ダイバーシティ私感
ダイバーシティ(多様性)についての考え方は、もしかすると人の数だけあるのかもしれない。
少なくとも、所感のグラデーションはかなり幅が広そうだ。
ダイバーシティとは、相手の価値観を認めることや受け入れることではない。
断じてそうではない。
そのようなことになれば、世界はなんでもアリの戦場と化してしまう。
そうではなく、
他者の価値観を否定しないことに他ならない。
否定しないとは、肯定するに決して直結はしないのだ。
そこのところをきちんと理解しないと、非常に面倒なことになる。
否定しないとは限りなく認めるに近似するのだが、紙一重でやはり別物だ。
否定しないとは、共存の思想の実践であり、ある意味、一神教の拒否であろう。
一神教の思想は、ヘタをすると直ちに、排除や選別から虐殺や殲滅に転げ落ちてしまう。
だから、どうあっても、否定はしないに留まるべきなのだ。
「私(我々)」を認めてくれと主張するのはそちらの勝手であるが、その主張を押し付けられるのは未来永劫御免蒙る。
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