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Luminary Talk! vol.14 オランダ在住教育研究家・ 日本イエナプラン教育協会特別顧問 リヒテルズ直子さんと探求! 「個を生かす学び。子どもも大人も主体的に学ぶとどうなる?」  ~対話中心の教育を仕掛ける2人が徹底トーク~

Project MINTでは、大人がパーパスを起点に新しいステージに移行するための学びのサポートプログラム・コミュニティを提供しており、特別パネルディスカッション「Luminary Talk」を開催しています。「Luminary Talk」では、Project MINTアドバイザーやパートナーの一人ひとりにフィーチャーし、ユニークな経歴を持つ彼ら・彼女たちのストーリーや変遷を、一般参加者を含む皆さんと共有しています。

今回はシリーズ第14弾 ー オランダ在住教育研究家・日本イエナプラン教育協会特別顧問 リヒテルズ直子さんと、Project MINT代表の植山智恵さんに聞く​「個を生かす学び。子どもも大人も主体的に学ぶとどうなる?」〜対話中心の教育を仕掛ける2人が徹底トーク〜 を開催しました。この記事は、イベントに参加したProject MINT修了生によるレポートです。

リヒテルズ直子さんプロフィール
九州大学大学院で教育学と社会学を学ぶ。オランダ人の夫と共にケニア、コスタリカ、ボリビアに住み、1996年からオランダ在住。40代でオランダ語を習得し、オランダの教育と社会事情について発信。2010年に日本イエナプラン教育協会を設立し、会長就任。その後、特別顧問。著書に、「オランダの個別教育はなぜ成功したのか イエナプラン教育に学ぶ」(平凡社)、「公教育をイチから考えよう」(日本評論社)、翻訳書に「学習する学校ー子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する」(ピーター・M・センゲほか共著、英治出版)など。

当日の流れ

イベント参加者の約65名に対し、冒頭でイエナプランの特徴や21世紀型教育の再定義などを簡単に紹介しました。そして、ゲストのリヒテルズ直子さんとProject MINT代表の植山が「主体的に学ぶこと」をテーマに対談しました。今回は初の試みとして、修了生が司会を担当し、ゲストと植山が対談するスタイルで進行しました。
リヒテルズさんの自己紹介では、もともと市民社会の成り立ちに関心があって、1996年から住み始めたオランダの教育制度を深く理解していく過程で、イエナプラン教育と出合ったことをお話しされました。「大きな視点で教育を見てきた」というリヒテルズさんと植山の対談をお楽しみください。

当日資料より
(上)リヒテルズさん (下)植山

《リヒテルズさんと植山の対談》

主体性ってなんだろう
リヒテルズ 夫の故郷であるオランダに住み始めて、子どもたちが自由で主体的に育っている姿に驚きました。「その後ろにあるものは、なんだろう」と。様々なオルタナティブ教育に出合ったのですが、その中で、なぜイエナプランを発信しようと思ったのかというと、子ども一人一人をバラバラに育てようとしていないんです。
主体主体というと、個人個人になります。「私はどうなったらいいのか」が重要になってしまいます。でも、社会があって初めて主体性が登場するんです。今日は「より良い社会にしていくために、私たちはどのような行動様式を身につけるべきか」という視点で話したいと思います。

司会 社会があっての個人。主体的な学びについて、植山さんはいかがでしょう。

植山 民主主義社会を実現して、より良い社会にしていこうとしているんですね。教育ってなんのためにあるのかというと、競争して誰かより優位に立つとか、安定的な会社に就職するようなものではないということですね。私たちは、まだまだ短期的な視点で、日本の戦後社会(戦後OS)を引きずっているので、教育というと自分のアイデンティティになってしまっていますね。「私はどこの大学を出て、安定的な生活を築いていきます」という受け身になってしまっているんですね。
主体的に学ぶということは全く逆で、周りの人とみんなが生きやすい共同体を作っていくアプローチだと思います。

