20世紀前半の歴史を色々と顧みると、反共産主義という考え方がもたらした悲劇を発見することになります。 1 事の起こり 1917年にロシアで共産主義革命が起こりました。 それまでの帝政ロシアにおける人権状況は、ほとんど中世の農奴制の水準に留まっていましたし、共産主義革命後においても、様々な反対勢力を粛清するために、実態としては帝政期と同様の水準に留まり続けました。 そうした人権状況をもたらした元凶が共産主義にあったのか、スターリンにあったのか、簡単に決することはできない
世界中どこに行ったって出る釘は打たれるし、それどころか、じっと頭を低くしているとかえって笠にかかって、あらぬ言いがかりを付けては打ちに来るという理不尽も少なくないだろうと思うのです。あちこちの労働相談の窓口でハラスメントのご相談が、大きなウェイトを占めている背景には、そういう理不尽があるに違いありません。 だったら、大人しくしていても打たれるのなら、その前に自ら出る釘になるべきではなかろうか。 何年か前にアサーショントレーニングという言葉が流行ったことがありました。自己
前編で法律を腑分けしつつ読んで、使用者側の思惑により、同一労働同一賃金の規制が実態として骨抜きにされていることを確認しました。 その際に、二つのカッコ部分を読み飛ばしました。 そのうち、大事なカッコ部分、つまり「その賃金(通勤手当その他の厚生労働省令で定めるものを除く。)を決定するように」というカッコについて読み込んでいきます。 まず、「厚生労働省令」ですが、法律は国会の議決で、政令は内閣の議決で定められますが、「省令」つまり施行規則は各大臣が勝手に決められる、とい
法律は読みにくい、分かりにくいとお感じの方も多いだろうと思います。 しかし、はっきり言って、それは頭が悪いせい、ではありません。 法律の書き方が悪いのです。 そこで実際の条文を見ながら、そのことをご説明しようと思います。 例として取り上げる法律は、パートタイム労働法などと略称されている「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」('20/4/1施行)のうち、同一労働同一賃金に関する第10条です。 なお、関係する施行規則も大事なので後編で読み解
私は横浜市図書館のヘヴィーユーザーで、図書館の皆さんには日頃から大変感謝しているのですが、その感謝を表す意味も込めて、この記事を書きます。 図書館から本をお借りすると、時々、鉛筆やボールペンで書き込みや傍線が引かれています。 鉛筆の場合は、その都度、消すようにしていて、そのために消しゴム屑を払う刷毛も買いました 鉛筆の書き込みは見つける都度、こうやって消しているのですが、ボールペンではどうしようもない。 例えば次の写真です。 これはさきほど読み終わったP
このたび、3泊4日で94歳の父を入院させました。 病院から身体拘束に同意を求められたり、父自身の短期記憶が不安定になったりと、大変、ショッキングな出来事でした。 詳細は煩雑ですので省略しますが、結局は、大の大人を子供扱いせざるを得ない、高齢者看護、介護の現状がある、と言うことを痛感しました。 高齢になれば、ある程度の身体的、精神的な能力低下は避けられません。 だから、相手は大の大人なんだけれど、どうしても子供扱いせざるを得ない。 ところが、高齢者自身は
2 対話を生み出す 今日、大の大人同士が真剣に対話するオープンな場がどのくらいあるでしょうか。 どんな場か、どんな時間か、即座には思いつきません。 そういう現状を踏まえながら問いたいのは、古今の教師たちが行っていた対話が人々を引きつけたのは、もっぱら彼らの優れた資質だけに起因するのか、ということです。 やや今日的な問い方を用いるなら、対話型の教育を行える教師がどのくらいいるのか、という供給側の問題がある一方で、そうした教育を望んでいる学生や大人がどのくらいいる
1 対話の歴史 古来、教師の本分は質問し、対話することにあります。 論語の冒頭を思い出してください。 「友達が遠くから訪ねてきてくれた、愉しいことじゃないか?」 孔先生は、愉しいことだ、と教えているのではありません。愉しいことだと思わないか?と尋ねているのです。 老子に至ってはもっと挑戦的です。 「道の道とすべきは、常の道に非ず」 いわく、君は道、道と言うが誰も道を示すことなんかできないんだ、とほとんど門前払いを食らわした上で、それでも食い下がってくるなら、
