見出し画像

コントロールの誤謬〈認知の歪み〉

先日、認知の歪みに関する投稿をした。皆それぞれ考え方は違うわけで認知だって一つとして同じものはないのに「歪み」と定義するのは同なのかという疑問である。

その中でいくつか認知の歪みの例を挙げたが、それ以外にも例はある。

その一つが「コントロールの誤謬」である。

最近、この認知の歪みが強い人に出会ったので、これについて書いてみる事にする。

「コントロールの誤謬」とは、自分が実際に及ぼせる以上に、周りの人やその人の人生、または世界に絶大な影響を与えコントロールすることが出来る、と思う事である。

もしくは、逆に何一つとして自分ではコントロールできないという風に考える事である。

この考え方は「学習性無力感」という現象に変わり、うつ病の大きな原因の一つとされている。

僕が最近あった人はそうではなく、自分の力や影響を過信しているタイプの人間だった。

彼のような人間は、自分の言葉や行動で他人を変えられるとまで思っている。なので、他人を説得し、丸め込み、コントロールしようとする。

しかし、実際は人間が他人に与えられる影響はさほど大きくない。その人が周りの人やその周りの人の人生に与える影響も決して大きくない。

なので、自分では出来ると思っている事が上手くいかない事によって悩むのだ。

また、この認知の歪みが強い人は他人の幸せも痛みも全て自分自身に起因する。

例えば、このままだとこれからの人生の中で苦しむだろうという友達や恋人がいれば、その人を自分の思う正しいに「直そう」とする。

何故なら、今後本当にそのことで相手が苦しむような事があれば、それは自分の責任だと考えるからである。

しかし、これは僕の主観だが、自分の人生の責任は自分で取るべきであり、誰かにとってもらうべきではない。

つまり、その人も自分の人生にのみ責任を持つべきであり、他人の人生やその人の幸せまで背負い込む必要は無い。

しかし、こんな事頭では分かっているだろう。そのうえで出来ないから困っているのだ。

大事なのは主観と客観をきちんと分ける事である。

自分の人生と他人の人生をきちんと分ける事であり、自分の幸せと他人の幸せをきちんと分ける事である。

その上で、自分の力や影響を過信しすぎない事である。

鼻柱を折るようで少し心は痛いが、人は他人の人生に影響を与え、他人をコントロールできるような力など持っていない。

これに気づいていない人は山ほどいる。だから怒りに任せ相手をコントロールしようとする人間がたくさんいるのだろう。

そして、そもそも人は「他人の為」に行動はしない。自分の為にしか動かない。

つまり、「相手の為」と言ってしている事は全て「自分の為」の物であり、自分の利益のための行動なのだ。

これらに気づけたとき、「コントロールの誤謬」という認知の歪みは解消され消えていくんではないかと思う。

コントロールの誤謬(認知の歪み)


最後まで読んで頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?