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バレンシア・ミステリーツアーで体感するオカルトの恐怖② 【閲覧注意】アイスクリーム店の知られざる過去

うだる暑さが続く今日この頃。

皆さん…、お元気でしょうか?

6月に参加した、バレンシアのミステリーツアー「Rutas Misteriosas VALENCIA PARANORMAL(ルータス・ミステリオサス バレンシア・パラノーマル)」。

前回の、まさかの肩透かし投稿の後、気がつけば7月も終わる…。
まずいまずい💦私だけゾっとして冷や汗かいてどうすんの💦

ちなみに前回のお話はこちらです。

ということで、今回はお待ちかねツアー本編、いってみたいと思います!

⚠️注意⚠️
今日のお話には、グロテスクな要素が含まれます。
当noteは一切の責任を負いかねますので、ここから先は、自己責任でお読みください…。


最初のミステリースポット:中心街にひっそりと佇む空き家

バレンシア市庁舎前広場へ続くCalle Sant Vicente Mártir(カジェ・サン・ヴィセンテ・マルティール)の大通りに、アイスクリームショップが数件、連続して立ち並ぶ一角があります。

うだる暑さの中、アイスクリーム美味そうだなぁ、食べたいなぁ、ヒンヤリしたいなぁと、色とりどりのアイスクリームのショーケースをガン見しながらその角を曲がり、私たちミステリーツアー一行は細い路地へ入りました。

この路地の名前は、Calle de Manyans(カジェ・デ・マニャンス)。

車1台通れるか…、いや通れないか、ほどのこの狭い路地には、いくつかのバルやレストランが軒を連ね、私たちが行った時はちょうど夕食時ということもあって、路地にひしめくテラス席では多くの外国人観光客が食事を楽しんでいました。

多くの食事客で賑わってはいるんですが、この路地、なんとなーく薄暗い。

路地とはいえ、ここらのエリアは、結構セントロもいいところのセントロです。
しかし、この一角だけまるで時代に取り残されたかのような古めかしさというか、とにかく雰囲気が暗い!

そんなことを思いながら歩いていると、ふいにガイドが足を止めました。

「最初のミステリースポットは、ここです。」

ガイドがそう言って指をさしたのは、レストランの隣りにひっそりと佇む1軒の、これまた古めかしい空き家でした。

3階建ての小さな空き家。セキュリティに加入している模様(どんな情報w)

1階部分は、ガレージの入り口だろうか、大きな扉。
2階と3階部分には、小さなバルコニーがあります。

扉は真っ黒に塗られています。2階と3階の窓も真っ黒な木造の扉が固く閉ざされていて、2階の窓ガラスは、石でも投げられたのか、無残に割れています。

バルコニーの鉄柵はいかにも年季が入った様子。
3階のバルコニーの天井は抜け、どうやら長い間誰もこの家の手入れをしていないことがうかがい知れます。

この家に隠された過去の忌まわしい事件

レストランのテラス席で外国人ファミリーが賑やかに食事をしている傍ら、一見何の変哲もない古びたピソの前で、20人ほどの我々ツアー参加者が、この真っ黒な扉を背にしたガイドを取り囲むという、異様な光景…。

美味しそうな匂いも立ち込める中、熱心にガイドの話を聞く我々

このカオス、ちょっと笑える…。

しかし笑っていられたのは、ここまででした。

◇ ◇ ◇

時は19世紀初頭。

この路地、Calle de Manyansでは、人々の間で奇妙な噂が立っていました。

この路地を通った人が次々に行方不明になると。

まるで神隠しにでも遭うかのように、この道を通ったであろう人々が次から次へと、忽然と姿を消したのです。

捜査を開始した警察は、やがてこの家が怪しいと目星をつけ、ある日、この家を家宅捜査します。

そして警官たちは家の中のあまりの光景に恐れおののきました。

彼らが見たのは、なんと山積みにされていた大量の人骨!!!