司会 リヒテルズさんと植山さんは、新しい教育を推進する行動を起こされています。植山さん、ミントで学んだ大人たちは主体的に行動する姿が見えていますか。

植山 見えてきていますね。一人ひとり違うのですが、行動することで切り開いているように見えます。その前提は、自分は何者なのかを知るということです。人生でどんな価値観を大切にしてきたのかを深く見つめて、「自分はこういう社会を望んでいる」「こういう価値観を実現したい」というビジョンを大人たちが見出しています。
目指すものができたら、現実と理想のギャップが見えてくるので、どんな一歩を踏み出せばいいのだろうと考えながら行動しています。どれだけ大きなことをするのかではなく、どれくらい新しい領域に踏み出すかだと思います。私たちのコミュニティでは、「一歩を讃えあう」ことをやっています。ギャップを埋めるような行動を取って行くことが、変革の原動力になると思っています。

「社会から阻害される」教育だった
リヒテルズ イエナプランの考えは、植山さんの考えとも共通しているし、(冒頭のミント紹介で出た)U理論とかメンタルモデルは、アメリカで発達したシステム理論の考え方ですね。世の中で起きていることは、ありとあらゆることは、全て関係しあっているということです。食べ物や着ているものは、地球の裏側からきていたり、世の中は繋がりあっている。
今話題になっている「私たちがどうあるべきか」について、阻害という言葉があります。日本で話していると「社会が悪いから」という話がとても多いんです。「教育を変えましょう」と言うと「社会が変わらないとダメなんです」とくるんですが、「あなたは、社会のどこにいるんですか」と言い返したくなります。
どうしてそんな会話になるかというと、私たちは、ずっと「社会から阻害されるような教育」を受けてきたからだと思うんですね。阻害は、自分自身を部外者にしてしまうこと。社会学の重要な概念です。
今なぜ世界中で民主主義の危機なのか。私たちが市民ではなくて大衆になっているんです。市民は自分で考えるから市民です。まず、自分でこの社会にはどんな課題があるのか知る必要がありますね。
だから、イエナプラン教育では、ワールドオリエンテーション(総合学習)の時間に、現実世界を見ながら、問いながら探究していきます。探究によって世の中と自分が見えてくる。探究を他の人と一緒にする過程で、他の人の視点が見えますが、この時に対話が必要になってきます。
私たちが、社会から「阻害された状態ではない」ようにしていく。それが主体性を育てるということだと思います。職場で仕事をしようが、家庭にいようが、買い物をしていようが、私たちは、まず市民です。
市民であるためには職場の目的に振り回されるとか、地域の有力者に振り回されるとかではなく、自分を持つ必要性がある。それが主体性であると私は思っています。自分だけがどうあればいいか、ではないんです。いつも集団の中にいて、多様な関係の中で問いを出し合って、答えを見つけていくことが大事です。
歴史を遡れば、イエナプラン以前には、ルソー、ペスタロッチ、デューイの「子どもと教育」をめぐる思想が既にあって、それがミントやミネルバ大学にも流れていると感じています。日本でも大正に同様の動きがあったんですが、それを受け継いでいないのは、どうしてだろうと思っています。

植山 大正時代は婦人運動も起こっていたりしますね。

リヒテルズ 私たちは、なぜか自分の頭で考えないようにさせられてきたのではないか。そこにもっと、私たちは自覚的になるべきですね。自分の頭で考えていくクリティカルシンキングを身につけるとか、みんなが当たり前だと思っているものを見直す力とか、新しいメンタルモデルを見直すとか。昔から、パラダイムの転換が何度も言われてきました。
世界が変わる時は、いつも少数者が気づいたことを発信して、それに気づいた人が社会変革を起こしていくので、そこに希望を持っています。大半の人に「違っている」とサインを出すことが、私たちの役割だと思います。大半の人に背を向けて、「だからダメだよ」「私たちだけのグループで」とならないようにしてほしいと思います。

教育改革とは大人が変わること
植山 今日の参加者は、多くが「主体的な学びを日本に広めたい」と思っています。どんな行動から始められると思いますか。

リヒテルズ 教育を変える時に、大人が関わっていますね。教育を変えるということは、子供を変えるんじゃない。大人がメンタルモデルや関わり方を根本的に変えるということなんです。教育を変えると社会変革が始まると信じています。
学校から育った子供たちが社会を変えてくれるんじゃないんです。まず、学校の大人が変わらないといけません。大人が学校で変わろうとした時、いかに難しいか。いかに私たちが古い権威主義的な教育に振り回されていたり、保護者を尊重できなかったり。エクスクルーシブに気付かされます。だから対話が大事です。対話に参加することで、心が開いていく。そんな場をどうやって広げていくかですね。
一つだけデューイの言葉を引くと、「生きているものと生きていないものの違いは何か。生きているものは、自分の方が変わろうとする」。私はこれが学びの本質だと思います。つまり、生きている限り、私たちは変わり続けなければならないんです。実は、子供たちは生まれた時から、それをやっています。

