杜江 馬龍

「もりえ ばりゅう」と読みます。 北海道襟裳出身、東京都在住 。 2023年9月頃…

杜江 馬龍

「もりえ ばりゅう」と読みます。 北海道襟裳出身、東京都在住 。 2023年9月頃からnoteに投稿しています。 1951年生まれ。

マガジン

  • 杜江馬龍のつぶやき

    外出した折りとか、日頃感じたことや、なにかを発見した時のことを ショートショート(つぶやき)に投稿しました。 それらの記事を纏めました。

  • しぶとく生きていますか?

    北海道えりも町を舞台に、主人公の一人の男を通して、「しぶとく生きる」 とは? という自然と人間の共存を問う作品です。

  • 連載小説 私たちは敵ではない(1話~16話)

    人間と動物(狸)の関わりを通じて、希薄になった現在の人間関係に警告を鳴らす物語です。

  • 連載小説 負けない(1話~9話)

    兄の説得で結婚した女性の内面を抉り出した作品です。

  • 連載小説 リセット(1話~12話)

    結婚生活に失敗した一人の男を中心に、失意から立ちあがる模様を描きました。

最近の記事

熊雄(連載③)

 熊雄が生まれて一年が経った。  彼の姿は依然として真っ黒な、しかも太い毛が体中に生えたままであった。毛の長さも一、五センチほどに長くなっていた。  母親のヨシは息子の将来を心配した。一歳の誕生日の十月、風呂敷に包んだ白米を背負わした。その姿を見て達雄とヨシは、熊が鮭を背負った木彫りと瓜二つだったから、手を叩いて大笑いした。その時、この熊雄が途轍もない能力を持っていることなど想像すらできなかった。  近くの集落にいる親戚連中は、熊雄が生まれてからは、気味が悪いといってその

    • 熊雄(連載②)

       達雄の父は富山県の出身で、達雄は小さいころから父親に付いて、本州の山々に入っていた。そこで熊だけでなく狸やアナグマ、野兎などを捕獲していた。  明治から大正時代の初めに、熊を追い本州(内地)から北海道に来た。  江差に居を構え、山の中に分け入っては熊撃ちを生業にしていたのである。つまりマタギだった。遠く日高地方の山に入り、ヒグマを相手に格闘する日々だったようだ。  父は達雄が小さいころに、マタギのことを話したことがあった。  マタギとは、元々東北地方の山中で古い狩猟法を守

      • 熊雄(連載①)

        小説「熊雄」を連載させていただきます。15回ほどに亘って綴ってまいります。 前回の連載小説「しぶとく生きていますか?」と同じく、北海道の襟裳岬が舞台です。 生まれ落ちた子が、途方もない能力を持っていたとの奇想天外の物語です。 本作品の時代設定上、現代にそぐわない表現がある場合は、その内容を考慮し、ご了承ください。    彼はもちろん人間である。  彼の名前を熊雄という。  しかし、彼は生まれ落ちたときから普通の赤子ではなかった。  熊雄は昭和二十七年十月、北海道の太平洋に面

        • 襟裳岬がついに国立公園に!

          「日高山脈襟裳国定公園」が早ければ6月下旬に正式に指定される見通し。名称は「日高山脈襟裳十勝国立公園」となる。 6/25付 北海道新聞記事から抜粋 長い間の念願だった! 襟裳岬が、ついに国立公園となる! 万歳‼  

        熊雄(連載③)

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        • 杜江馬龍のつぶやき
          10本
        • しぶとく生きていますか?
          29本
        • 連載小説 私たちは敵ではない(1話~16話)
          16本
        • 連載小説 負けない(1話~9話)
          9本
        • 連載小説 リセット(1話~12話)
          12本
        • 連載小説 還らざるOB(1話~11話)
          5本

        記事

          本日、連載しぶとく生きていますか? 29回が終わり、ホッとして一息ついています。 長期に亘り、ご愛読頂き、ありがとうございました!

