その誰がに。
もう2024年になった。
お札もなんかいつの間にか新しくなってるし。
今こうしてイスに座って台本を書く毎日というのは、自分が望んだ未来では無い。
こんなはずでは無かった!
というほど落ちぶれているわけでもない
思い返せば
僕は生きてきた人生のほとんどを幸せに囲まれて優しさに包まれて生きてきたように思う。
絶望の底に足をついた時に
生まれてからのことを走馬灯ではなく、歩亀塔のように登ってみたが
笑顔で語れるほど自慢できるほど良い人生だった。
大学を卒業して
作業療法士の資格をとって就職してその次の年には入籍して子供を育てて。
順風満帆とはこのことだと言えるほど何不自由ない生活を送っていた。
その頃の僕には野望やら夢やらがあった。
仕事の傍ら、自分の実現したいことに向けて時間も睡眠も度外視で打ち込み続けた
それがたしか5.6年経った頃、崩れ去った。
苦楽を共にした奴とはその瞬間から疎遠になった。
積み上げてきた努力も苦悩も喜びもぜんぶ
壊れたら無かったことになるんだと思った。
自分が壊そうとしなくても他人によって壊されるんだと、なんか知りたくなかったことを知ってしまった気がする。
それから
10年間に渡って築いてきた家庭が崩壊した。
あっという間というよりも『瞬間で消えた』に近い。
2020.7.12 深夜のことだった。
その日を境に僕の人生はまるまる別物になった。
というか生きたまま死んだので、自分というものがそれ以来存在しない。
享年30歳で彼は亡くなった。
生きる意味も死ぬ楽しみも見出せないまま治療を続けてどうだったろうか?
治療に並行して心理カウンセリングをハイペースで受けてトラウマの対処法を身に付けようとした
だけどトラウマが強すぎて喰われ
ひとつ手前のトラウマに近い嫌だったことを題材にトライすることにした。
たしかそれが当時壊れて消え去った追いかけていた夢の崩壊のこと
積み上げてきたものがどんなに強固だとしても
大災害のような出来事には勝てないということ
左右に目を動かしながらペンを追いかけて胸の中のザワザワを探る日々だった
社会人復帰に向けて努力を続けた2年間も虚しく、退職2週間前に職場で未遂をはかり入院になった
送別会なんてものは無く、静かに職場から消えた。
積み上げてきた9年間の作業療法士という天職のような仕事もたかだか他人に奪われて壊されてしまった。
どうしてこうも僕の積み上げたものをすべて壊されるのか。
休職をしている間
遺言にとTikTokを始めた。
1投稿目からバズり、2週間も経たずしてあっという間にフォロワーは1万人を超えた
遺言の投稿故にアンチや誹謗中傷は当時のTikTokの中でも群を抜いてひどいものだった。
共感して一緒に頑張りたいという人たちが増えていく中、もうどうせならアーティスト活動にしていこうと決めたわけだが
これも積み上げていくうちにファン同士のトラブルが起こり
結果的にまた積み上げたものは壊されて消えてしまった。
また壊された。と思うと同時に
こんなに大切なものがすべて壊れていく人生ってなんだろう?と疑問に思い
逆に自分が人間としてあまりにも身勝手で最低な奴だからなのではないか??と毎日毎日疑った。
反省の日々、自分が悪かったところを探して
いろんな人に意見をもらって修正いく中で見つかったのは「優しさ」だった。
自分の中の「優しい」が人をつけ上がらせる
青年さんなら許してくれる
青年さんは冷めているし怒らない
だから自分の怒りや悲しみすべてをこの人はぶつけても受け止めてくれる
そんな常識の範疇を超えた人たちに『優しさ』が悪態をついたことを知った。
自分の幸せを求めずに
自分の不幸せや不都合とは取り合わないと決めて生活の幅を狭めた。
友達も作らず外にも出ず、誰も信用しない
大切なものだけを抱きしめていれば不幸なことは起きないと思っていた
だけど
病気になってから僕を救ってくれた愛犬のバグが突然死んでしまった。
まだ3年しか生きていないというのに
その日のうちに別れの準備も何もしていないのに居なくなった
涙を枯れるほど流しても生き返ってくれることはなくて
葬儀の準備を進めて訳のわからん動物のお葬式にお金を払い、骨壷におさまった。
部屋に飾られた骨壷の前にエサと水をあげているけど返事が返ってくることはない
また失ってしまった。
幸せなんて望まないからせめて大切だけは守りたかったのに
それでも
時間は止まってくれず
今度は4年続けていた新しい希望が消えてなくなった。
人生の半分以上は失う時間なのかもしれない
そう思えるほど
この世界は残酷で虚しいものだ。
僕にとっては少なくとも人間は悪で、男性も女性もクズで滅ぶべきだと思っている
誰かに何かを届けたい。
ということも無くなってしまった。
ひとの人生を明るくひっくり返すような言葉なんて世の中にたくさん転がっているが
これは誰が言うかによって受け取り手の解釈が変わる。
僕は、その誰がに。
言葉で救いたいとかじゃなくて、多分ねじ伏せたいんだと思う
説得とか納得みたいな可愛らしいものじゃない気がする
誰にも壊されないように、守るために強くなって、倒すために言葉に強さを求めているんだと思う
これはとても情けないかもしれないけど
現状の自分である。
言わないまま口をつぐんだたくさんの言葉たちを誰にも見つからないように燃やした
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今、台本を書いている途中で急にこのブログを書いた。
こんなことするために生きてきたんだっけ?
いや、でも死にたいとかは思わなくなったからそれは進歩だと思う
オカンから「元気にしてるかー?」とLINEが来て
「元気元気ー!」と平気で大ウソをこいて
来月大好きなおばあちゃんの初盆に帰る
どうせより、どうせなら
時間をかけて自分を納得させてあげたい
頑張ってきたから、ほら手に入った
とか言ってやりたいなぁ
2024.7.21
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