司会 イエナプランを学んだり、変わろうとする大人はいると思います。変わろうとする大人は、どのように奮闘しているのでしょうか。
リヒテルズ そこに大きな課題があります。大人たちには、子供の好奇心を潰さないでほしい。大人は押さえつけようとしたり、持っていきたい方に動かそうと誘導したりすることが起きやすいんです。それは、オランダで育った夫と日本で育った私の間でも、子どもへの関わりで違いが起きています。
一つ大きいところで、対話力を「学校で学んでないな」と強く思っています。自分の考えを言葉にするのが難しかったり。対話って自分の内側から「話したい」っていう内発的なものがあって、初めて言葉にできるものですが、それを無理矢理聞き出そうとしたり、その結果とても上滑りな対話に終わることがよくあると思います。
対話はおしゃべりとは違いますので、何かテーマについて考えを発信するわけですね。どうやって考えている事を言葉に翻訳するか、結構大変な作業です。私たちは「大人しくしなさい」と言われて育ったのですが、「言わないことがいい」と育てられた私たちは、対話することに大きな課題を持っています。
もう一つの問題は、聞く力がない。発信ばかりやっていて、聞くことに焦点が置かれていない。よく聞いてキャッチボールする練習は何回もやらないと上手になりません。

植山 ミントで対話をやっています。社会人の私たちは話すことに重きを置いていて、焦点の意識が自分に向いてしまって、相手から来た言葉に防御的にどう対応するか、相手が異なる意見だったとして、相手がどういうところから来ているのかを注視しがちです。心をオープンにして探究していくことは、義務教育で特にありませんでしたね。
みんなが一緒という前提で、クラスが進行していったので、違う人はマイノリティになってしまって、みんなに合わせないといけなくなっている。私たちみんなニーズは違うという前提になっていないのかなと思います。そこの部分は大人がまさに、苦労しながら対話の良さをわかったら、それは、対話で受け入れられたとか相手を理解できたという経験なのですが、相手も変わったという話もあります。対話を重視することは、忙しい社会では結構難しいですね。

子供時代から対話を学んでほしい
リヒテルズ 「何のためか」という議論が本当に少ないんです。ここでこういう授業をするのは「なぜか」、ここで対話するのは「なぜか」という目的を共有していなくて、「対話が必要らしいよ」となる。なぜ対話が必要かわかると、ルールが自ずとわかると思います。
イエナプランには、市民社会を作るという明確な考えがあります。「違ってていい」ということがまず第一です。他の人の違いをアドバンテージとして受け入れないといけないんです。すると、みんながありのままで、そこにいていいことになります。
イエナプランでよく使われる「サークル対話」では、「言いたいときに言える場」を作っていきます。そこにある意味は、みんなで何ができるか建設的に考える基盤ができるということであり、ディベートのような議論ではない。対話の練習は、早い時期からやってほしいと思います。

司会 それぞれのニーズや立場を対話を通してみんなで共有して、社会を作っていくというお話だったと思います。

植山 合意形成する練習を実践で学んで、直感的に対話していくということを小さい時から身につけることが大事だということですね。
大人の学びを推進している立場からは、子供がせっかく良い教育を受けてきても、子供が喧嘩してしまった時などに、親の都合で合意形成の経験が邪魔されてしまったりということもあるのではないでしょうか。対立を恐れる大人が、子供をそこから引き離してしまうようなこともあると思います。
教育に携わっていない一般の大人も、できることがあると思います。市民社会に参加している事を、次世代に見せていくことも大事だと思います。

リヒテルズ 地域や保護者の力は大事ですね。保護者というリソースを生かして、協力していく。そのために、大人がもっとゆとりある、大人が自由に自分の生き方を実現できるようになってほしいです。植山さんのミントから巣立った大人たちには、アクティブに自分がいる制度を変えるために、さまざまな立場の人を巻き込んでいく事を大事にしてほしいです。

司会 参加者から「ドミノ倒しに似ていると思うんです。小さな一歩から社会を変えられると思います。でも、小さすぎて意味がないと思って動かない人が多いのではないでしょうか」というコメントが届いています。