          本日、連載しぶとく生きていますか? 29回が終わり、ホッとして一息ついています。 長期に亘り、ご愛読頂き、ありがとうございました!

          【連載】しぶとく生きていますか?㉙完

           茂三は思う。  自然のなかで泥臭く生きている人たちは、否応なく人間以外の生き物たちとの関わりが多い。ある時はヒグマに恐怖と憎悪を抱き、トッカリやゴメにさえ反目し、時には人間同士で憎悪を繰り返す。  この世を生きる人間は、自然界の生き物に対して、友情と理解を注いでいかなければならない。  ここ襟裳で生きる人たちの心根は純朴であり、自然のなかで生きとし生けるものすべてに限りない愛情を抱きながら暮らしている。口数は少なく、表情が豊かで大らかな襟裳の人たちなのだ。  また茂三

          【連載】しぶとく生きていますか?㉙完

          【連載】しぶとく生きていますか?㉘

           翌朝起きてキツネ小屋をみた茂三と松江の二人は、思わず吹き出してしまった。  二匹とも体を丸め口を開けて鼾をかいていたのである。 「俺の鼾より大きいな」と松江が笑った。  二匹の子ギツネは、松江の笑う声で起きてしまった。そしてお腹が減ったと見えて、朝ご飯を強請った。  松江はその二匹のことが可愛くてしょうがないのだ。顔を綻ばせ乍ら餌を与えた。  そして子ギツネと戯れていた。茂三はその景色をほのぼのと眺めていた。  ある日、いつものようにフンコツに通ってきた二人は、いの一番に

          【連載】しぶとく生きていますか?㉘

          【連載】しぶとく生きていますか?㉗

           茂三と松江は毎日、その仮設住宅からフンコツまで通った。  フンコツの家があった場所に小さな昆布小屋を建てた。松江と共同で使う小屋である。  その小屋の完成が目前に迫ったある日の朝、茂三と松江が仮設住宅から自転車でフンコツに向かっていた時、キタキツネが黄金道路の砂利道をうろついていた。よく眺めると、キツネが一匹、道路の真ん中で横たわりびくともしないのである。その周りに二匹の子ギツネが啼いていた。  二人は、自転車を止めそのキツネに近寄った。  母親と思われるキツネは既に死ん

          【連載】しぶとく生きていますか?㉗

          【連載】しぶとく生きていますか?㉖

           茂三と淑子に思いもかけない、嬉しい出来事があった。  終戦の三年後の昭和二十三年の春、一茂が生きて還ってきたのだ。  昭和二十年の五月、一茂は知覧の飛行場から飛びだった。搭乗した零式戦闘機の調子が思わしくなく、開聞岳を過ぎてから、徐々にエンジンの出力が低下した。そして沖永良部島の国頭岬の南側に墜落した。  一茂は墜落時、右足を捻挫し、顔に大きな傷を負った。その近くに一軒家があり、その家の娘の貞子が一茂を発見した。そして家まで運び看病した。  一茂は幸い命を取り留めたの

          【連載】しぶとく生きていますか?㉖

          【連載】しぶとく生きていますか?㉕

           その晩の午前二時頃だった。  家の外では、ゴーゴーという不気味な音がしていた。 「おい、皆起きろ! 津波の音かもしれない」と茂三が大きな声をだした。  隣の部屋で寝ていた松江夫婦にも茂三の声が聞こえたと見えて、起き出してきた。 「寝間着から着替えろ! 厚着しろ! 外は寒いぞ。貴重品と水を持ったか?」と茂三が己に確認するように話した。 「茂三さん、俺ちょっと外を見てくる」と松江が玄関をでて、真っ暗闇の中へ出て行った。そして戻ってきた松江が、 「みんな! 早く裏山に逃げるぞ。階

