【前編】学校と地域が育む「農」の教育~福島県喜多方市立堂島小学校長・橋本淳さん、農業科支援員・山田義人さん、教育委員会指導主事・中野富全さん~
今回訪れたのは、福島県喜多方市。
地名を聞いてまず思い浮かぶのは、名物の喜多方ラーメンや、漆塗りなどの伝統産業と結びついた蔵の街並みかと思いますが、盆地の地形を活かしたコメ栽培が盛んな地域。市内全小学校では「農業科」と名付けられた授業がカリキュラム化されており、農業地域ならではの教育が行われています。
この農業科の取り組みについてお話をうかがったのは、喜多方市立堂島小学校の橋本淳校長と、「農業科支援員」として堂島小の子どもたちの指導に当たる山田義人さん、市教育委員会指導主事の中野富全さん。
まずお聞きしたのは、農業科という授業の枠組みや、それを実施する体制について。地域の方々が積極的に協力してこそ、特色ある学びが長期的に発展していくということが、お話の中から浮かび上がってきました。
地元生産者が支える「農業科」
千葉 今日この場に来るまでの道中、青々とした田んぼを眺めながら来たのですが、私自身が米どころである宮城県石巻市の出身だからなのか、田園風景を見ると心が潤う気がします。さて、そんな石巻をはじめ、全国の農業地域では、それぞれに農作業体験を取り入れた授業が行われていますが、喜多方市の農業科の取り組みには、どのような特徴があるのでしょうか?
橋本 単発的な体験ではなく、年間を通した授業の中で、コメを栽培する一連の流れを学ぶという点だと思います。喜多方市では種をまいてから、除草体験も含め、収穫して食べるまでを年間35時間から45時間の授業の中で体験できるんです。そのほかにも、学校や学年ごとに、畑で季節の野菜や果物を育てていますね。
千葉 手塩にかけて育てたものを食べるというのは、子どもたちにとって最高の経験になりますね。農業を授業に組み込むには、地域との連携が欠かせないと思うのですが、どのような体制のもとで農業科は実施されているのでしょう。
中野 私たち教育委員会が全体のコーディネート役を担っていて、各校が地域の方々とのネットワークのもとで、主体的に授業づくりを行っています。
千葉 喜多方市は面積が広いだけに、地理的な条件や児童数も学校によって異なるでしょうからね。地域の実態に合わせた教育を子どもたちに届けるには、確かに各校の主体性が重要だと思います。
中野 市内には17の小学校があるのですが、児童数も2ケタのところから、400人台の学校までさまざまです。各校が地域に密着しながら、より深い学びを提供していくために欠かせない存在なのが、「農業科支援員」としてボランティアで指導に当たってくださる農家の方々です。
千葉 支援員の皆さんは、学校ごとに数人ずついらっしゃるのですか?
中野 そうですね。教育委員会が委嘱して、それぞれがお住まいの地区の学校で指導いただいています。本年度は108人の農業科支援員がいらっしゃいまして、その一人が本日お越しいただいた山田さん。堂島小の農業科で使用している田んぼの地主さんでもあります。
山田 今日はよろしくお願いします。私ももう75歳と、それなりの年齢になりまして、「元気なうちに話せることは話しておかないと」と思っていたところなので、インタビューをしていただくというのは嬉しいですね。
橋本 そんなことはおっしゃらずに(笑)。私たちより、よっぽど元気なんですから。
小学校は文化をつなぐ拠点
千葉 授業は「農業科」という名前で実施していますが、国語や算数などと同様の科目ということなのでしょうか?
中野 もともとは2007年、国の学習指導要領によらずにカリキュラムを決められる「教育特区制度」を活用して、独立した科目として立ち上げられましたが、指導要領の改訂に伴って、現在は総合的な学習の中で行われています。
千葉 なるほど。農業科の立ち上げに当たっては、どなたが旗振り役となったのでしょうか?
中野 当時の市長ですね。農林水産省出身ということもあり、5市町村の合併によって新しい喜多方市が生まれるタイミングで、肝いりの政策として取り組んだそうです。もちろん農業の担い手育成という側面はありますが、重視したのは農業の教育的な価値。心の教育や自然との共生、食育、環境について学んでもらうことを目的に始まりました。
山田 スタートした当初は、堂島小ほか数校だけの実施でしたよね。
中野 はい。最初は3校から始まって、2011年までに市内全校へ広がりました。
千葉 それらの3校が早期から実施できたのは、なぜなのでしょう?
中野 比較的小規模な学校ですし、農業科が始まる以前から、それぞれが地域の農家の皆さんと連携した取り組みを行っていたので、授業を実施する協力関係も整っていたのだと思います。
山田 堂島小の場合は、農業科が始まる20年以上前から、「祖父母学級」という名前でコメづくりの授業をやっていたんです。当時、ちょうど私がPTAの会長だったのですが、「祖父母の方々にも授業に関わってもらう方法はないか」と学校が考えて、思い至ったのがコメづくりだったんです。祖父母にとって、農業は自分たちの専門とする生業ですからね。子どもたちに「こうやるんだぞ」と教えてあげて、「じいちゃん、ばあちゃん、すごい!」と喜んでもらう。そんなコミュニケーションが、学校教育に携わる動機づけになるだろうと。
千葉 農業体験を子どもたちに届けることではなく、地域住民を巻き込んだ教育を進めようという考えから始まったわけですね。
山田 その点で、農業科とは多少趣旨の異なる事業でした。いずれにせよ、教育は地域の財産である子どもたちを育むものなのだから、幅広い住民が積極的に携わるべきだと思います。それに、小学校はいわば「地域の文化の中心地」。住民との協働のもとで教育を施すことは、土地に根付いた文化を次につなぎ、地域の一体感を醸成することにもなると考えています。
学びに携わる喜びが原動力
千葉 農業科は基本的に、学校と農業科支援員の皆さんとの協力関係のもとで実施されていると思うのですが、そこからさらにネットワークが広がっている事例もあるのでしょうか?
