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「リリー、(中略)どこかわからないけど帰りたいよ、きっと迷子になったんだ」


村上龍の処女作『限りなく透明に近いブルー』を読んだ。

主人公のリュウが身近になってしまった退廃的な日常をただ眺めるという内容である。


21の頃、この本を「面白いよ」と勧めてくるのは、決まってマッチングアプリをやっていたり遊んでそうな男だった。

今なら分かる、この本の題名である『限りなく透明に近いブルー』は彼らにとっても救いの色だったのだろうと。


ドラッグとセックスと呻き声の音が永遠に聞こえるこの本は最初は(その世界を知らない私たちは)うんざりする所もあるかもしれない、ただ読み進めていくうちに、だんだん分かってくる、あれは必要な描写でありこの本を形取っていたのだ。


私は19でなく21の頃だった、子供ではもうない、大人になったのだと揺らぐ自覚の中で自分を模索しにあえて知らない世界へ次々と飛び込んで行った時期があった。どこまで人間堕ちれるのかが気になって。私は心底自分の身体なんてどうでも良くて、この身体が朽ち果てようとの脳みそが生きてるならそれでいいとデカルト的な思考で生きてきたのだった。その頃はまだ現存在についてとかまで考える余地もなかった。

何事も現体験で形作られていくものがあると信じていたから。



初めて都会に触れた時は、まだ母の手を握っていた。


「東京はね、すごいとこなのよ。お母さんは東京が大好きなの。見てよこのキラキラした街。楽しかったな。なんで大分なんて来ちゃったんだろって思うもん。」


私はよく母からキラキラした東京について語られていた。私もそう思った。東京に旅行に行く度に憧れと羨ましさが募った。こんな田舎からじゃ手を伸ばしても到底届かない場所。憧れだった。
いつかこの足で都会を歩くんだ、と思った。

はやく、逃げ出したい、こんな田舎を。閉鎖的ですぐに噂の広まるような村社会と成績ばかり気にする大人たちの目と。悪口ばかり言う女子たちと、顔を品定めばかりする男子たちと。すぐにでも抜け出して東京に、私が見たい景色を見に行くんだ。


早く、早くここから抜け出したい。


低い建物に必ず垣間見える山々、ショッピングモールまでの道に広がる田んぼ、急な坂道、もう巡り尽くした駅前。全部飽き飽きしていた。

あの頃、友達と学校帰りにこっそり行くあそこの地下のゲーセンとかお祭りでワクワクを摂取していた。少ない小遣いを貯めて原宿にある店の服を買った。

友達とメルヘンクレープで食べるクリームのたっぷり入ったいちごチョコバナナを食べて、ああ都会の子たちは竹下通りを通ってこれを食べているんだなと想像して、少しでも近づいたような気がして嬉しかったのをよく覚えている。

チャリを漕ぎながら聴いたきのこ帝国の『東京』が受験勉強の救いだった。
東京で運命的な出会いをして、変わってゆく私の生活を想像した。POPEYEで散々見たロングコートを買って彼の隣をコーヒー片手に歩くのだ。その予定で埋まっていた。


高校生、ただの塾帰りに父親から言われた「どうせ遊んでたんだろ」が忘れられなくて、じゃあ遊んでやるよと思って初めて飛び込んだ都会の夜の世界。東京に来たのにコロナで動けないなんて勿体ないでしょ。「ハタチです」を免罪符にして駆け出した夜、ヒールの音が東京の地面を鳴らすのを噛み締めた。飲めないお酒を飲めるふりをして。

憧れの街々で撮る景色はキラキラしていて。
あたしを心底駆り立てた。カメラ片手にどこまでも散歩をして、新しい友人とよく老舗の喫茶店に行った。

日々を繰り返していると「憧れ」は不思議と当たり前になってくるようで、違和感の消えていく最中、じわじわと「日常」へと変化した。

思ったようにいかない生活は、私をより都会へと鼓舞させる。初めてのドライブは楽しかった。どこを眺めても山々の大分とは大違いだ。ビル街のキラメキが私たちを包む。都会に慣れた気でいる自分が嬉しかった。


私は自分の作品には必ず現体験を含ませる。そこで感じた温度、人と私との距離、ほほ笑みかける視線をファインダーで照れ隠しして。少女漫画のスクールの講評でまだ18の子とかの受賞で決まって書かれるのは、「現役ならではの強み」だった。私はそれを信じて取材がてらに飛び込んだ。ただそれだけだった。


