僕の人生に影響を与えた『遊★戯★王』名シーン3選
「俺のターン!!ドロー!!」
『遊★戯★王』。
それは、男子であれば、一度は通らなければならなかった道(ロード)。
僕らはあの日あの時、確かに1人の決闘者(デュエリスト)として生きていた。
明日のデュエルで勝利するために、持ちうるカードの特性を見極めデッキを構築し、絶対絶命のタイミングで切り札を引いたときのことや、発動するかは神のみぞ知るコンボが決まったときのことを夢想して眠りにつく日々があったはずだ。
そんな僕らにとって、漫画『遊★戯★王』はバイブルだった。
全38巻。
序盤はカードゲームの要素は一切なく、単純におもちゃやボードゲームで悪者を成敗していく話だった。
7巻あたりからお馴染みのカードゲーム登場し、それが爆発的に世間でヒット。白熱のデュエルシーンはもちろん、そのストーリーが僕らを熱くしたのは言うまでもない。
そして僕は『遊★戯★王』に、学校では教わらない大事なことを教えてもらったと今でも感じている。社会人になっても僕の心に息づいている。
今日は様々な名シーンのなかから、僕の人生に影響を与えたシーンベスト3をご紹介。少年の時から怠惰な僕がワクワクしたくらいなので、皆さんにも必ず響くことは間違いないだろう。
そして、この記事をもって、先日の断捨離によりブックオフで210円という安価で引き取られていった僕の38巻の『遊★戯★王』への鎮魂をさせていただく。
それでは、デュエルスタンバイ!
(先日の断捨離の記事は↓よりどうぞ)
※今回の記事は、皆さんに『遊★戯★王』の良さを分かっていただく、懐かしんでいただくために、ネット検索して出てきた画像を著作権ガン無視で添付させていただきます。ご了承いただければ幸いです。高橋和希先生、申し訳ございません。
【第3位】城之内vs闇マリク:仲間のために最後まであきらめない心
(↑『遊戯王』28巻より:画像クリックでamazonリンク有)
遊戯王は、大きく分けると以下の5部に分かれている
▼学園・DEATH-T・モンスターワールド編(1~7巻)
▼決闘者の王国(ペガサス)編(8巻~15巻)
▼D・D・D(ドラゴン・ダイス・ダンジョンズ)編(16巻~17巻)
▼バトルシティ編(18巻~31巻)
▼王の記憶編(32巻~38巻)
第3位にランクインした城之内vs闇マリクは、バトルシティ編の決勝トーナメント。
バトルシティ編とは、デュエリストで溢れかえった街で市民たちが最強のデュエリストを競う大会みたいなものが開かれ、最終決戦がまさかの飛行船の上で行われる。
その準決勝で、主人公・遊戯の親友である「城之内克也(じょうのうち・かつや)」と千年ロッドという人の心を操れるヤバすぎるイカレグッズを持った「マリク」という青年が決闘を行うのだ。
※変な光る目が額に入っている白毛がマリクで、不気味な笑みを浮かべてクソダサいネックレスをしている金髪が城之内。
このデュエルのヤバすぎるところは、ライフポイントが削られていく度にデュエリストの精神が削られていく「闇のゲーム」であることだ。
マリクは決勝トーナメントに入ったところからこの「闇のゲーム」を仕掛けていて、トーナメント1回戦で「孔雀舞(くじゃく・まい)」という遊戯や城之内の仲間を負かして、舞の精神を燃やしきっていた。舞は昏睡状態に。
城之内のモチベーションとしては、「絶対自分が勝って「闇のゲーム」を終わらせて、仲間の舞を救いたい」という思いでいっぱい。
城之内はマンガ序盤ではポンコツ扱い。
「決闘者の王国編」で初めてカードに触れ、カードゲームは弱いが運とケンカの強さで、なんとか勝ち残ってきた。
何かと僕ら読者に笑いと希望を与えてくれていたキャラクターが、このマリク戦では仲間のために見事なデュエルを展開しマリクを追い詰める。
その成長ぶりにワクワクが止まらないのだが、
ここでマリクのインチキが発動!
”神のカード”と呼ばれる最強カード「ラーの翼神龍」の猛攻により、城之内はライフポイントが0になる前に精神力を燃え尽きさせようとするのだ。
非常にズルい。
しかし、ド根性・城之内はなんとか耐えて、城之内のデュエルをいつも支えてきた定番カード「鉄の騎士ギアフリード」を出し攻撃しようとする。。
この攻撃が通れば、マリクに勝利できる…!!!
