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ものがわかるということ

ものがわかって仕方ない時が誰にでもある。

周りに見えていないものが自分だけには見えているという状態だ。

それは大抵の場合、

ある条件を捨て去った土台の上で、物事を見通しよく整理したキレイな景色にすぎない。

何もかも知っているし、どこに何があるのかもわかっている。

けれども、そのような状態は長くは続かない。

新しい条件や新しい立場で、考え直した場合に、途端に行き詰まってしまう。

まともな人間であれば、このようなことを繰り返す。

ものを考えるとはこのようなプロセスに他ならない。

だからものがわかり過ぎた後には、必ず停滞がやってくる。

問題はその踊り場で、踊り続けることができるか否かであろう。

それを世間では知的体力(まあ精神力でもいいが)と呼ぶ。

逆にいうと、

いつまでたっても、ものがわかっているとか見え過ぎて困るとか宣う人間のいうこと(戯言)は信用しない方がいい。

彼らに見えているのは、彼らの頭の中の妄想に過ぎないのだから。


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