当時、勢いで始めたマッチングアプリで初めて付き合った最低な彼氏に初めてを捧げた私は、その後出会った男もろくに愛せなかった。向いてない恋愛を置いておき、慣れない遊びの中で自分が分からなくなっていくのを感じていた。蝕まれる身体は私の死体を虫たちが分解するのを眺めているようで、それを眺めて少し安心した。バイト終わり、永遠に缶チューハイを飲んで、薬を飲んで、1人の部屋で横たわった。何をしているのかわからない。何をしたいのかわからない。ただ自分がここにいることだけ。それだけが分かっている。

あんなに憧れだった都会の生活は暗いポリ袋で包まれていった。それでも出口を探して歩き続けた。何度腰が痛くなっても歩き続けた。たまに帰った実家は非現実を思わせた。こんなに広くて暖房で暖かい家が、帰ってくる場所がまだあったことに驚きすら感じたのだった。ボロボロの私はそれでもふわふわしていて、母親が用意してくれていた毛布に横たわってはアプリを開いて知らない男の元へ深夜に出向いた。帰り道に吸った煙草は夜風と共に何気なく流れていく。何事も無かったかのように。それを眺めていると、長い家までの道のりはすぐだった。何も思い出せなくなっていた。好きだった彼の顔も声も。もう思い出せないし思い出さなかった。地元にいるのに足が浮いている。この道を何度も歩いて育ったのに。


あの頃の私はとうに変わっていたと思う。この本を勧められた21の時に読み終えて置けば良かったと思う反面、積読してて今になってから読み終えられて良かったと、今なら思う。その頃のあたしが全部読んでても私を俯瞰して眺めることは出来なかっただろう。私を、今を理解することは出来なかっただろう。多分、流れる景色と共に、そういう小説もあったなで流れて行ってしまったと思う。


久しぶりに実家に帰る度、あの夜を思い出す。地元なのに全然別の場所に感じたこと。寒い中寄ってみた大道のローソンで、お茶と一緒に初めて自分でハイライトを買ったこと。人通りの少ない川沿いがなんでもなく流れているのを手すりから眺めて少し安心した。そこに川がある。車通りの少ない道路に少ない街灯。下手したらどこまでも行けるんじゃないかと思った近くの山々へと続く道は永遠と私を取り残したのだった。


当時の日記にこう書いてある。

「私、何も不幸じゃない
どうしようもない
子供
ちゃんと自立するために時間と労働から逃げるな」

どうしようもなく不幸でない自分に腹が立って情けなくて息が詰まった。あたしはどこへ行くはずだったのか分からなくなっていた。この足は紛れもなく実家へと歩いているのに。帰る場所を永遠と探していたのだ。帰る場所が欲しかった。私の帰る場所はどこだ。ただいまと言ったらおかえりと言って欲しかった。東京に帰ると服と空になった缶が散らばった部屋が無言で迎え入れた。


最近になって、ようやく実家が帰れる場所のひとつであると認識できたように思う。また東京に戻ると私は焦りと浮いているんだろうけど。今も続いてる友達と久しぶりに交わす会話が愛おしく感じられるようになった。歳をとったのか。今でも笑顔で話してくれる友人と、おかえりと言ってくれる母親と妹に、ちゃんと「ただいま」と言えるようになったな、と思う。それはとても喜ばしいことだった。

あんなに出たかった田舎がこんなに心地よいと思ったのはいつぶりだろうか。今までなかっただろう。それだけ私は東京の生活に慣れたということか。憧れは日常になった。消費の激しい街から帰ると、実家から出てくるご飯は、自分で炊いたご飯よりも数十倍美味く感じた。振り向けば家族がいる。

「おはよう」、「おはよう」。

「おやすみ、早く寝なさいよ」、「うん。おやすみ。」。

安らかな安心が欲しい。実家を離れても。あたしが歩いているということを信じられるようになりたい。自覚を持って踏みしめたい。慣れないヒールとピアスがカチャカチャと音を立てている。満員電車でかく冷や汗から部屋に帰る日々がまた待っているのだろう。部屋に帰ったらまず片付けから始めようか。本と機材に埋もれた部屋も愛していたけれど、またここに引っ越してきた頃に、まだ新しい生活に胸を踊らせた頃に戻ってみようか。


今になってやっと、やっと自分の意思へ突き進めるような気がする。居場所がずっと分からなかった。ずっと探している。やっとの想いで見つけた居場所ももう失った。

私がまだ生きているということ、地面を歩いていること。


地に足つけて追いかけたい。
追いかけていた背中よりも自分の足を信じたい。

今になって、そう思えた。


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