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発信で変わるかもしれない常識


noteを始めてみて、続けていて、良かったなぁと思うことがありました。

私が記事に書いた”デミセクシャル”に興味を持ってくださったともきちさんが、セクシャリティそのものについて発信してくださり、そしてその記事に興味を持った方がまたセクシャリティについて考えてくださったそうで。

発信することって、こういうことなんだ、、、!」と心が震えました。

発信することは、少し勇気が要ります。けれど、発信者がいるからこそ、新しい何かを知ることが出来る。興味が湧いた事柄を更に調べて、また他の誰かに伝えてみることが出来る。そうやって、常識は作られる。そして、常識は変わっていく、変えられる。

そして最終的には、常識という概念が薄まればいいと思っている私は、いつも自分のセクシュアリティについて書いています。だけど根底にある思いは、私の大好きな友人ふたりの関係が、どうか認められる世界になって欲しいという思いです。ふたりが生活する国でも、ここ日本でも、世界のどこにいても、彼女たちが堂々と手を繋いで歩けるようになったらいいなという希望を持って、発信しています。

だから、凄く嬉しいです。微力な私が発信したことを、ともきちさんが受けとめてくださったこと。そして、ともきちさんを通じて、もっとたくさんの方がそのことについて知ることが出来るこのnoteという場所に感動しています。誰かに届くって素敵ですね。本当にありがとうございます。

そんなともきちさんが今回書いてくださっていたこちらの記事。

「男らしさ」や「男だから」という言葉は苦手だと書かれているともきちさん。うんうん。激しく同意です。私は苦手というか、その表現は好きじゃないなって感じです。

個人の個性や魅力を「男性」か「女性」のどちらかの枠に当てはめている感じ。そしてその枠が、その人が生まれ持った性と相反していると、「変わっている」と言われてしまう。なんかね、寂しいですよね。

男性が得意な傾向にある分野や、女性が得意な傾向にある分野っていうのはあると思うんです。だから、男女平等とは言っても、無理に全てを平等にするのではなくて、生活や仕事の中でお互いが得意な分野で能力を活かすことは良いことだと思っています。助け合えればそれでいいのではと。

けれど、それらはあくまで傾向であって、全ての男性や女性が、その傾向に当てはまるわけではない。みんなひとりひとり個性がある。

例えば、「男の子なんだから泣かないの」というひと言は、その子の感情を抑制してしまう言葉だと思います。泣かない=男らしい、でしょうか?何かに感動して涙することに性別は関係ないでしょうし、嬉しかったり痛かったり辛かったりするその感情を表現できない世界を想像すると、息苦しいなと思います。

それと同時に、「あなたらしくないよ」という言葉も私は好きではありません。先日、テレビで芸能人の素顔を探るような番組が放送されていました。「純粋、素朴」というようなイメージを持たれやすい方の好きなお店が、高級店だった時に、MCの方が「◯◯さんらしくない!なんか嫌だ!」と言ったのを聞いて、こちらがすごく嫌な気持ちになりました。

「◯◯らしい」って、周りがその人に求める人物像を押し付けてしまうような、そういうパワーを持ってしまう言葉だなと思いました。”窮屈”じゃないですか?どんな一面も私らしいな!って自分を受け入れる為に使う言葉なのかもしれませんね。

自分の好きなものは、性別で決まるものではない。年齢も関係ない。いずれその好きなものを好きじゃなくなることもあるだろうし、これまで好きだったものと全く相反するものを好きになったりすることもある。それはあなたの、私の、自由です。

「らしさ」という枠に当てはめる概念や、そこに込められた常識も、変わっていくことを信じて。これからも発信を続けていきたいです。



じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^