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アシベさん、「死んでくる」宣言



アシベさんが「死んでくる」と宣言しました。




アシベさんは長い間、自身のキャリアについて考え、悶々とした日々を過ごしていました。


それはアシベさんの横に居る私にとっても、長く感じられる日々でした。

こういう時、臨床心理士ではなく「アシベさんのパートナーである私」として存在する私は、親のようにアシベさんを心配したり、子のようにアシベさんの頼りなさに怒ったり、きょうだいのようにアシベさんに対抗心を燃やしたりと心忙しくなってしまうのです。
(だからこそ、noteでアシベさんを心理学的に観察するという試みが必要だったわけです)



そして最近、アシベさんはとうとう何かを決めたようです。

そして冒頭の言葉です。


この言葉に、アシベさんのセンスを感じました。
あぁ、アシベさんは原初的な感覚を持っている人だなぁと思ったわけです。



それは、人が大きな転換期を迎えるときというのは、必ず"(心理学的)死"が必要だからです。



"(心理学的)死"は、"イニシエーション"と言い換えることができます。
イニシエーションinitiationとは"通過儀礼"、つまり人が成長して新たなステップを踏むときに、その動きをより鮮明にし、その動きに意味を持たせるものです。


イニシエーションとして分かりやすいのは、成人式でしょう。まさに「次のステップ」に進む節目に行われるものです。
(現代の成人式については、様々なご意見があるかもしれません。これについては後ほど述べます。)



で、それに何故「死」が必要か。

太古のイニシエーションは、大抵が死と隣り合わせでした。
バンジージャンプしたり(もちろん現代のように安全性に配慮された作りではありません)、突然森の中に連れ去られたり(母親との強制的な別れを経験します)。
あるいは刺青を彫ったり抜歯したり。


これらが持つ効果は、日常(この世)から離れ非日常(あの世)を体験することで、日常(この世)に戻ってきたときに強烈な「再生」の感覚が植え付けられるからといえます。

簡単にいえば「オレ、一皮むけて帰ってきたぜ!」という感じでしょうか。



さてさて、イニシエーションがこのような意味を持つと考えたら、現代日本人の成人式ってどういうものなのか考えてみます。


振り袖や紋付袴、あるいはスーツなどを着て、どこかの講堂に集まり話を聞く。
みんなで写真を撮って、一段落したら二次会へ。
こんな感じでしょうか。


より原初的な感覚を持った人たちにとっては、このように危険が最大限に排除され秩序立って作られた現代の成人式は、とても苦しい時間でしょう。
危険をはらむ、より分かりやすい儀式が必要なのに、それが無いのだから。

だからこそ一部で問題になっているように、暴走行為をしてみたり、過度な飲酒行為をしてみたりする人がいるのではないでしょうか。

だれも森の中に連れ去ってくれないのなら、自分たちで連れ去られに行かなければいけませんから。


もちろん、成人式でこうした行為をすることは許されません。
しかしながら、彼らが何を求めており、何にもがいてそのような行為に至っているか、大人は想像を巡らせなければいけないと思っています。




あれ、成人式の話になってしまいました。何の話だったっけ。


そうそう。アシベさんの「死んでくる」宣言。
これは自死するという意味ではなく、イニシエーションのメタファーだったということです。

果たしてアシベさんがどんなイニシエーションを行ってくるかは分かりません。
より原初的に、職場で殴り合いの喧嘩をするのかもしれません。
より現代成人式的に、面談のセッティングをするのかもしれません。



私はアシベさんが無事に"この世"に戻ってくるのを、待つだけです。


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