#27 「正解」を気にしてしまったこと

高校生の時に存在を知った『DIALOGUE IN THE DARK』。
何となく気になり続けて20年。
ちょっとしたことがきっかけで、つい先日経験をしてきたところなのだが、
20年前の「何となく気になる」という非常に薄い認識で参加をしたのが良くなかった。

わたしは真っ暗闇の中で視覚以外の感覚を研ぎ澄ませていくことで、視覚障害の方の世界を追体験するつもりで参加したのである。

しかしそもそも企画名が『DIALOGUE IN THE DARK』である。
対話がメインなのだ。
真っ暗闇の中で、お互いの属性に囚われずに、対等な人同士が対話をすることに価値をもつ企画なのである。

わたしは聴覚や触覚、嗅覚が研ぎ澄まされる感覚を楽しんだ。
見知らぬ人たちと助け合いながら進むことも楽しんだ。
真っ暗闇の中で「愛について」「感謝について」対話することも楽しんだ。
どれも同じくらい楽しんだのだ。

でも、元々の参加意図は「感覚の研ぎ澄まし」なのだ。

そのため体験を終えた時の感想は自分の感覚に関するものになった。
そしてそれはアテンドの方の意図に沿う発言ではない。
そのためか、わたしの発言に対する反応が微妙だなと感じた。
アテンドの方はこの一期一会の出会い、対話を通して価値観が変わることを求めているので、そうした発言内容が欲しいのだ。
実際、他の参加者の方はそうした趣旨の感想を伝えていた。

仕事ではないし、どんな意図で参加しようと自由ではある。だから体験後にどんな感想を抱こうと自由なのだ。というかそもそも個人の感想だし。
でもつい、その場の空気を察して「正解ではない回答をしたな」と思ってしまった自分がいた。

2歳のムスメはわたしによく「合ってる?」と聞いてくる。
正誤の問題ではないこと以外は「正解が決まっていることではないから、ムスメの好きにしていいんだよ」と日々伝えている。

日々そう伝えているのに、いざとなったら自分は「正解」を気にしてしまうのだ。

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