気、半露天にある水風呂と薬湯がお気に入り。あと、背中の両斜め横から水がドバーッと噴射してくるジェット風呂は、なんとなくポケモンのカメックスになった気分になれて実に心地良い。欲をいえば半露天が完全に露天であればもっと良かったのですが、住宅地のど真ん中なので立地的に難しいかな。というわけで、いつも喜と楽をくれます。

哀はどうか。自分は映画などを観ても涙を流すということはほとんどなく、アニメや漫画でもおそらくない。現実に悲しいことがあって泣いたことは幼少時にたくさんあったような気がする。

なぜなら、何を隠そう、いじめられっ子だったからだ。当時はあまり自覚していなかったけど、教室の棚に突っ込まれて箒の先端でツンツンされて、泣いてもやめてくれなかったのはあからさまにいじめである。

そういうことを思い出すと、哀とともに湧いてくる感情がある。そう、怒である。

自分の場合、怒が表面的に出てくることは普段はほとんどありません。人前で喚くことも叫ぶこともしない。ヒトカラでもシラフではできない。シラフではそこまでメーターが回ることがない。いや、正確に言えば回っていることはたぶんある。表面的に出せないのです。シャイなので……。

まあ大人の社会で怒を表面的に出しまくって、机を蹴り椅子を投げ捨て、○○○○○を✕✕✕✕✕✕✕たり△△△△△を☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ればそれはもう爽快かもしれませんが、まあ数年間の勾留生活はやむを得ないでしょう。なので出さないのですが、そのぶん心の中でどんどん怒は蓄積していきます。

その蓄積を自覚するのがいつかというと、アルコールを含んだとき。そう、今です。ただいま本麒麟の2本目です。呑みながら書いています。以前からちょくちょくタイムラインで目にしていた「呑みながら書きました」タグ、僭越ながら小生も参加させていただこうとスマホの文字を打っている所存。ていうかもう1000文字超えてんだよ。前置き長えな。

いつもは、テキストが1000文字を超えたあたりから、一度はじめから読み直して校正したり余計な妄想を付け足したりアラサー以上にしかわからんサブカルネタを付け足したりするのですが、呑みながら書きましたのルール的には、後から読み返して「?」となる内容になったほうが面白そうなので、あえてこのままノンストップで書きます。

メーターを破壊した環状族ヤンキー仕様のスカイラインGT-Rのごとくノンストップでですね。夜中に爆走するああいう方々がああいうことをする動機というのは怒なのでしょうか。

喜とか楽のためにやっているという人もいらっしゃるかもしれません。スモーキー永田さんみたいな人ですかね。スモーキー永田さんについては説明するのがめんどくさいし話があっちこっちいって収拾がつかないので各自ググってください。ある意味では偉大である意味では最悪な記録を持つ日本人の方です。

自分も怒を表現すべく、いっそ街に繰り出そうかと思うも、ペーパードライバーだし車を持っていないし、何よりも飲酒しているという現実を秒で見せつけられてやめました。うちはインターチェンジに近く、少し先には峠もあるので、よくパラリラパラリラな音とサイレン音の大合奏バンドブラザーズが聞こえたものですが、最近はとんと音沙汰もなく。あれ?なんの話だっけ?

怒でしたね。

自分は酒を飲むと、脳裏に蓄積された怒が塊となって現れ、やがてその塊はモヤモヤとなります。アルコール中毒者にはピンクの象が見えるという説がありますが、自分はそれは見たことがありません。代わりにピンクのモヤモヤしたオーラみたいなものが出てきて、それを潜ると別世界にある怒が出てくるのです。

ドラえもんの『のび太とアニマル惑星』は、のび太の隣の部屋に出てきたピンクのモヤモヤを通り抜けたらそこは動物たちの星だった……というファンシーな内容ですが、自分の脳内のピンクのモヤモヤの向こうは、もうなんというか、怒、怒、激怒、怒、憤怒、怒、悠という感じでしょうか。悠は関係ないのですが、むかし自分をいじめていた奴の名前に含まれていた漢字なのでついでに出てくるのです。

心がぴょんぴょんではなく心がビュンビュンする感じ。心がビュンビュンするんじゃよ。こういうパロディをシラフで書くときはいちおう元ネタをちょっと調べて間違っていないか確認してから書くのですが、この心がぴょんぴょんに関しては正直なところ元ネタを知りません。

あ、本麒麟3本目に入りました。怒が脳裏に出始めているのは自覚できるのですが、かといって部屋で雄叫びは上げません。

リアルの自分を知っている方にはもしかしたら意外かもしれませんが、昔は酔っ払ってひとりでブチギレてひとりで壁とかに破壊行為……まではいきませんが、まあ、……あの、……、それなりになんか、その……スヌーピーのおもちゃ箱を破壊するとかは……。ゴホンコホン。あとは、公園で叫んでしょくしt……、いや、あの、怒のはなしでしたね?

たぶん自分が25歳くらいの頃に本麒麟を煽ってこれを書いていたら、幼少期からの俺をいじめていたやつらの全ての名簿をここに記し、ロキノンの巻頭10万字インタビューも真っ青な恨みつらみを書き連ね、昔と違ってまともなコンプライアンスが存在するnote運営陣(この発言も危うい)に危うくBANされるところでしたが、残念ながらマインドは14歳とはいえ世を忍ぶ仮の姿では30年以上の年齢を重ねておりまして、そこまでの勢いってないんですよね。

あえてタイトルは出さないのですが、耳の聞こえない女の子をかつていじめていた男の子が、その女の子に謝りに行って関係をやり直す内容のアニメがあるじゃないか。あれ、自分はたまたま少年マガジンに読み切りが掲載された頃から知っていたのですが、有名になるごとにだんだんと良い話みたいな風評になっていくことに疑問を覚えたのです。

かつて自分をいじめていた相手が、唐突に訪ねてきて、あの頃のことを謝りたいだとお?んー、まあ、ここまではいい。でも、その動機が自分もいじめられたからだとお?

確かに物語として良くできているとは思いますが、あの主人公がいい奴とは思わないし、ヒロインとのラブコメが出てくるのもなんだかなあと個人的に思った記憶があります。という落ち着いた注釈を今なら付けられますが、あれを読んだ20代後半くらいの頃はひとつ上の段落の感想のみでしたね。

それはなぜかというと、他人には他人の人生があると自覚したからです。

自覚したからこそ、なんでこいつはこんなに性格がクソなのに友達にも恋人にも不自由なく生きてきたんだ……とか、なんでこいつはこんなにも仕事ができないのに全く咎められないんだ……とかの感覚もまた生まれたし、それなりにムカついたのですが、どうせ他人の人生です。

そして、他人にとっての自分の人生は、他人の人生です。気が合わない人も、許せない人もいる。ただ、怒というものは人間に付いて回る。酒とともに回る。回った結果、どうでもよくなる。好きな人は好き、嫌いは奴は嫌い。それでいい。どうせわかりあえない相手に怒るだけ無駄。

ということを、本麒麟3本で悟れた俺、えらい。昔は6缶パックを潰した後もなおネチネチと引きずり、イヤホンでDIR EN GREYを爆音で聴きながら脳内で以下略。まあ、怒は基本的に無駄です。だから、怒で眠れなくて悩んでいる人がもしこれを読んでいたら述べたい。ソープに行k……、いや、寝ろ。あるいは銭湯に行け。

※ここだけシラフの追記:どうやら「呑みながら書きました」期間は過ぎているようで、迷惑をかけるといけないので、本文はそのままですが、タグは外しておきます。


サウナはたのしい。