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ベルクソン哲学の遺言…ベルクソン哲学の入り口として

書評 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

私はフランス🇫🇷の哲学者ベルクソンに傾倒してその著者のいくつかを熱心に読んだ一人です。今ではベルクソンも古典となってしまい、その著書に触れる人もいくばかりであろうか…と言ったところかもしれません。しかし、現代において改めてそれを掘り起こして読んでもらいたい哲学者の一人です。

ベルクソンはその生涯に渡って主要な四つの著書を書き上げます。「意識の直接与件に関する試練(1889年)」,「物質と記憶(1896年)」,「創造的進化(1907年)」,「道徳と宗教の二つの源泉(1932年)」。ベルクソンの著作を読んで先ず驚いたのはその言葉の流暢さと緻密さです。それは優れた文学者の様でありながらも、科学者の緻密な視点でもって描き出される。哲学するとはまさにこの様に両者の視点でもって描き出されるものだと感心しました。それが私が哲学に触れたと感じた出発点であったと思います。

その様なベルクソンの著作でありますが、予備知識無く読んで行くのは骨の折れる作業になるのでは思います。そこで、今回ご紹介するのはベルクソンを40年読み続けられた前田英樹先生のこのご著書「ベルクソン哲学の遺言」の紹介です。この著書を読み感じたのは前田英樹先生のベルクソン著作の読み込みの深さと、そしていかにそれを深く考えたかという事です。読みながら先生のベルクソンへの傾倒と心酔の深さもまた感じる事も出来ます。その様な先生が書かれた本著者はベルクソン哲学の要髄をまとめ上げて読書に伝えると言う使命感を持って書かれている様に思います。まさにベルクソン哲学への入り口として相応しい本であろうと感じますし、入門書としてお勧めしたいと思います。

最初にベルクソン哲学の要髄と言うべき「直観」を考えるにあたって、先ずこの本著では、自己が絶え間なく過去から現在をかり未来へと進んで行く事実を、自己が絶え間なく自分自身を作っていると言う持続と言う事実を、自分自身を過去から貫いている時間が一定の方向に向かって持続して流れていると言う事実について述べます。例えば、コップに入った水に角砂糖が入れられて溶けるの眺める際、貴方の精神は角砂糖が溶ける事象と相まって角砂糖が溶けると言うその一定方向に流れる時間の持続の中に投じられるでしょう。その事実に気付く時、貴方の精神はどの様に働いていたでしょうか。まさに持続する精神を知覚する精神の存在に気付かないでしょうか。この「精神を知覚する精神」こそがベルクソン哲学の要髄である直観です。そしてこの直観に基づき思索する事こそが真の哲学であり、真の経験主義なのです。

ベルクソン哲学では科学と相対する概念としてこの哲学が用いられます。共にものの実在を模索する手段でありながら、両者は思考する方法が外と内、外部からそして内部からと言ったイメージで異なります。科学はもの即ち対象を外側から眺めて観測し計測してその結果からある関係性を、数学的関係性を導き出します。科学は数学の娘なのです。そしてものの、物質の真の実在を捉えます。科学文明がこの様に発達したのはまさに科学が物質の真の実在を捉える方法であったからであり、デカルト以来の近代科学の成功です。対して哲学はものを対象を内側から捉えます。即ち持続する対象である生命をその意識の内側から捉えます。この持続は生命固有の現象であり、反復性を持ち繰り返し可能に存在しているものである物質とは本質的に異なっています。生命そのものの実在を捉えるには、この様に対象の内側から対象と共に持続して生きて考える哲学という方法が無ければダメだと言うのがベルクソンの主張です。この時、科学哲学とは敵対するものでは無く、相補的に相まって真の実在、真理へと人類を導いていくものとなります。

ベルクソンが直観して哲学する対象は脳や記憶そして意識から、生命進化、そして道徳や宗教と言う社会の事象へと向かいます。脳と記憶、意識を考える時には、また我々の意識は死後どこに向かって行くのかと言う彼岸の存在を、生命進化を考える時には、生命が進んで来た進化の方向とその何の無駄も存在しない進化の必然性を思索し、そしてその意識は持続する存在である宇宙にも向かいます。宇宙もまた細部は物質的な側面が強い物質的傾向を持ちながらもその全体では我々と同じ持続する生命的傾向を持った存在です。道徳と宗教と言う社会的事象を考える時には、閉じた道徳や宗教、開いた道徳や宗教と言う二つの傾向に注目します。閉じた道徳や宗教は受動的で、社会を安定にさせる虫や動物社会の行動様式に似た、行動を一定の枠内に収めようとする本能に似た傾向を指しますが、開いた道徳や宗教は個人の意識に依存した主体的に行われる行動であり傾向で、その主体的な行動や傾向は自己の精神を見つめる精神の働きである直観の働きに端を発するものです。そしてそれに接するものに伝播して行く影響を持つものです。

ここにおいてこれからの人類進化の可能性としてこの直観が注目されます。現在、物質を対象として対象を外側から眺め、現実に対応する手段を模索する人類知性の進化方向である科学はまさに隆盛を極めており、その進化はこれからも続いていくでしょう。しかし、人類の生存や幸福はその方向のみで達成されるのでしょうか。世界の情勢や歴史を紐解いて見ても繰り返される紛争や戦争、格差や貧困、環境問題、短かな所では家族の抱える問題、学校や職場関係での問題の発生などは人類の生存や幸福が科学を進化させるのみでは達成されず、むしろそれを悪化させているのではないかと言う兆候を示しているのではないでしょうか。これからの人類進化には科学をより先に進化させると共に、この知性の周囲を取り巻く残り火である直観に意識を向け精神の在り方を考えていく必要があるのではないか思います。特に、人類が科学の発達と併せて経済の束縛から解放されれば、その関心毎はより精神方面である直観に向けられるのではと思います。その進化の方向が正しいのかはまだ分かりませんが、人類の可能性としてその様な進化の方向に注目したいと思います。

以上の様にベルクソン哲学は広範囲に及び宇宙や人類そのものを網羅した哲学であるように思います。俗に生の哲学者とも言われている様ですが、ベルクソンの言う通り確かに人間とは現在を常に過去へと押し流しながら、隣にある過去と共に現在を未来へと翔けて向かっていく存在です。その時に事前に広がる障害としての自然は我々に厳しく接しながらもそれを乗り越えた先には新しい領域を獲得した喜びを我々に与えてくれます。私は自身の人生を支える根本となる思想をベルクソンから学んだと思います。そして、その入り口を記した前田先生の著書を見ることでベルクソンをまた再認識しました。

(了)





















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