杜江 馬龍
ある会社の同じ部署の仲間が「仲間会」を結成し、唯我独尊の連中が、飲み会と旅行を通じて人生の深さを感じ合う連載です。
ヒグマの子と瓜二つで生まれ落ちた赤子の物語。彼が成長するにつれ、特殊能力も持ち合わせていることがわかり、彼の周りの人たちの驚きと畏怖の念を抱く様を描きます。
外出した折りとか、日頃感じたことや、なにかを発見した時のことを ショートショート(つぶやき)に投稿しました。 それらの記事を纏めました。
北海道えりも町を舞台に、主人公の一人の男を通して、「しぶとく生きる」 とは? という自然と人間の共存を問う作品です。
人間と動物(狸)の関わりを通じて、希薄になった現在の人間関係に警告を鳴らす物語です。
しかし、その後、本当に還らざるOBとなってしまった仲間がいた。佐枝と小平だった。まだまだこれからの人生を謳歌するはずの二人であった。 数年たったある年に、野森から佐枝が肺の小細胞がんで入院したとの知らせがあった。仲間が入院先の病院に佐枝を見舞った。至って元気な様子に一安心した。が、その一年後、還らぬ人となってしまった。一人減った。 その二か月後小平が自宅で倒れ死んだ。心不全だった。また一人減った。合わせて二人減ってしまった。 残ったメンバーはお互い日々の生活で
その後、八名はそれぞれの関係者に生きて還ってきたことを報告した。 八人が既に死亡したと何の疑いも抱かなかった人々は驚き大騒ぎとなった。 すでに死んだはずの人たちが生きていた。 彼らを取り巻く人々の大半は、既にこの世にいないと思って生活をしていたことを、改めてリセットすることに、多大な時間と労力を要したのだ。 野森の妻は、海外にいる娘のところに移住する段取りを終えたばかりだった。夫が生きて還ってくるとの連絡をもらい、戸惑った。しかしそう思ったのも一瞬の事だった。嬉
彼らが乗る予定の飛行機が墜落したとの報道が、テレビ画面のテロップで流れたが、台北北警察署に拘留された八名は、知る由もなかったのである。 台北桃園空港内は大騒ぎとなり、非常な混乱状態に陥っていた。 彼ら八名は俗世間から隔離された留置所で数か月を過ごすことになった。 台湾の法律では、傷害罪は刑法第二百七十七条で三年以下の懲役か罰金となっているが、彼らには支払うお金もなく拘留され、その後起訴裁判となり、相手グループの証言でどうにか釈放となったのであった。 全
日本人の遺体が日本に戻ったのが、あの忌まわしい事故の日から四日経ってからであった。ただ彼ら八名の遺体は戻らなかった。 三ヶ月が過ぎ八名全員の死亡認定がされたのであった。 その後、合同慰霊祭が東京で行われた。九州から三菱、横浜から平崎、仙台から海名がかけつけた。 その夜、三人は錦糸町のあの居酒屋にいた。言葉数は少なく、物思いに沈んでいたが、店のママが、彼ら八名の思い出話をした時、三名は下を向き、必死に涙をこらえていた。そしてこれから三名で度々国内旅行でもしようと話し合っ
あの忌まわしい台湾旅行の五ヶ月ほど前の五月、錦糸町の駅から歩いて五分ほどのところの、その居酒屋で旅行の打合せ会があった。 これまでも、何回かこのお店で集まり打合せをしていた。料金は少々高いのだが、美味しい物を出してくれる。彼ら全員が六十歳をとっくに過ぎていて、それなりに舌もこえている連中であったが、この店を大層気に入っていた。 打合せ当日の夕方、三々五々とメンバーが集まった。 中田は出張の帰りに真っ直ぐその居酒屋に来た。 佐枝はすでに一時間ほど前から錦糸町界隈で
本小説は、帰らざるOB(1)から(5)迄、掲載させていただきましたが、 一時中断しておりました。 本日から残りの後半を、再開させていただきます。 (6)から(11)完 まで、掲載してまいります。宜しくお願いします。 〈前回までのあらすじ〉 ある日の午後、日本に向け一機の飛行機が、台北桃園空港から離陸した。 あいにく、台風接近のなかでの強硬フライトだった。 搭乗者は日本人が多かったが、その中に、ある会社の男性OB ハ名も、 搭乗者名簿に載っていた。 その飛
その後、熊雄と八重は結婚した。 八重は全身毛だらけの熊雄に対して不安はあったが、見た目より熊雄の性格の良さを選んだのである。周りからは、「八重、後悔するぞ」「やめろ」など様々な批判があったけれども、この人と一緒になると決意した八重であった。 八重が熊雄との結婚をすることについて、名寄にいる八重の両親は複雑な心境であった。八重が帰省した折、母親から熊雄のことについて、種々聞かれた。父親はストーブの前の定位置にドカッと座り、二人のやり取りを聞いていた。そして、 「かあさん
