『No. 1 Pure Pedigree』の着想 ~ジョルジュ・ブラックと出逢う
2019/11/14
友だちと、上野で美術鑑賞をして、感想を交換しながら帰りました。
僕はどちらかといえば近代の系譜を丁寧に踏もうとするものを好み、友人は一般に現代美術に分類されるものを好んでいました。
「現代美術を鑑賞する機会をつくれていないため、現代美術の良さを真に理解できていないんだと思う」
と、自分がどうして現代美術を楽しめないのかを分析して友人に伝えました。
2019/10/29
そういえば友人は、1冊の本を僕に貸してくれていました。現代美術に関係する本です。その本は本棚にしまわれ、読まれる瞬間をじっと待っていました。
2019/12/21
ほんとうのことをいうと、僕はこの時もまだ、現代美術にたいする……なんといえばいいのだろう……うたがいのようなものを抱えたままでした。
だから、本を読む気力が、あまり、起きづらかった。
でもそれでは貸してくださった方にあまりにも失礼じゃありませんか?
僕は意を決して読み始めました。まるで腹に短刀を突き刺すかのような書きぶりですが、決して大袈裟ではありません。
僕にとって1冊の本を読み始めるとは、そういうことです。
牛バラ肉を食べるのでもなく、ステーキ肉を食べるのでもなく、牛一頭をまるまる食べる──読書とはそれくらいの集中力と根気を要すものです。
それなのにどうして、本を読むのでしょうか。
読むことで得られる知識だとか、読んでいる途中に作者と対話することができるような気がして……読書のなかで感じる喜びのようなものは、費やす集中力や根気に勝るからでしょう。
小説や詩なんかは、凝り固まった思考を柔らかくしてくれる。
この日僕は名画座でアルゼンチン映画とドイツ映画を観たのでした。名画座への往復の際にお借りした本を読んでいて──そこにジョルジュ・ブラックについての言及があった!
たった2ページだけです。
そもそも筆者はその章でピカソについて説明しようとしていて、ブラックはあくまでピカソを理解するための一片に過ぎなかったわけです。
が、ジョルジュ・ブラックというひとりの画家は僕の前頭葉をかっさらって逃げてしまったのです。
帰宅してから、ほとんど休憩もせずに、一晩かけてブラックのための小説を書き切りました。
なんの下調べもなしに書いたものですから、画家の人生とは異なることばかりでしょう。でも、書いている時も、書き終えた時も、心が震えていたのは、たしか。
──次の戯曲はジョルジュ・ブラックについて書くことにしよう。
執筆にあたって、僕は、ブラックを知るために文献を読みあさりました。かつて作品をつくるためにこれほど渉猟したことがあっただろうか、というほどに。
正しい真面目さを味方につけて『No. 1 Pure Pedigree』という戯曲のかたちをした詩集──しかし読めばやはり戯曲であることがわかるような文章──を書きました。
自信とはないようであるものであり、あるようでないものであるが、『No. 1 Pure Pedigree』は僕だけが書くことができる──自信を持てるはず。
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