リヒテルズ 一人でやろうとしないという事です。一人でやろうとすると、次はどの敵を倒さないといけないということになります。自分が小さいと思うなら、横につながること。自分自身がお互いにないものを持っている人と繋がって、良さを引き出していく。
協働とは、「1+1=2」になるのではなく、3、4、5になっていく。この経験を積むことなんです。イエナプランでもワールドオリエンテーション(総合学習)では、一人でどんなに頑張ってもできないことをみんなでやってみる。私たち自身、恥ずかしさや自分を小さく思うとか、心のブレーキがあると思うんです。そのブレーキを取り除きながら、どうやって繋がっていくかだと思います。

植山 私もつながることのパワーがすごいと思っています。大人は自分の弱いところを見せないようになると思うんですが、自分の未完成なアイデアを話してみて、共感する人と繋がったら、勇気になるんですね。

リヒテルズ 100点主義で、「はい」と一番に手を挙げる人を褒めるような傾向にあると思うんです。私たちはデコボコしていて、飛び出しているところもあれば、引っ込んでいるところもあります。でも、今までの学校は真四角にしようとしている。みんな四角でしかない。だから積み上げても四角にしかならない。デコボコした人が集まっていることで、カラフルなクリエイティブな社会になると思います。

植山 今の話を聞いて泣きそうになりました。デコボコしていていい、自分を許容できるようになりますね。

リヒテルズ 完璧でなくていい。私も引っ込んでいるところがいっぱいあります。


Q&A


ーー 参加者からの質問です。イエナプランに数値評価はないのでしょうか。
リヒテルズ 基本的には数値評価ではないです。その子が前の状態からどのくらい伸びたのかを言わないと意味がないと考えています。そうでなければ、できない子はずっとできないままの評価です。できる子もできない子も、どれだけ伸びたのかを見ることが、周囲と比較するよりもずっと大事だと思います。そこに焦点を当てたときに、数値か文章かはあまり関係がなくなります。ポートフォリオで、その子ができたことを見せてあげることをやっています。

ーー 日本の教室は、みんな前を向いているスタイルが主流です。オランダの教室はどんな様子ですか。
リヒテルズ 黒板はもうオランダにはないですが、前を向いて同じ授業を受けるということは、まだやっている学校があります。それくらい学校文化は世界中で古臭いんです。
そんな中、100年前にイエナプランを始めたペーターセンがドイツで何をやったかというと、固定されていた教室の机を取り払いました。生きた花の花瓶や貸出用の教科書もあります。黒板も先生だけのものじゃなくて、みんなが使えるんです。4〜5人くらい座れるテーブルが置いてあって、みんなが話し合うために輪になって集まれる場所もある。教える場面では、ホワイトボードやデジタルボードを見ることもありますが、みんながそこを向いている状況ではありません。

ーー 先生たちが繋がることについて、日本は先生の組合組織率が低いのではないか。
リヒテルズ オランダの先生の組合は、力強いです。先生だけでなく、組合で何かにつけて反対するということを力強くやっています。面白いのは、ダルトンやモンテッソーリやイエナプランなど、オルタナティブ教育の集まりがあって、それが声をあげるという仕組みもあります。それぞれ学校のスタイルは違っても、同じ市民形成の方向を向いているので、何かあったら、みんなで声をあげるということもあります。
さまざまな運動は、「私が正しい」「私が原理に近い」というところで対立しがちですが、大きなところで目指すものを共有していくことが大事だと思います。違いを乗り越えて繋がることですね。

ーー 明日の朝から教室で取り組めるような「手軽にできる対話のヒント」「対話が苦手な子供をほぐす活動」はありませんか。
リヒテルズ 朝を「読書の時間」にしようという取り組みもあると思うのですが、読書は一人でもできます。みんなでできることはなんだろうと考えた時、対話の方がはるかに意味があることができると思っています。
例えば、月曜日の朝に「土日に家でやったこと」を一言ずつ持ち寄ってみるのはどうでしょうか。嬉しい、悲しい、苦しい。絶対に当てて強制的に言わせないでください。じっと我慢するんです。先生は強制しないこと、待つことを第一に考えてほしい。黙っていていいんです。どうしても言いたくなる時がきますから、それが大事です。
対話する材料に悩んだら、珍しいものを教室の真ん中に置いてください。石ころでも、花でも。それをみんなで見つめて、思ったことを出し合ってみる。長くなりすぎないように、10分や15分で切り上げてください。


