父の入院でみえた医療の逼迫
このたび、3泊4日で94歳の父を入院させました。
病院から身体拘束に同意を求められたり、父自身の短期記憶が不安定になったりと、大変、ショッキングな出来事でした。
詳細は煩雑ですので省略しますが、結局は、大の大人を子供扱いせざるを得ない、高齢者看護、介護の現状がある、と言うことを痛感しました。
高齢になれば、ある程度の身体的、精神的な能力低下は避けられません。
だから、相手は大の大人なんだけれど、どうしても子供扱いせざるを得ない。
ところが、高齢者自身は、そのような扱いを受け入れがたいし、まして入院に伴って生活環境が激変すれば、短期記憶の流動化や不安から来る人当たりの荒さのような現象も発現しやすくなる。
そのことはケアする側にも経験的によく分かっていることだし、その分を含めた手厚い体制を構築する必要がある。
ところが、現実には医療スタッフの人手不足や処遇面での課題などがあって十分な体制を造ることが出来にくい現状がある。
その結果、手に負えそうにない患者はとりあえず「せん妄」と一方的に位置づけた上で、身体拘束に家族同意を求める、と言う結果になる。
もし、身体拘束に同意すれば、高齢者本人の家族に対する信頼は大きく損なわれるだろうし、それをきっかけに精神は一層不安定化し、結果的に認知症を発症、もしくは加速させることになる。
病院側も、せん妄があるから身体拘束したいという提案にあわせて、せん妄症状が認知症に発展することが多い、と説明していました。
しかし、身体拘束がせん妄の症状改善にいかなる効果があるかを説明しなかったし、むしろ夜勤のナースの体制脆弱を強調するばかりでした。
私は、彼らの医療従事者としての良心を疑う者ではありません。
ただ、彼らの良心を全うするための環境条件が不十分であると言うことは、身をもって体験したと思います。
コロナ騒動で、長年にわたる国の医療政策が、医療や介護全体を逼迫させてきたことが明らかになりました。
来る選挙にあたっては、私のこのような経験を踏まえてご判断いただきたい、と言う趣旨で投稿いたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?