…が、やはり耐え切れずに倒れてしまうのだ。
このシーンは10代前半の僕には衝撃的だった。「城之内が死んでしまうかも…」と心から心配になったとともに、
仲間のために自らの命を差し出して戦う城之内の情の厚さに感涙した…。最後の最後まであきらめずに仲間を救おうとした城之内の心意気アッパレ!という気持ちであった。
これは今の社会人生活でも生かされている。
長いものに巻かれていくのではなく、自分の意志を持ち、責任を持ってここまで一緒に協力してきた仲間や後輩を最後まで見捨てずに立ち向かうようにしているつもりだ。
↑ちなみに、アニメ版であまりにも有名な「タイトルコールで全部わかっちゃう予告」。必見です。
※結局バトルシティ決勝で遊戯が闇マリクを倒し、城之内も孔雀舞も救われました。よかったよかった。
【第2位】遊戯vs闇遊戯(アテム):自分の力を信じて生きていく覚悟
(↑『遊戯王』28巻より:画像クリックでamazonリンク有)
※一人称がボクの方が「遊戯」、一人称がオレの方が「闇遊戯」。
第2位にランクインしたのは、漫画全38巻のラストを飾るデュエル。
遊戯vs闇遊戯。このデュエルは1巻から漫画を読んできた少年たちを熱くさせた。
『遊戯王』の始まりは、遊戯が「千年パズル」というこれまで誰にも解けなかった逆ピラミッド型のパズルを組み立てることに成功して、もうひとりの人格「闇遊戯」が彼に憑依するようになったところから始まる。要は遊戯は二重人格の持ち主になったのだ。
遊戯は、もうひとりのボク「闇遊戯」と、ときに相談相手になり、ときに切磋琢磨し合い、ときに意見を対立させながら、最強の敵たちを次々とデュエルで倒していき、ともに成長していく。そしていつしか親友のようになっていくのだ。
物語のフィナーレ「王の記憶編」では、闇遊戯が本当は古代エジプト時代の王(ファラオ)だったことが分かり、彼(闇遊戯)は自分の名前を忘れてしまっていた。遊戯とその仲間たちがタイムスリップして闇遊戯の名前を探しに行くのである。そして、王の名前を遊戯たちは無事見つけることができ、名前によって神々を束ねる力を王が取り戻し、盗賊に滅ぼされそうになっていた古代エジプト政権に安寧の時代をもたらすのであった。
と前置きはここまで。闇遊戯は「アテム」という名の王(ファラオ)として古代エジプトに帰らなくてはならないことに。そして帰るためには、憑依していた人格との最後の決闘の儀を果たさなければならない。
遊戯が闇遊戯にデュエルで勝たないと、闇遊戯は古代エジプトへ帰れないのだ。
数え切れないほどのデュエルを戦い抜き、何度もお互いのデッキを構築し合ってきた二人の初めてのデュエル。
手の内が分かっているからこそ、読み合い続きの白熱のデュエルが繰り広げられていく…。
が、やはりカードの引きが強すぎる闇遊戯がひとつ格上。
切り札「死者蘇生」で神のカード”オシリスの天空龍”を蘇らせ、最後の一撃を食らわそうとする。
しかし遊戯は、この展開を読んでいた!
…なんと「死者蘇生」を封じるカードを事前に仕掛けていたのだ!
この読み合いの強さに少年の僕はドキドキした。
そして見事遊戯の勝利!!この胸アツ展開に感動したのを今でも覚えている。
しかし本題はここから、負けた闇遊戯が遊戯にかける言葉が胸に突き刺さるのだ…!!
あまりにも名シーンなので、もう一度!!!!!
うぅうううう。闇遊戯、いやアテム。お前は本当にいいやつだ。
ずっとずっと尊敬してきて目標だった心の友が「お前にはお前にしかない強さがある」と諭してくれたのだ。
何もかも劣っていると思っていた相手に、認めてもらえる部分が自分にはあったと気づかされるのだ。これほど背中を押されることはないだろう。こんな嬉しいことがあるだろうか。
この部分を読んだ僕は、こう思った。
自分の持っている力をまず自分自身が認めて、その力を信じてしっかりと地に足を付けて力強く生きていこう、と。
「自分自身を自分が好きになってやらないでどうする」というスタンスは、「きっと自分はできるはずだ!」という心の中に潜む向上心をずっと育み続けてくれていると思う。
【第1位】闇遊戯vs孔雀舞:ひたむきに目の前のことに向き合う姿勢
いかにもエッチなお姉さん、という風貌で現れて僕ら少年の下半身をくすぐったのが、孔雀舞(くじゃく・まい)。
残念ながらネットには、僕が好きなシーンのキャプチャは落ちてませんでしたので、説明だけ。
闇遊戯vs孔雀舞は、決闘者の王国編の決勝トーナメント1回戦です。
この大会を開いたペガサス・J・クロフォードとの決勝戦に向けて、力が入る遊戯。
遊戯は、自分のおじいちゃん双六と、友人にしてライバルの海馬瀬人の魂をペガサスが「千年眼(ミレニアムアイ)」の力でカードに封じ込めてしまったことに腹を立てていたのだ。
早く決勝戦に行ってペガサスを倒し、彼らを救い出したい一心。
そのせいで1回戦の孔雀舞とのデュエルでは空回りばかりしてしまうのだ。
そんな遊戯の様子を見て舞が一喝!!
「ペガサスのプレッシャーに押しつぶされそうになって、目の前のデュエルをおろそかにしている」的な発言をするのだ。
皆さんにもこういうことはなかっただろうか?
例えば何かの試合などで「決勝まで進んだら、、」と想像したけれども、その前の2回戦の相手にあっさり負けてしまう。例えば、納期のことばかり頭によぎってしまい、よく検討もせずに進めてしまい間違った方向に行ったり、実の内容のクオリティがあまり上がっていなかったり。
未来への希望を抱くのは大事なのだが、まず足元を見て、目の前のことにきちんと向き合うことからしか、すべてのことは始まらない。
このシーンはそう教えてくれた。
自分も含め世間がふわふわとしているときこそ、毎日できることに集中していく姿勢は、人間だれしもに共通して大事なことではないだろうか。
また、いまのコロナウイルスで世界中の人々が次々と亡くなり困っているこの現状だからこそ、一人一人が意識を高く持って、うつらない・うつさないを徹底していくために何ができるのかきちんと向き合わなければならないのではないか。
おあとがよろしいようで。
さあ、家で暇しているならみなさん遊戯王を読みましょう!
よろしければ怠惰な僕にサポートのお恵みを…。あ、でもお金を簡単に与えたらもっと怠惰になっちゃうから、ダメか(笑)