警察はこの家の住人の男を逮捕しました。

男は、家の前を通る人々を何らかの方法で家の中へ招き、殺めていたのでした。

◇ ◇ ◇

しかし、ここでとある謎が浮かび上がります。

警察がこの家で発見したのは、大量の人骨で、遺体ではありませんでした。

埋葬したわけでも火葬したわけでもない遺体が、そう簡単に短期間で骨だけになるでしょうか?

◇ ◇ ◇

殺人鬼として逮捕された男は、自宅の1階部分の裏手で精肉店を営んでいました。

そしてその精肉店は、いつも新鮮なお肉が手に入ると、なかなか評判の良い店だったようです。

肉屋…💧

オーマイガー💧

勘のいい皆さんなら、もうおわかりですね?

そうです。

いやあぁぁぁぁぁ!!!
皆まで言うな…。
言うでない!
言わなくていいぃぃーーー!!!

◇ ◇ ◇

さて、その「裏手にあった」という、精肉店。

現在はどの位置に当たるのかというと、これまた驚愕の事実!

この一角の建物群(ブロック。スペイン語ではManzana(マンサナ)と言います)の構造からいくと、当時の精肉店だった部分は、現在はなんとつい先ほど「美味そうだなぁ~」と通り過ぎてきたアイスクリームショップだったのです!

ヒイイィィィーーー!!!😱😱😱

でも思い出して!

先ほど私は「アイスクリームショップが数件、連続して立ち並ぶ一角」と書きました。

このうちのどれか1店舗が、どうやら当時精肉店だったようで、残りの店舗は違うようです。(たぶんね。たぶん。)

ここではどの店舗が遠い昔の精肉店跡地なのか、敢えて伏せておきます。(えぇ、えぇ、言いますまい。)
バレンシアにお越しの際は、ぜひ皆さんのシックスセンスで、ついでにそこのアイスクリームも食べて(普通に美味しいお店です笑)、いろんな意味のヒンヤリを味わっていただければと思います…。

『スウィーニー・トッド』はバレンシアで起こっていた?!Calle de Manyansにまつわるメモが発見される

上記が、頑張ってガイドのスペイン語を聞き取った内容です。

しかし、私のスペイン語レベルの聞き取りでは恐ろしく不安なので(こっちもこっちで違う意味で恐ろしい💦)、ちょっと調べてみました。

以下は、バレンシアの地元紙「Levante」が2014年4月に報じた記事の一部です。

Calle de Manyansの極悪理髪師

殺人犯は19世紀前半の3ヶ月間、サン・マルティン墓地近くの家畜小屋で犯行に及んでいた。

19世紀に何十人もの客を殺害した理髪師スウィーニー・トッドと、その相棒で殺害者の肉でパイを作るパイ屋の伝説は、1846年頃のイギリスで生まれた。

フリート・ストリートの極悪理髪師として知られるようになった者の犯罪に関する文書記録はない。しかし、バレンシアで似たようなことが起こっており、イギリスの伝説を生み出した物語が『The Time』紙に掲載された実際の記事を元にしていることを知れば、それがイギリスの伝説にインスピレーションを与えた実際の出来事である可能性は十分にある。

「Calle de Manyansの極悪理髪師」についての文書記録がある。これは書物愛好家のRafael Solazによって発見された。それは、1870年から1973年の間に書かれた年代記作家Pau Carsí y Gilの 「Cosas particulares, usos y costumbres de la ciudad de Valencia (1800-1873) 」の中のメモの一つである。この日記のようなメモは、Manuel Marqués Segarraという人物が保管していたConde de Carlet広場の書庫にあった。Calle de Manyans、別名Calle Cerrajeros(セラヘロス通り)の床屋の話については、年代は記されていないが、Pau Carsíはこの話を19世紀前半に位置づけているようだ。

