人事屋パドー

人事屋パドーです。都内勤務、人事部長です。 ここではツイッター以上ブログ未満の、日頃感…

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人事屋パドーです。都内勤務、人事部長です。 ここではツイッター以上ブログ未満の、日頃感じること考えることを書きます。 ブログその1→https://thinking-puddle.com/ ブログその2 →https://thinking-puddle.com/hr/

最近の記事

坂東玉三郎氏のインタビューで、次のような言葉を聞いたことがある。 「鬼」を「伝える」って書くのね、魂って 感情が涙という形をして身体が反応した。 孤高のひとは、それ以上は言葉を重ねなかった。 ハッとした。 魂とは、単純に綺麗事だけではできていない。 だからこそ、どこまでも尊い、ということなのだ。 鬼を伝えるというのは、芸術家の言である。 同時に、 それは、「鬼」が「伝える」ということとほぼ同義であるのだろう。 となれば、 芸術の領域を超えている、というか、人

    • agnès b.のスプリングコートが

      今から半世紀前というといくらなんでもオーバー過ぎて、四半世紀前というとショートに過ぎる、20代の大学生の頃、agnès b.のスプリングコートが欲しかった。 カラーはライトネイビー。 雑誌に掲載されていた写真の印象は抑えた感じであったにもかかわらず、どこまでも輝いて見えた。眩しかった。恐ろしいほどに。 あの頃の自分にとっては、大金と呼べる金額であったが、今から冷静に考えるのならば、適正価格であると思えるほどの値頃感だ。 そのスプリングコートを着て、輝ける時間を過ごして

      • 仕事における「細かい」の意味

        雑な仕事は救い難い(雑用ではない)。 昨今、丁寧さを求めると、陰口の嵐が吹き荒ぶ(ほぼ妄想か)。 管理職のくせに細かい。 男のくせに細かい。 そこまでやる必要があるのか。 もっと大局を見ろ。 キリがないのでここまでにする。 丁寧を尽くすことは、 もちろん、 趣味の領域の話ではない。 こだわりや美的感覚の充足でもない。 ましてや、偏執狂的性格のなせる技でもない。 仕事は細かいところまで丁寧にするという価値観を考えるとき、いつも思い出す話がある。 昔よく読んでいた「ロッキ

        • バンド的働き方

          最近、職場である人物の発言を耳にして、ああそういうことだっのかと、悲しい発見があった。 自分は他人には全く関心がないというのだ。 どのような心情やポリシーでも個人の勝手なのだが、立場を度外視して公言してはならない。 彼は学生時代に、相当に陸上に打ち込んでいた過去を持つらしい。 一概には言えないし、偏見がすぎると言われればそれまでだが、陸上は基本的に個人競技であるがゆえに、自分との戦いが主戦場となる。 ゆえに、自ずから他人のことには無関心にならざるを得ないのだろう。 自分に

          育てる・育むということ

          我々は日々育てなければならない。 社会を、組織を、家族を、仕事を、技術を。 関係を毎日更新しなければならない。 育てないと、劣化し、腐敗し、機能不全に陥る。 勝手に、育っていくものなどこの世に何ひとつない。 その典型が、自分自身だ。 自分を育てるのは自分以外のものであり、同時に自分自身だ。 自らを育てなければならない。 成長とは人生の別の名に過ぎないのだ。 自分で自分の育成を放棄したとき、あなたに何が待っているのだろうか。

          育てる・育むということ

          思い切って捨てる

          断捨離はやったほうがいいと大抵の人は思っているだろう。 が、 それを実際に実行に移す人は少なく、定期的にやっている人はもっと稀だ。 「せっかく」という気持ちが常に邪魔をする。 しかしながら、 今まで必要なかったのならば、将来の利用可能性には目を瞑り、 ここは思い切って捨てるしかない。 この思い切ってという気持ちになれるようになろう。 決断を迫られる場面で、この蛮勇というか愚行というか、英断というか、これが効いてくる。 思い切って、執着を捨てる。 本当に難しいことだが、気持

          思い切って捨てる

          飛行機の操縦と採用

          同級生にジャンボジェットのキャプテンがいる。 今はもしかすると地上勤務になっているのかもしれないが、副操縦士時代に都内で会った際、次のようなやりとりがあった。 飛行機の操縦で最も緊張する場面が2つある。 離陸と着陸。 空に上がってしまえばなんということもない。 この発言は彼個人の固有の感想というのではなく、一般論であるようだ。 当時、そのようなものなのかな程度にしか感想はなかったが、採用活動を10年以上続けるようになった今、なるほどと思える。 採用のおける離陸と着陸は、

          飛行機の操縦と採用

          飢餓と飽和

          仕事が飽和状態であることが常態化しているビジネスパーソンは少なくない。 仕事に対して飢餓意識を持って取り組んでいるビジネスパーソンも多いはずだ。 ああもうこれ以上はできないといよりも、もう少しやりたいな、足りないなと思って1日を終えることができればどんなにいいだろうか。 生産性云々よりも、その方が精神衛生上、いいに決まっている。 1日のスケジュールを立てるときに、やらなければならないことをピックアップする。まともな仕事人なら、誰もがTODOリストを作るはず。 取り組

