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【読書メモ】「時間」とは何なのか?

時間は存在しない
カルロ・ロヴェッリ・著 冨永星・訳
NHK出版

量子力学に興味を持ち、いろいろ調べているうちに、
「時間」について不思議な話を知りました。
それは、上の方と下の方、例えば、立っている時の足と頭では、
時間の流れの速さが違うということです。
そんなわけない、と思っているうちに、
どんどん「物理学が記述する時間」が気になってしまい、
最近時の流れが早く感じる焦りとも相まって、
手に取った本がこの本でした。

物理学者が書いた本でありながら、
数式などは登場せず、
哲学や心理学などあらゆる視点から
エッセイのように綴られていて、
私のように10代で理数を諦めた人でも気軽に読むことができました。

ただ、内容というか、その概念を理解するのは難しかったです。

タイトル通り「時間」は存在しないということが書かれているので、
まずは私たちが普通に持っている「時間」像が崩壊します。
え?って思いますよね。
時間って絶対的なものとして生きてきたじゃないですか。
時間を守ろうって言われるし、年月で学校は卒業したし、
時給で給料は発生するし、、
でも私たちがあてにしてたものは、
時間ではなく「時計」なんですよね。
区切って初めて、私たちが「時間」と名付けて初めて、
一様な流れに見えるものであって、
いつでもどこでも同じように進展していくものではないのだな、と
何だかわかったようなわからないような感じです。
そもそも進展していくも何もないかもしれません。

この手の話において重要な用語を知りました。
「エントロピー」です。
時間はエントロピーの増大であり、そこに過去も未来も今もない、(みたいな感じの解釈であってますかね…)
この世界(宇宙)はそもそもエントロピーが低い状態、つまり整然とした状態で、
そのエントロピーが、私たちの熱時間(熱エネルギーの話)とともに増加し、
混沌としていくらしくて、
この混沌に向かう流れは不可逆的なんですって。
難しいです。
カオス(混沌)の対義語が宇宙を表すコスモスであることを思えば、
昔の人はこのエントロピーの話をよく理解していたのかもしれません。
そもそも私たちが「今」見ることができる宇宙って
何光年も「過去」の姿ですもの。それはもう秩序だったコスモスでしょうよ。
そういう言葉遊びは置いといて。

時間が存在しないのに、なぜ私たちは
「時間」の存在を感じているのか、という話になります。
宇宙レベルの話が、実は人の内面の話にギュッとやってくるのです。

この辺で、哲学者の出番です。
この世の中にある全てのモノ、
今考えている自分自身でさえ、
存在しているって何なんだろうとか思わされます。
世の中はモノでできているのではなく、出来事からなっているというのです。
確かに、そうかもしれません。

私たちの身近に思うこの「今」でさえ
常に「過去」になることを感じさせられ、
それが「記憶」というものに支えられていることを知ります。
また、私たちがどの「視点」から見るのか、ということに依拠しているとも感じます。
ここに「知覚」の話が入り込んできます。
私たちの目は「ぼやけている」ので、
エントロピー云々の話が見えず、
また、時間の流れが一様ではないなどといったことは量子レベルの揺らぎでしかないので、
私たちの能力では「知覚できない」結果、
「時間の流れが見える」そうです。
そのため、結局は、自分の経験と記憶についてのみ語ることができるのです。

遠くからは見えるのに近づくと消える朝の霧のように、
公園の噴水にかかった虹の付け根のように、
掴もうとするほど実の姿ではなくなってしまうような感覚になりました。
はたまたそれがリアルなのか。。
時間について、そして量子力学や相対性理論、量子ループ理論についてもっと知りたいと思いました。

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