Rafael Solaz著 「La Valencia del Más Allá 」に掲載されているPau Carsíのメモの書き起こしは次の通りである。

Calle Cerrajeros(セラヘロス通り)には、Calle San Vicente(サン・ヴィセンテ通り)から入って、通りを半分ほど進んだ右側に、通りに面した戸のある家畜小屋があり、そこから中に入ると、Calle de la Pellería(ペレリア通り)にある居酒屋の中に出る。この家畜小屋のドアの上には、石でできた3人の男の頭があり、その昔、ここには床屋があり、髭を剃りに来た者を殺して強盗を働いたと言われ、もうひとつの家には洋菓子屋があり、殺した者の人肉の一部を菓子に入れたとも言われている。これは事実である。

Source:El barbero diabólico de la calle Manyans(Levante)

『The Times』紙が先か、Pau Carsíのメモが先か?

2008年に日本で公開された、ティム・バートンとジョニー・デップが手を組んだミュージカル映画『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』が記憶に新しい人もいるかと思います。

『スウィーニー・トッド』は、この映画が作られる以前から舞台のミュージカルでも人気を博しており、オリジナルとなるのは、『The String of Pearls: A Romance』という恐怖小説(Thomas Prest著)です。

この小説は、1846年11月21日発行の『The People's Periodical』第7号に掲載されており、これがイギリスにおける『スウィーニー・トッド』の最古の記述と言われています。

著者であるThomas Prestは、恐怖小説を書く際に『The Times』紙に掲載された実際の犯罪記事から着想を得ることがよくあり、『The People's Periodical』も同紙で報じられていた何らかの事件を参考にしている可能性が高いとのこと。

ただ、スウィーニー・トッドは実在の人物という説があったり、1846年に掲載されたこの小説よりももっと以前の、1825年にイギリスで発行された『The Terrific Register』誌では、パリの理髪師とパン屋の協力による、『スウィーニー・トッド』を彷彿とさせる殺人事件の物語が掲載されていたりと、『スウィーニー・トッド』の起源は、実はハッキリしていません。

先述のLevanteの記事によれば、(1825年のパリの理髪師の小説は置いといて…)Pau CarsíのメモにはCalle de Manyansの理髪師の事件についてハッキリとした年代は明記されていないものの、メモ自体は《1800-1873》であり、メモの最後にわざわざ「これは事実である」と書き加えているため、Calle de Manyansの理髪師の事件は1846年よりも前に起こり、それを報じたイギリスの『The Times』紙を読んだThomas Prestが、1846年掲載の『The People's Periodical』を書くにあたり着想を得たのではないか(いや、そう信じたい)と、Pau Carsíのメモを発見したRafael Solazは語っているようです。

ちなみに記事にある「サン・マルティン墓地」ですが、現在はこんなセントロど真ん中に墓地はありません。
しかし当時は、Calle Sant Vicente Mártir(サン・ヴィセンテ・マルティール通り)からCalle de Manyansに入って、右手には事件があった家畜小屋が、左手には、サン・マルティン墓地の壁があったようです。

墓地と隣接した場所で殺人事件があったとは…😱

おわりに

実は今回、ミステリーツアーの最初に訪れたミステリースポットを、サラッと、なんなら前回のようにちょっと明るく陽気に書こうと思っていました。

それなのに!
書き始めたらびっくり!

まさかジョニー・デップが出てくるとは!

そこじゃないかw

まさか『スウィーニー・トッド』の起源まで調査する展開になるとは!

書きながら冷や汗ダラダラ出ました💦
この暑いさなかに💦

こんなにマジメな内容で話を締めくくることになるとは、思ってもみませんでした。

怖い話や怪談は、そのストーリー自体も怖くて楽しめます。
だけど、さらに考察したり深掘りしていくと、教科書以上の思わぬ歴史を知ることができたり、当時の人々のリアルな生活ぶりや習慣、考え方などが垣間見えてくるのが、またおもしろいところでもあるんですよねー!

一足お先にヒンヤリしちゃいましたが(違う意味で肝が冷えました)、皆さんもこの猛暑の日々、少しでもヒンヤリしていただければ嬉しいです。


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