          知性

          以前読んだ羽生善治氏の発言に次のようなものがある。 将棋は基本的に先手が有利である。これを放置するならばゲームとして成立しないとは言わないまでも早晩誰も見向きもしなくなる。ゆえに、公平性を担保するためのひとつの対応として、おそらく「二歩の禁止」が決められたのでしょう。 この発言に触れた時、知性の働かせ方とはこのようなものだと感服した。 頭のいい人は頭の使い方がまるで常人と異なる。 思考は論理の上空を旋回し、あるポイントを超えると大気圏を抜けていくのだ。 理路整然の美

          古典的老後

          これから先、老境に達した時に、おそらく、読んだり見たりするものの趣味趣向は変わってしまうのだろうか。 時々、そのような疑問が頭を通り抜ける。 今まで通り、新刊や新作に心奪われ、われ先に手を出すことが続いているのだろうか。 それとも、店じまいして、古典と呼ばれる作品と正面からじっくりと急がず騒がず、向き合い続けるのだろうか。 成熟というスタンスは、いかにも心地よく魅力的な思想である。 だから、後者のような感じに己自身が出来上がってたら、いいなあと素直に思う。 もしか

          ダイバーシティ私感

          ダイバーシティ(多様性)についての考え方は、もしかすると人の数だけあるのかもしれない。 少なくとも、所感のグラデーションはかなり幅が広そうだ。 ダイバーシティとは、相手の価値観を認めることや受け入れることではない。 断じてそうではない。 そのようなことになれば、世界はなんでもアリの戦場と化してしまう。 そうではなく、 他者の価値観を否定しないことに他ならない。 否定しないとは、肯定するに決して直結はしないのだ。 そこのところをきちんと理解しないと、非常に面倒な

          ダイバーシティ私感

          正しい努力は必ず報われる

          今まで全くと言っていいほど、野村克也氏の著作には接してこなかった。 最近偶然手に取るようになり、その慧眼に度肝を抜いている。 読まんといかんでしょ、しかない。 以下引用します。 「努力は必ず報われる」という言葉があるが、本当は「正しい努力は必ず報われる」である。ここでの「正しい努力」とは目的意識に基づいた努力を指す。 あなたのオフィスで「正しい努力」はどれほどなされているのだろうか。 今やっている業務の目的を直ちに答えられない人間は猛省するしかない。 目的なき行

          正しい努力は必ず報われる

          理解

          理解は常に二分法を要請する。 「それ」と「それ以外」。 「それ」を理解するために、必ず「それ以外」が召喚される。 「それ以外」を定義(排除)することによって、はじめて「それ」が確定するのだ。 この二分法は、多くの領域において当然ながら適用可能となる。 適用のジャンルによって、そこには「排除」や「憎悪」が発生する。 理解とは、不可避的に「差」に眼差しを向けることに他ならない。 ゆえに、 ご都合主義的な理解などこの世に存在しないということになる。 純粋無垢の理解

          卑怯者の定義

          卑怯者の定義は難しい。 辞書をひくと、 勇気のない者とあるが、これではなにも言っていないことに等しい。 心の卑しい者というのもあるが、これは状態をただ別の言葉で言い換えているに過ぎない。 やはり難しい。 個人的には次のように理解している。 自分の弱さに居直っている輩。 要するに偽善的な態度を徹底しているゆえに腐臭を放っているということになる。 弱さは生きている限り、人生についてまわる。 全ての人間が強さを求める必要もないし、どんな時も弱さを遠ざけられるわけで

          卑怯者の定義

          問いのある人

          他人によく質問する人がいる。 向上心があっていいし、勉強熱心であるのでいい。 素晴らしい限りだ。 文句を言うつもりはありません。 けれども、 問いとは、常に自分自身に問いかけるものでなければならない。 決めつけはダメだといわれようが、強くそう思う。 仕事の場面においては、特にそうあるべきだろう。 見落としはないのか。 付け加えるものはないのか。 もっと違う表現はないのか。 要するに、 お前はベストを尽くしたのかを問い質すべきなのである。 問いはいつで

          問いのある人

          ものがわかるということ

          ものがわかって仕方ない時が誰にでもある。 周りに見えていないものが自分だけには見えているという状態だ。 それは大抵の場合、 ある条件を捨て去った土台の上で、物事を見通しよく整理したキレイな景色にすぎない。 何もかも知っているし、どこに何があるのかもわかっている。 けれども、そのような状態は長くは続かない。 新しい条件や新しい立場で、考え直した場合に、途端に行き詰まってしまう。 まともな人間であれば、このようなことを繰り返す。 ものを考えるとはこのようなプロセス

          ものがわかるということ