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【帰郷】 ショートショート#4

 八月も半ばに差し掛かった頃、私はこの土地に帰ってきた。高台から見える小さな村。私の生まれ育った故郷だ。
「あら、久しぶりじゃない」
 洋子さんだった。久しぶりですね、と私は言う。
「帰ってきて早々悪いんだけど、向こうの広場から段ボール持ってきてもらってもいいかしら」
 今日は年に一度の祭りの日。私の育った村は祭りが有名で、今年も気合が入っている。赤提灯は綺麗に飾り付けられ、出店の準備もある程度は整っていた。
 洋子さんに言われたものを取りに広場へと向かう。立派なヤグラが中心を飾っている。
「おう、加奈子か」
 声をかけてきたのは正孝さん。六十歳を過ぎても村一番の力持ち。ヤグラを作るのは正孝さんの仕事だ。
「かなちゃん久しぶり」
 と、これは純香。私の幼馴染だ。
「また可愛くなったね。やっぱり住む世界が違うからかな。そっちの生活はどうなの」
 純香は昔から子犬みたいな子で、顔を合わせればいつもこうだ。
「こら純香、話してないでこっち手伝え。加奈子、段ボールはそこにあるぞ。どうせまた洋子さんだろ」
 正孝さんは言った。はぁい、と膨れっ面の純香。
「かなちゃん、あとでいっぱい話そうね」
 またあとでね、と私は応えて段ボールを持ち上げた。中身はぱんぱんに詰まった食材だった。少し重い。
「加奈子、久しぶり」
 声をかけてきたのは拓人。私の初恋の人。今でもまだドキドキする。私は思いを告げられないまま、東京へ行ってしまった。
「それ重いだろ。俺が持つよ」
 拓人は段ボールを受け取ると、私の隣を歩きながら祭りの準備での出来事を話してくれた。私はもっと声を聞いていたくて、わざとゆっくり歩く。
「あら、拓人くんと一緒に戻ってきたのね」
 にやりとした顔で洋子さんは言う。
「からかわないでくださいよ」
 拓人はぶっきらぼうに言った。
「冗談よ。私はこれから仕込みしちゃうから、加奈子ちゃんはゆっくりしておいで」
 洋子さんに言われる通り、私は久しぶりに帰った故郷を歩き回った。淳さん、智也、美奈子、孝蔵さん、大輝、明美さん、智則くん。みんな変わらない。
 日が落ちる頃に私は高台に登って広場を見ていた。提灯にあかりが灯って、太鼓の音が村中に響く。出店からはモクモクと美味しそうな匂いが上がり、子供たちはパタパタと走り回っている。
「今年も凄いだろ」
 振り返ると拓人がいた。うん、と私は言った。幼い頃から夏が来るとお祭りが楽しみで仕方なかった日々を思い出す。
「加奈子が東京に行って、もう七年だよな」
 私は十九歳になる年に夢を追って東京の大学へ進学した。最後の日、拓人も純香も泣いていた。私も声を出して泣いた。
「あれから七年か。時間が経つのって早いよなあ」
 拓人の声に、私は溢れる思いを押し殺して小さく頷く。
 私が上京した最初の夏。大型台風が村を直撃した。完成間近だったダムは決壊し、大量の水が村に押し寄せた。ニュース番組で映し出された村は、茶色く濁った水の中へ沈んでいた。テロップには住民全員が亡くなったと表示されていた。キャスターが何かを喋っていたけど、まるで耳に入ってこなかった。たった一夜にして私の故郷は無くなってしまった。
「毎年、帰ってきてくれてありがとな」
 拓人の声に、私は小さく頷くだけ。
「あのさ。いきなりこんなことを言うのも変だけど、綺麗になったよね」
 なにそれ、と私は笑った。それにつられて拓人も笑った。

「私、拓人にずっと伝えたいことがあったの」

「二人ともこんなところで、やらしい」
 純香だった。正孝さんと洋子さんもいた。
「なんでだよ」
 拓人は顔を赤くしてそっぽを向いたまま、高台から降りて行ってしまった。あぁ、今年も言えないまま。
「俺たちはお盆のときしか姿が見せられねえみたいだけど、お盆じゃないときも楽しく生活してるから心配すんなよ」
 正孝さんはそう言った。その隣で洋子さんは優しい笑顔を浮かべている。
「来年もまた帰ってきてね」
 純香もまた優しい笑顔だった。

(了)

・・・

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