このような事件があってから、朝日動物園が全国的に有名になった。 また、飼育員の間で園内の動物が生き生きと過ごせる工夫をしようと様々な提案があり、園長はそれを取り入れた。 ここ数年、入園者が落ち込んでいたが、これを契機にその後、入園者はもちろん園内の動物たちも楽しめる日本でも人気の動物園となっていったのである。 熊雄は一年間の臨時職員を解かれ、正式な飼育員として、朝日動物園で勤務することになった。 新たに担当する動物は、ペンギンたちであった。女性の飼育員と一緒に、
マスコミの取材スタッフも園の正面玄関回りで屯していた。 その夜、熊雄は一睡もできなかった。 次の日も何の手掛かりがなかった。 熊雄の心は、徐々に追い詰められていった。 仮に捕獲されても射殺されてしまうのではないかという不安が増すのであった。 動物と会話ができる自分は、もう少し雄グマの気持ちに寄り添い、同苦し説得が出来なかったのかと自分を責めた。 それから二日経った午後四時ごろ、動物園の裏手の山の茂みの中から雄グマが熊雄の前に現れたのである。 「どうした、太郎。お
その日から一週間後の朝、動物園が大騒ぎになった。それはヒグマの檻の鍵が古くなり、それを力ずくで壊して、雄グマが逃げ出したからだった。 園長は直ちに、その日の営業を中止にした。また、市役所、警察、消防署など各方面に連絡をした。 各マスコミは挙ってそのことを報道した。 万が一、市民が巻き込まれ、予期せぬ事態になれば大変だ。動物園総出でその雄グマを探し回った。 熊雄は、檻の中で寂しそうにしていた雌グマのところに行った。 「世間では大騒ぎになっているけど、何処に行ったか見当
熊雄は、ヒグマ係のサブ要員として働いた。 餌づくり、餌やり、厩舎の掃除、そしてミーティングを繰り返す毎日だった。そういう中でも、忙中閑あり、だれもいないことを見計らって、ヒグマと会話する。 その厩舎には雄雌二頭のヒグマがいた。 熊雄が話しかけると、その二頭は夫婦であることが判った。毎日単調な生活にそのヒグマたちは辟易していると熊雄に話しかけるのであった。やはり自然での生活がいいのだ。 ある時、雄グマが熊雄に、ここから出してほしいと懇願した。しかし、熊雄は、それは難し
朝日動物園は旭山市が運営する動物園のため、熊雄は公務員採用試験を受けることにした。好きな遊びも忘れ、熊雄は公務員試験の準備に余念がなかった。 熊雄が生まれ育ったその岬では、四季それぞれ北海道の壮大な絵巻を織りなし、古の時代も、今も変わらない表情を醸し出している。 花が咲き風が吹きトッカリ(アザラシ)が波間から顔を出し、波飛沫で虹がかかる。毎年、動植物は輪廻を繰り返す。 旭山市の公務員採用試験は熊雄が卒業した年の八月だった。 一心不乱に机にかじりつく熊雄を見つめる
熊雄がバスで一時間ほどかかる道立高校を卒業したのが、昭和四十六年の春、寒さが厳しい中でも春の気配が確実に訪れてくるころだった。 卒業後のことは、達雄もヨシも自分たちの傍に熊雄を置き、三人で細々と生活していくことを望んではいたが、将来のことは、息子の気持ちに任せることにしていた。 卒業前年の夏休みに入る前、熊雄は担任の先生から卒業後のことについて、どうするのか聞かれた。もちろん、その先生は、熊雄が動物と意思疎通ができて話せることは知らない。 「俺は先生、動物という生き物が
熊雄が中学生になって、二年生の春も過ぎようとしたころ、家の前の波打ち際の岩場の水たまりに、ゼニガタザラシの子供が迷い込み、抜け出せないでもがいているところを、熊雄は助けて大海原に戻してやった。 そのアザラシの子供と会話をしたのであろうか、家に帰ると母親のヨシに興奮気味にその一部始終を話し始めたのだった。 「母さん、アザラシのコッコを、沖へ逃がした」 「どこにいたのさ」 「そこの岩場の水たまりの中で、もがいていたんだ。その子供が言うには、親とはぐれ大波にさらわれて、水たまり
「いやに早く帰ってきたんでないべか」 二人の帰りが早いと見えて、母親のヨシは、嫌味ったらしく言った。 「それに、ほれ、二人でタケノコ ちょべっとしか採ってきてないべさ」 モッコを開けたヨシは呆れた顔をした。 二人は黙っているしかなかった。達雄は黙々と煙草に火を付けてフーと煙を口から吐き出した。 熊雄は、流しで手と顔を洗う。二人とも帰ってきて様子がいつもと違うとヨシは首をかしげた。 「父さん、何かあったのかえ」 「なにもねえ、今日は昼握り飯を喰って帰ってきた」 「熊雄、
日が高くなり、達雄は竹藪を抜け、見晴らしの良い場所に出て熊雄に声をかけた。 「熊雄! 昼飯にするべさ」 「父さん、俺、腹減った」と下のほうで熊雄の声がした。 「早く、ここさ来い」 呼びかけて暫くたったが、熊雄はなかなか竹藪から出て来ない。不審に思った父親の達雄は、さっき熊雄が返事をした竹藪のほうへ降りた。 はたして熊雄はいた。 ところがすぐそばに一メートルはあるヒグマが一頭いるではないか! 熊雄は恐れている風はない。 昔から冬眠から覚めたヒグマは危険だとも言われ