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理解

理解は常に二分法を要請する。

「それ」と「それ以外」。

「それ」を理解するために、必ず「それ以外」が召喚される。

「それ以外」を定義(排除)することによって、はじめて「それ」が確定するのだ。

この二分法は、多くの領域において当然ながら適用可能となる。

適用のジャンルによって、そこには「排除」や「憎悪」が発生する。

理解とは、不可避的に「差」に眼差しを向けることに他ならない。

ゆえに、

ご都合主義的な理解などこの世に存在しないということになる。

純粋無垢の理解などフィクションというわけだ。

だから、

理解をしようとするときに、そこには「選別」があることをあなたは決して忘れてはならない。

理解しました、理解していますという語の意味は、どこまでもナイーブなのである。

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