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バンド的働き方

最近、職場である人物の発言を耳にして、ああそういうことだっのかと、悲しい発見があった。

自分は他人には全く関心がないというのだ。
どのような心情やポリシーでも個人の勝手なのだが、立場を度外視して公言してはならない。

彼は学生時代に、相当に陸上に打ち込んでいた過去を持つらしい。
一概には言えないし、偏見がすぎると言われればそれまでだが、陸上は基本的に個人競技であるがゆえに、自分との戦いが主戦場となる。
ゆえに、自ずから他人のことには無関心にならざるを得ないのだろう。
自分に勝てば、勝利が近づいてくるからだ。

同じスポーツでも、団体競技は少しばかり違ってくる。
特に球技はそうだろう。
チームワークがものをいう、ということもある。
が、飛び抜けたエースで4番がいれば、ひょっとすると甲子園に出場できるかもしれない。
とんでもない怪物ストライカーを要すれば、ワールドカップの予選は突破できるのかもしれない。

けれども、バンドはそうはいかない。
天才的なボーカルがいたとしても、多分いい音は鳴らない。
絶対にそうである。
売れるかもしれないが、いい音楽は届けられない。
聴く者にも、自分たちにも。
かつてバンドに所属していたアマチュアである私は強くそう思う。
音は重ならないと意味を紡ぎ出せないのだ。
THE真理。

だから働くようになって、
バンド的働き方を求めてきた。

でも、
そのような思いが根底から音を立てずに崩れてしまうところが、自分らしいと言えば自分らしい。
それはないよ、と同時に、なんだよ、それで、白ける。
協働という言葉は死語ではないが、絶滅危惧種に近い。

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