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ドライなスイミングスクールのおかげで

スポーツの才能が全くありません。

営業の才能もありませんでしたが、そこは数打ちゃ当たる戦法や、売れている人にしがみつく金魚のフン戦法でなんとかしていたものの、スポーツに関しては誤魔化しや融通は一切きかず、持って生まれたものでほとんど決まってしまう。

これは幼少時からふつうにできた人には信じられないでしょうが、自分はボールを上に蹴り上げるということができない。

横になら蹴れるが、ポンッと空中に弾ませることができない。何をどうしてもできない。そんなもの慣れだといわれるかもしれませんが、自前のサッカーボールを買って毎日1時間それを触っていてもできませんでした。なのでサッカーは断念。ボールと友達になれるというのは才能なのです。僕は大空翼くんにはなれないのです。

ソフトボール部に所属していたこともありますが、恐るべきモチベーションの低さでメンバーたちからの反感を買いまくり、そのチーム自体も星野監督時代以前の阪神タイガースを超える負け数を記録していたので、なんの感動もなく、誰にも惜しまれずに進級とともに解散。

ソフトボールでこれなので、たぶんもっとハードな野球は断念。というか、球技を断念。

このあたりから、持久走を除く体育の授業が苦痛になりはじめる。

基本的にみんな体育で持久走をやると先生が言うと眉をしかめ、バスケやバレーをやると言うと喜び勇みますが、自分はまるで逆をいっていました。

そのような、スポーツマンシップを完全に精神からも肉体からも取り払った、協調性ゼロの無気力ボーイだったわけですが、水泳だけは唯一、そこそこ続きました。小学校の6年間まるまる、ずっとスイミングスクールに通っていたのです。

スクール生は水泳用帽子のてっぺんにワッペンを付けており、習っている泳ぎの難易度が上がるごとにこのワッペンが替わります。

最初はまず10級から。上はどこまであるのか忘れましたが、段はなかったと思います。いちおう小学生限定のスクールなので、そこまで行くのはたぶん水泳選手になる将来を渇望されているようなガチな小学生スイマーだけだったはず。

そんなガチな感じではまるでなかった自分は、しごくのんびりまったりと泳いでいました。

級ごとに、班みたいになって、先生からレクチャーを受けるのですが、実力がある子はまだ低学年でも上のほうの級に行くし、そうでない子は高学年でも下のほうの級にいます。自分がどちらだったかというと、まあ後者です。

それでも、不思議とスイミングスクールを辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。

剣道は見学はしたものの結局やらなかったし、公文式は体験学習のみで辞めたのに。

剣道をやらなかった理由は、面を付けるのがダサいと感じた(超失礼)から。公文式に関しては、当時テレビCMに棋士の羽生善治さんが出演していたので、公文の教室に行ったら羽生さんが教えてくれるのだと勝手に勘違いしていて、実際に受けてみたらただのおばさんしかいなかったことに勝手にがっかりしたからです。

そんな根気のない自分がなぜ6年間も水泳だけは続けられたのかというと、まず個人競技だったからというのが大きいです。

チームプレイを必要としないので、みんなと仲良くする必要がない。どうせ級が上がったら違うインストラクターの先生のもとに行くのでそこでお別れ。

最短なら1ヶ月、それも週1でしか会わないので、3〜4回しか一緒にいることがない、そんなドライな関係。なので、スイミングスクールに友達はほとんどいませんでした。

最初は同じ学校の同級生もいたけど、大半は自分よりも先に上の級に上がっていたので、だんだん会うこともなくなりました。

でも、どの先生も、おまえと同じ学年の奴らはもっと上に行っているんだから、みたいな根性論は口にしませんでした。

後から思い返してわかったことですが、これはかなり大きい。つまりは、あくまで自分のペースで覚えることを優先してくれたということです。

そんなわけで、クロールと平泳ぎはできるようになったものの、バタフライに関してはなんとも怪しいままに卒業したのですが、途中で無理に先のところまで練習させられていたら、たぶん6年も持たなかったでしょう。

プロになって結果を出さなければいけない立場になったなら別ですが、あくまでアマチュアの場合は、技術があろうがなかろうが、上手かろうか下手だろうが楽しいということが重要です。

でもやっぱり、大抵のことは、自分が上手くできないと楽しくありません。

絵が下手な人は絵を描いて気持ちが晴れるということはあまりないだろうし、勉強が嫌いな子は塾の授業についていけないと嫌になるだろうし、球技がてんでできない自分は野球やサッカーをする楽しさが未だにわからない。

人間、どうしてもできないことや、できるまでに時間がものすごくかかることもあります。自分の場合はスポーツ全般がそうでしたが、水泳だけはちょっとだけできるようになりました。 

それは、ものすごく長い時間をものすごく長い目で見てくれたスイミングスクールの人たちのおかげです。ありがとうございました。

あと、スクールから帰ってきた頃に放送されていたアニメ『YAT安心!宇宙旅行』のおかげでもありますね。桂さんかわいいよ桂さん。



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