橋本 堂島小学校では、ピーナッツの生産・加工会社さんにご協力いただいていて、今年も5・6年生が畑で育てた落花生の植え方・収穫・脱穀・焙煎などでお力添えをいただいています。昨年度は「地元スーパーと連携しては?」「一緒に加工品もつくってみたいね」などというアイデアも頂戴しました。
中野 ほかの学校でも、地元の企業と協力した6次産業化への試みがあったり、道の駅での販売体験を行ったり、高校と授業で交流したりといった例がありますね。
山田 農業科という共通の枠組みではありますが、各校のやり方が一律ではないところが、この授業の良さですよね。それぞれにやりやすい形で進めていくのが、継続にもつながっていきますから。
千葉 山田さんは祖父母学級から数えて40年以上、農業を活用した教育に取り組まれてきたわけですが、学校と地域との協働を続けていく秘訣は、ほかにあるでしょうか?
山田 住民が協力するという部分でいえば、「あの人しかできない」というムードをつくらないことですかね。たとえば祖父母学級では、子どもたちに指導する役が、地域内で順番に回ってくるようにして、「誰にでもできる」のだと敷居を下げるようにしました。
千葉 確かに、取り組みを引っ張るキーマンがいるだけでは、どこかで無理が生じますからね。気楽にさまざまな人が関われる雰囲気をつくってあげることは大切だと思います。
山田 それに、田んぼや畑の方は「ちょっとくらい失敗しても大丈夫」という風に捉えるくらいでいいんです。学校での農作業は、作物を生産することが目的ではありませんからね。
千葉 地域の方々に協力していただく一方で、学校側の負担が大きくては、継続が難しいと思うのですが、橋本先生はその点についてどのようにお感じになっていますか?
橋本 私たち教員も農業支援員の方々から学ぶことが多いので、むしろ楽しんでいますよ。農業科支援員の皆さんも、子どもたちに教えることを喜んでいるはずですし、私たち大人のそうした気持ちは、子どもたちにも伝わっているだろうと思っています。
多世代交流によって生まれる「小学校柄」
千葉 山田さんご自身は、農業科に携わる中で、どのようなことを喜びと感じていらっしゃいますか?
山田 やはり、子どもたちの笑顔ですかね。笑顔と一口に言っても、苦笑いから大笑いまで、いろいろありますよね。その中でも、畑や田んぼの中に入っている時の笑顔というのは、とても自然で明るいんです。たとえばこれを見てください(と、写真を取り出す)。子どもが田んぼに足を取られて尻もちをつく。その友達が、転んだ子の手を取って起こしてあげる。そんな何気ない瞬間に、とても素晴らしい表情が見られるんです。土に触れるというのは、きっと人間の根源的な喜びなんでしょうね。
千葉 思わずこちらも微笑んでしまうような光景ですね。実際に、農作業が脳の幸せを感じるホルモンの分泌を促すという研究結果もあるんですよ。
山田 それは知らなかったです。科学的な裏付けがあるのなら、癒し効果という部分も含めて、農業の魅力がもっともっと広まっていくと嬉しいですね。
千葉 ええ、そう思います。今お見せいただいた写真に写っているのは、同級生の友達同士だと思うのですが、そのほかに子どもたちの縦割りの関わり合いもありますか?
橋本 堂島小の本年度の児童数は58人なのですが、稲刈りなどのタイミングでは全校で作業をします。その時には、上級生が下級生へ、農具の使い方なんかを優しく教えてあげるんですよ。下級生はそういう先輩たちの姿にあこがれを抱いて、「次は自分たちが」という風に、年々意欲を高めながら授業に臨んでくれるようになるんです。
千葉 そうした上下の関わりはとても良いですよね。かつての地域には、年長のお兄さんを中心とした、子ども間の縦割りコミュニティーがありましたが、今は同級生との関わりだけにとどまりがちですから。
橋本 確かにそうですね。かつて祖父母学級に参加していた児童が、親となって農業科に携わることもあるのですが、上下の関係がつながり続けた結果として、そうした地域ぐるみの体制が生まれているところもあるのかもしれません。
山田 祖父母学級で「こら!」と叱られていた子が、保護者として農業科に携わり、叱る側になっている様子なんかを見ると、継続してきた喜びをしみじみと感じます(笑)。
千葉 お話を聞いていると、学校教育を中心に多世代の方々の気持ちがつながっていることが分かりますね。
山田 幅広く地域住民とのつながりがある学校には、お国柄のような「小学校柄」が、次第に形成されてくるんです。
千葉 なるほど、「小学校柄」とは新鮮な言葉です。
山田 「小学校柄」は各校の個性や魅力というだけにとどまらず、地域が大切にすべき心そのもの。だからこそ、私は小学校が文化の中心地だと思っています。
(後編へつづく)