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なぜなら僕はクラシック音楽に関する専門的なボキャブラリーの一切を持ちあわせていない.クラシック音楽史的な年表も頭のなかにインプットされていない.それでもクラシックが好きだと本当に言えるのか?

さて、今日は11時くらいに起きた。昨日は勤めている店が忙しく、閉店作業をしていたらいつの間に終電がなくなっていた。

夕食は、店でまかないをいただいていたが、夜食に誘われてラーメンをご馳走してもらう。この日は昼もラーメンを食べていたので、一日に2度もラーメンを食べることになる。塩分量など諸々の健康的な観点がいかがなものか、多少気に掛かるが美味しくたいらげる。その後、シェアサイクルに乗って帰る。30分くらいの道のり。とても寒く感じたので途中で停まって、店のユニフォームを重ね着した。いくらか寒さをしのげるようになった。

それから熱いシャワーを浴びて、ウイスキーを飲みながら本を読んでいたら、いつものように眠気が襲ってくる。7時間半眠ると元気だ。7時間半後にアラームをセットしとこに入る。



起床後、いつもの通りクラシック音楽を聴きながら、朝食(特濃調製豆乳を1杯)を済ませて、顔を洗ってストレッチをする。

今日はシューベルトの交響曲第五番を聴いていた。交響曲のなかでもとりわけ好きなもののうちのひとつだ。部屋を掃除しながら、クラシック音楽の魅力について考える。僕がクラシック音楽について語るとき、専門的な用語は一切もちいない。もちいないのではない。もちいることができないのだ・・・・・・・・・・・・・。なぜなら僕はそのような専門的なボキャブラリーの一切を持ちあわせていない。クラシック音楽史的な年表も頭のなかにインプットされていない。それでクラシックが好きだと本当に言えるのか? と誰かに訊かれたら、

「じゃ、僕は本当に・・・好きではないんだと思います」

と言って即座にその場を立ち去って、その人の前でクラシック音楽の話を決して持ち出さないようにすると思う。そして、今日も黙々とひとりでクラシック音楽を聴いているのだ。


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