最後に参加者へのメッセージ

植山 新しい教育を推進するために、大人のマインドセットをアンラーンすることが大事だと思っています。やりたいことよりも周りと協調することを優先してしまうのではなく、ご自身が新しい領域に行ってみるとか、対話を大切にするとか、つながりを持ってみるとか。私たちもより良い社会に向けて動いていける、コミュニティを作っていきたいと思います。

リヒテルズ 教育とは、大人が生きている姿を見せていくことだと思います。大人が学び続けていることが子供たちを意欲づけるし、「こう生きればいいんだ」ということが分かります。子どもたちは、朝から会社で忙しくしている姿ではなく、生き生きしている大人を求めていると思うんです。だから私たちは、ちょっとでも生き生きできる時間を広げていきたいと思います。皆さんの持ち場で生き生きと周りの人に繋がって生きてほしいなと思います。


修了生の感想

MINT修了生 あつこ
対話の大切さと大人の学びについて多く語られていて、Project MINTでやっていることと近いものを感じました。
一人一人違っていていい、そしてそれを受け入れる。それは対話する重要さにつながる。対話は練習しないとうまくならないが、日本の教育では学んでいない、と。対話とは、強制的にするものでもなく、発言しない人を待てるかどうかも重要だということが新鮮でした。黙っていても成り立つし、そのうち黙っていられなくなるそうです。それは周りの聴く力によるものなのだろうと想像しました。
後半、オランダの教育協会は様々あるけど、皆同じ方向を向いている、という点にハッとさせられました。「自分だけが正しい」を乗り越えていかないと社会は変わらない、と。国や宗教の対立にも言えることだと思います。それには対話が重要で、自分で考えたり違いを受け入れる土台となる手法の一つだと改めて実感しました。
また、大人の学びについては、生きているものと生きていないものの違いとして、生きているものは自分の方が変わろうとする、というジョン・デューイの言葉から、それがすなわち学びの本質、とおっしゃっていたことも印象的でした。常に変わっていくにはやはり生きている間、常に学び続けること、と納得しました。

ミント1期生 Riley Riyo Harata
「教育を変えるということは、大人たちが変わること。」
私たちが生きている姿、学び続け変わり続けていく姿を、”子ども”と言われる人たちから学びながら…。違いを乗り越えて繋がって、実践し続けたいと思います。

MINT修了生 6期生 オヤダマン
 リヒテルズ直子さんの言葉に、あらゆる苦難を経験し、そして実践してきた人の痛みと力強さを感じた。発する言葉の裏側にある思いが、ストレートに私に語りかけているようだった。
 「お前はどうする?」「お前は何をする?」
 教育現場に勤めている私にできることは何だろう。プロジェクトミントでの対話を通して私の価値観が揺さぶられた。また、共感から生まれる人の温かさも感じた。目の前のタスクばかりこなして、ごまかしていては一番大切なこと、本質的なことは変わらない。
 「私は、どうする?」「私は何をする」
 対話を大切にし、目の前の現実を良き方向に創っていく人でありたい。

「1+1=2」ではない         5期生 りな(Sanagi Rina)

リヒテルズさんと出会ったのは、20年ほど前に活発な議論が展開されていた「教育の多様性の会」というメーリングリストだった。国際情勢を踏まえつつ社会や教育を切り取る視点が鋭く、とにかく面白かった。その後、長い時間をかけて「イエナプランといえばリヒテルズさん」という変化を遂げる。

今回の対談でも、多くの印象的なお話が飛び出した。そのうちの一つに「1たす1は、2ではなく、3、4、5になる」という言葉がある。

この言葉に、20年ほど前に触れた私は「ほおー」っと感じ入った。当時の思考回路では「1+1=2」以外の回答なんて、あり得なかった。しかし、リヒテルズさんが言うように、誰かと誰かが協働してみると「2」以上の力が出ることが確かにある。

実は、プロジェクトミントでも、「遠くへ行きたければみんなで行け」と言うことわざが共有されていて、多様性のある仲間と協働や対話することを大切にしている。

ペアを組んだ相手を思い浮かべて、「最強の1+1になる」と思ったこともある私。皆さんにとって「1+1」は、今いくつになっていますか。


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