共同体の意思決定にあたって、多数決という方法に様々な不具合があることは、実はフランス革命の時代にコンドルセやボルダが指摘していました。 実際、8月の横浜市長選においても、与党から2人、野党の統一候補が1人、さらに著名人や泡沫候補など計8名が立候補しましたが、選挙戦の途中には、票が分散して僅差になったらどうするのか、決選投票の規定がないから、選挙民の真意を測るすべがない、自民党の差し金かもしれない、と選挙制度そのものの不備を懸念する声もありました。 また、自民党政権が
プルーストもニーチェも同性愛者だった。 しかし、プルーストは一生食うに困らない金持ちであり、また、フランスはそもそも性風俗に寛容だ。 だから、プルーストは自分や他人の同性愛については特に悪ぶれる風ではないし、それどころかシャルリュス男爵という同性愛者を主著の全編にわたって登場させ、興味深い人物像を生き生きと造形している。 一方、ニーチェは貧しい育ちで、しかも、当時のドイツでは同性愛は社会的地位の喪失に結びつくスキャンダルだった。 だから、ニーチェは自分の同性愛に
お釈迦様は、生まれること、老いること、病気になること、死ぬことは、すべての人が経験する、逃れることのできない苦しみだと教えたと、高校の教科書で読みました(詳しくはネットで「四諦」を調べてください)。 しかし、最近まで、生まれることが苦しみである、という教えの意味が分かりませんでした。 しかし、落ち着いて考えてみるなら、突然、何の相談もなく母胎の外部に追い出され、局所麻酔もなしにへその緒をプチッと切られ、自分の力で呼吸し、栄養をとらなければならない過酷な環境に追放された
1 「資本主義」はマボロシ 大ヒットした斉藤幸平氏を筆頭に、多くの方々が地球規模の多重的な危機を論じておられることに強い共感を抱いているのだけれど、その議論の中で「資本主義」という言葉がキーワードとして用いられることに、共感が強い分、同じくらいの違和感を禁じ得ない。 なぜなら、「資本主義」など存在しないし、マボロシにしか過ぎないからだ。 だから、「資本主義」というキーワードを乗り越えていかない限り、危機を克服する道は見えないはずなのだ。 資本主義とは何か、という問
今年の夏は都心部を米軍ヘリが度々、低空飛行して問題となりました。 そして、その背景には日米地位協定という不平等条約があることは、多くの方がすで指摘されているところです。 しかし、実はこの事態の背後には日本政府の重大な失態があると言うことがどれほど指摘されているのか、やや心配なので若干、コメントします。 内田百閒の大正から昭和初期にかけての飛行機関係の随筆を読むと分かるように、当時の飛行機には事故が多かったし、世間的にも大変、危険な乗り物と考えられていました。 だか
ネットで調べると、消費税の税収はざっくり年間20兆円くらいのようです。* だいたい、消費税1%ごとに2兆円というイメージでしょうか。 一方、海外との取引のうち、輸入額は70兆円から80兆円くらいで、これ以外に投資などで10兆円から20兆円を海外に送っています。** 全体としてみると90兆円位を海外に支払っているという見当でしょう。 もし、国内で支払うお金に消費税を掛けることが許されるなら、国際市場で海外に支払うお金に消費税を掛けることも許されるでしょう。
先日、法曹関係者でもないのに、ご縁があって、労働弁護団のオンライン講演会の聴講を許されたのは本当に感謝な出来事でした。 講演会の内容は今年10月に出された正規・非正規雇用間の労働条件の違いに関する最高裁判決*の解説でしたが、どなたかが口にされた「最高裁は経営法曹に配慮したのかもしれないが・・・」という一言にハットしました。 恥ずかしながら「経営法曹」なる言葉をその時まで知りませんでしたが、なるほど労働弁護団が労働者の権利を守ってくれる「労働法曹」だとすれば、経営者の
人々が政治権力を委ねるべき人物を討議と合意によって定める制度、それを民主主義、と呼んでおきたいと思います。 今日の日本においては憲法上、討議の機能を政党が、合意の機能を選挙が担っている、と考えるべきでしょう。 そこで、民主主義は誰のためのものか、と問うとき、答えは実は2つあります。 ひとつは権力を人々から委譲された人物のための制度、という答えであり、権力者の正当性を保証することにその制度の目的がある、という考え方です。 もう一つは、権力を委譲した人々のための制度、