          【連載】しぶとく生きていますか?㉕

          【連載】しぶとく生きていますか?㉔

           昭和二十一年の秋のこと。  いつものように茂三は、明け方早く、家の前の海岸を海の状態を眺めながら歩いていた。  海のうねりがあり、いつもと違う。これから大嵐が来るかもしれないと、長い間の経験から感じていた。  当時のフンコツ(白浜)は電気や気象状況を伝える手段(ラジオ電波など)などが全く通じない僻地であった。  朝飯を済ませた後、昆布小屋に入って、何やら玄翁や釘を持ち出した。燃料にするマキの積んであるそばに立てかけてある平板を窓際に移動し、その平板を淑子と一緒に、窓の縁

          【連載】しぶとく生きていますか?㉔

          【連載】しぶとく生きていますか?㉓

           時代は、次の世と流れゆく。  川に流れの緩急があるように、様々な色彩を変えながら新時代に向かう。  昭和も二十年を通り越し、第二次世界大戦で日本が敗れ、戦争に駆り出された庶野の男連中は、戦地で死んだ人もいたが、茂三と松江はその半年後に帰還した。  二人は満州で終戦を迎え、舞鶴から電報を打って、淑子と澄子を喜ばせた。しかし、茂三の一人息子だけが還ってこなかった。  二十歳になる一茂は、昭和二十年五月、知覧の航空隊基地にいた。  一茂はそこから特攻隊員として志願して、開聞

          【連載】しぶとく生きていますか?㉓

          【連載】しぶとく生きていますか?㉒

           松江純一は明治の終わりに香川県高松でうどん屋を営む家に三男坊として生まれた。  生活は裕福ではなかったが、両親は何とか学校だけは出してくれた。小さい頃からおとなしい子だった。しかし気が短く、すぐカッとなることを両親は心配した。  尋常小学校を卒業後、純一は大阪に出て、ある商家の丁稚にはいった。  躾は厳しく幾度となく逃げて帰ろうかと思った。しかし、ここで挫けてはならないと歯をくいしばり日々先輩に怒られながら過ごし、あっという間に十八になった。  年に一度香川の松山に帰った。

          【連載】しぶとく生きていますか?㉒

          【連載】しぶとく生きていますか?㉑

           松江がフンコツに来てはや一年が経とうとしていた。フンコツの人たちとも馴染み、徐々に内地の人から襟裳の人になりつつある松江だった。  そのころ、松江に嫁の話が舞い込んだ。相手は庶野の自転車屋の長女の澄子という二十二歳の乙女だ。  その話は派出所の田村が役場の人間から聞いた。初めは田村本人がまだ独身なので意気込んでいたが、当の澄子が内地から来た松江に一目惚れをしてしまったらしい。  田村がある日、茂三にその話を持ち込んだ。茂三が松江の面倒を見ていたので先ずは、茂三に話を通した

          【連載】しぶとく生きていますか?㉑

          【連載】しぶとく生きていますか?⑳

           ある夏の日の昼下がり、松江の家の前海岸に、長さ二メートルほどの木舟が打ち上げられていた。  精巧に造られている小舟であった。  腐った果物や赤飯などが舟の中に置いてあった。舟底は平らなようだ。その小舟の中央に棒が立っており、紙垂が括り付けられていた。  お供え物には、ゴメなどが食い散らかしたような跡があった。  松江はその小舟に興味をもった。信心深い松江はこの小舟を海に流すことによって海神の気を静め、海難事故の無いようこの舟にお供え物を積み海に流したのだろうと想像した。  

          【連載】しぶとく生きていますか?⑳

          【連載】しぶとく生きていますか?⑲

           ある日、松江は祈祷師を呼んだ。庶野の山田旅館の主人から紹介されたらしい。  茂三は、「そんなもの呼んでも」と批判的だった。  松江は茂三の言葉に耳を貸さないほど精神的に弱っていたのである。  祈禱師は何やらもぐもぐ口の中で言っていた。そして、 「松江さん、多分これで大丈夫だと思うけど」と確信の無い言い方で、お金だけ貰い帰っていった。 「松っちゃん、よくお前に金があったな」と茂三が松江に聞いた。 「実は、庶野の旅館の主人から、いくらか借りた」と言った。 「あのケチな山田の主

          【連載】しぶとく生きていますか?⑲