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感謝!画像を使っていただいた作品

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みんなフォトギャラリーに投稿し,note内で使用していただいた作品集です。ありがとうの感謝をこめて
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#エッセイ

andymoriは若者とともにある

andymoriが話題になっている。 そんな日がまた来るとは。彼らが活動を止めてから10年が経つ。 その月日の速さに目が回りそうになる。 andymori「すごい速さ」 1分47秒という短めの曲。 andymoriらしさは間違いなく凝縮されていて、あっという間に過ぎ去っていく時間、夏、人生と響きあう。  この感覚がわかる気がする。  ドラマや映画で世界が終わるとき、隕石や宇宙人や地殻変動やウイルスやらすごいことが起きて、世界が大騒ぎして、壮大な音楽が流れてというイメージ

気持ちの良い晴れ間

皆さんの場所がどうだったか知り得ませんが 今日はいい天気だった 「今日はいい天気だ」 と何度つぶやいただろうか? それぐらい気持ちのいい天気だったので 外に出て公園でも行って 青空の下運動してみたり ベンチでゆっくりしてみたり 近場をドライブしたり カフェでお茶したりしました と言えればよかったのですが、引きこもりです まったく外に出ることなく 親の髪の毛を切ってあげて、ボードゲームで遊びました 空の天気に言わせれば、なんてもったいないのでしょうか 通常運転、そんな

黄金道路 #1

 襟裳岬は、日高山脈の最南端に位置し、太平洋に向かって突き出た岬である。  岩礁群が海上にまで伸び、白波が洗っている。  語源はアイヌ語でオンネエンルムである。  オンネは大きい、エンルムは突き出たところを意味しており、幕末の松浦武四郎は、遠くから襟裳岬を望むとネズミ(エルム)が伏せたように突き出ていると当時の日誌に書いている。また海中の大岩が点々と連なり、ネズミの尾のようだと記している文献もある。  その昔、千島列島、樺太(サハリン)から東北地方北部まではアイヌ民族の土地で

浅い海で遊んだ子

 海。  長く東京近郊に住む私が知っているのは、半世紀も前、5年足らずのあいだ暮らした瀬戸内の遠浅の海で、夏の盛りに足を入れても冷たくはなく、沖を見晴るかしても青くはなく、一般的に想起されるような海のスケールは持っていなくて、中国の人に「日本にも大きな河があるのですね」と言われたというのも、案外ジョークではないのではと思う。  浜辺で足首に感じる波は、前へ後ろへと同じ調子でするすると動き、少しずつ立つ場所の砂を持っていく。沖を背にしていると、突然かかとの下の砂地が崩れ、がくっ

五ケ山トレイルラン完走しました

五ケ山トレイルラン、なんと完走できましたー! 練習不足もあって後半の坂や階段にめちゃくちゃ苦戦したけど、それだけゴールしたときは高揚感よき。 お世話になっている方の応援もあり、いつも以上に頑張れました。 目標の5時間切りはなんとか死守できたので、ご褒美に那珂川清滝の温泉で疲れを癒して帰りました。 最後に運営の皆さまほんとにいつもありがとうございました。 次回は佐賀のトレイルランに参加予定です。 写真はトレイルラン界におけるレジェンドのお2人。 前日の前夜祭で、練

#27 「正解」を気にしてしまったこと

高校生の時に存在を知った『DIALOGUE IN THE DARK』。 何となく気になり続けて20年。 ちょっとしたことがきっかけで、つい先日経験をしてきたところなのだが、 20年前の「何となく気になる」という非常に薄い認識で参加をしたのが良くなかった。 わたしは真っ暗闇の中で視覚以外の感覚を研ぎ澄ませていくことで、視覚障害の方の世界を追体験するつもりで参加したのである。 しかしそもそも企画名が『DIALOGUE IN THE DARK』である。 対話がメインなのだ。 真

破棄と変えるコスト

 5000字を超える下書きを書いていたのに、どうにも収拾がつけられなくて、破棄しました。  思いつくものを箇条書きにして、それを膨らませて書いていたのですが、統一性を失ってしまったようです。  全体としてのまとまりを保つことは必要性を感じます。  ただ、袋小路に追い込まれる前に決断できたのは、良かったです。  今あるものを見直すことは、地味に難易度が高いです。  現在のやり方に慣れてしまっている分、本来は面倒なのに、より良い方法に変えるよりも今のままでいいやと思ってしまい

トラウマ。

こんにちは。 自分の過去の話をしたいと思います。 私に、これがなかったらもっと生きやすかったのにと思うこと、それはトラウマです。 これとは、もう自分の人生の半分以上前から付き合っていますが、どうやっても忘れられはしないのです。 それまでの私と、それ以降の私では確実に人格が違います。 それと上手く付き合えるようになったのは、10年くらい前で、でもそれまでの私には戻れません。 誰かと深く関わる時、この人には伝えなければいけないかなぁ?と感じた時は、それを伝えています。

オマージュから始まるの話。

どうも、おもちです。 開いてくれてありがとうございます。 良ければ最後まで読んで頂けると幸いです。 突然だが 文章を書くのが好きだ。 とはいえ、生業でもないし、文才もある訳でもない。 何より一番良くないのは「続かない」という事だ。 一丁前にマガジンなんか作っておいて 本は読んでるのに、感想はかかないという愚かさまで披露している。 そんな私は、言わずもがな書く事よりも読む事のが多い。 読書が趣味になったし、昔から本を読んでいた訳ではないけど 文字を読むのが好きなのは、昔

いつものネットサーフィンを価値に変える

私は根っからのお得大好き人間で ベッドにごろんと寝転んで ネットサーフィンをしているときにも この時間をただ無駄にするんじゃなくて 何かしら価値に変えられないかなぁ... と思ったりする。 そこで習慣にしていることが1つ。 それは 触れた情報から新しいものを生み出す というもの。 例えばNetflixで映画を1本見たら 感想が生まれる。 それを日記に書いてみたり 誰かにシェアしてみる。 あるいはそれが洋画だったら 新しく覚えた単語リストを作ってみ

私めちゃくちゃ

精神と身体に限界がきたら親に甘えたり、泣いたりする でも後々になって恥ずかしさで死にたくなる もうそろそろ成人だし早く自立したいけど、親がそれを許してくれない、早く家から出たいここから逃げだしたい、それが出来ないならもういっその事また死のうとするかもしれない 私は自分がよく分からない、なんでああした?どうしてこうなった?とかよく思う 世間は大抵それはみんな同じだと思うだろう でも自分が分からないことはよくあることなのか? 自分が怖くてよく分からない、この先のことなんて不

感動。

感動は想い出だ 何気ない日常に 感動がある はじめての 運動会 おばあちゃんの おにぎりに 感動した だから 今も昨日のように 覚えてる その温もりも 塩加減も おいしさは ボクの記憶から 生涯 消えることは無い ボクの考えだが 芸術作品も 人を感動させる どの分野の作品も 文章 絵画 音楽 他にも様々 童心に戻ったように 「わああ!」って 心に感動が寄せて 綴られる 真夜中に 部屋を抜け出し コンビニまで 歩いた 夏の星空みたいに いつまでも 心の中 潤してくれ