ぽっぷこーんじぇる

短歌をやっています。寿司村マイクさん、姿煮さんと短歌ユニット「朝ごはんじゃない」を結成…

ぽっぷこーんじぇる

短歌をやっています。寿司村マイクさん、姿煮さんと短歌ユニット「朝ごはんじゃない」を結成しました。短歌の企画をしたり、評を書いたり、インタビューしたりしています。

マガジン

  • 短歌五十音

    • 15本

    「短歌五十音」は、中森温泉、初夏みどり、桜庭紀子、ぽっぷこーんじぇるが五十音順に歌人を紹介する記事です。毎月第一〜第四土曜日に更新予定。 画像は桜庭さんよりいただきました。

  • 今月の短歌

    前川佐美雄『秀歌十二月』を起点として、各月の短歌を紹介します。『秀歌十二月』読書会の企画です。

  • まじめな記事

    がんばった記事です。

  • 短歌インタビュー「私と短歌」

    ツイッターを活動の場(の一つ)とする歌人にインタビューする企画、「私と短歌」の一覧です。

  • 春のたべもの短歌会

    2023年4月に開催した「春のたべもの短歌会」の記録です。

最近の記事

短歌五十音(た)玉城徹『左岸だより』

このnoteは次の二部に分かれています。 1.玉城徹の歌集『左岸だより』の紹介(1400文字) 2.玉木徹の評論集概観(5300文字) 第2部はおまけです。気になるかたのみお読みください。 『左岸だより』玉城徹(1924-2010)は歌人・評論家。北原白秋に私淑。第四歌集『われら地上に』で迢空賞を受賞。現在はいりの舎が彼の歌集・訳詩集を販売しています。『左岸だより』はその一冊で、2020年に発売されました。 玉城徹は晩年に小冊子「左岸だより」を発行していました。歌集『

    • 連作の紹介(1)内田穰吉「調べ」8首

      作品 解説映画のワンシーンを見ているように、取り調べのさまが目に浮かぶドラマティックな連作である。全体はおおまかに場面描写→主体の心情→時間経過という構成をとっている。最後の句が「明日の調べは烈しくならむ」で終わっており、連作の出来事が何度も繰り返されたことを暗示する(→分析)。 内田穰吉(1912-2002)は日本の経済学者。戦前は共産主義運動にかかわり、何度も治安維持法違反で検挙されている。 連作のもとになった事件は「日本貿易研究所在勤中の1943年3月15日、輸

      • 短歌五十音(し)折口信夫『釈迢空歌集』

        このnoteは次の2部に分かれています。 折口信夫, 富岡多恵子編『釈迢空歌集』の紹介(2500文字) 釈迢空の短歌滅亡論から現代短歌の位置をさぐる(4500文字) 第2部はおまけです。気になるかたのみお読みください。 釈迢空の短歌をたどる折口信夫=釈迢空について 国文学者である折口信夫が歌人・詩人として名乗ったのが釈迢空……とされている。富岡多恵子によると、釈迢空は折口の戒名・法名でもあるという(『釈迢空ノート』)。 なぜ出家後・死後の名前である釈迢空を生前から

        • 木下利玄とリアリズムの現在/二月の短歌

          前川佐美雄『秀歌十二月』の二月では木下利玄の歌が紹介されている。 『李青集』は歌文集だ。ここで『李青集』所収の散文から利玄の歌風を考え、そこから一気に現代短歌へと繋げてみたい。 利玄略歴 「道」で利玄は自身の略歴を語る。李玄は1886年に現在の岡山県北区に生まれる。藩主であった伯父が早々に亡くなると、五歳の利玄が跡取りとされ、すぐに東京行きが決まった。故郷の実の親とは離され、会うことはほとんどなかったという。 東京での「寂しい」生活のなか、「いつの頃からか俳句や歌」に

        短歌五十音(た)玉城徹『左岸だより』

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          6本

        記事

          短歌五十音(く)葛原妙子『葛原妙子歌集』

          底本:葛原妙子『葛原妙子歌集』(川野里子編、書肆侃侃房、二〇二一) 1.外部 戦後、葛原妙子(1907-1985)は外部にいた。まずは時代の問題として、葛原は敗戦という外部、短歌という外部、女性という外部に置かれていた。 日本の敗戦はこれまでの〝日本的なもの〟からの決別を作家に強い、彼らはまったくの〝荒地〟から言葉を紡ごうとした。彼らは〝日本的なもの〟である俳句と短歌に矢を放った(第二芸術論)。俳人・歌人はさまざまな反応を見せるが、そのやりとりは男性間にかぎられていた

          短歌五十音(く)葛原妙子『葛原妙子歌集』

          〈舞台〉に立つ、〈舞台〉を降りる――前川佐美雄『白鳳』私論/一月の短歌

          前回のnote はじめに前川佐美雄の第三歌集『白鳳』は1941年7月に出版された。刊行順でみれば『植物祭』『大和』につづく第三歌集だが、『大和』より前の1930-35年の歌を収めており、実質的な第二歌集に位置づけられる。 このnoteは三枝昂之『前川佐美雄』、三枝昂之編『前川佐美雄歌集』の二冊を頼りに彼の表現世界を辿ることが目的である。しかし、『白鳳』は『前川佐美雄歌集』には80首しか収められていない。 一方、三枝は「極めて特殊な魅力を持った歌集」(『前川佐美雄』p.1

          〈舞台〉に立つ、〈舞台〉を降りる――前川佐美雄『白鳳』私論/一月の短歌

          短歌五十音(え)江田浩司『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』

          ※このnoteは次の三部に分かれています。 江田浩司の第一歌集『メランコリック・エンブリオ』の紹介。 タイトルの「憂鬱」から、憂鬱の近現代史を辿る。 タイトルの「胎児」から、江田浩司の現在を辿る。 第一部が独立しており、第二部、第三部は補論です。気になる方のみお読みください。 江田浩司『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』(2022, 初版1996)巻頭歌から見えてくるもの たとえば海。たとえば空。翼。月。光。水。性愛。性器。思想。言葉。そして憂鬱。江田浩司

          短歌五十音(え)江田浩司『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』

          「年の暮」の歌人たち/十二月の短歌

          画像:生野源太郎『草にをどる』所収。「南独kairswertにて」とキャプションがある。ドイツ、デュッセルドルフの都市カイザースヴェルト(Kaiserswerth)か。 国会図書館でタイトル「歌集」、目次「年の暮」で検索すると12冊の本がヒットする。『藤田東湖全集』が3冊(1冊は新版)、安達鏡子『二春と一と夏 遠き子らへと』が2冊あるから正確には9人10冊だ。 筆者はこの10人を誰も知らない。勉強不足もあるが、多くは忘れられた歌人だと思う。 彼らにも年の暮があり、それを

          「年の暮」の歌人たち/十二月の短歌

          詩形と発想――短歌の短さについて

          長さと余韻 俳句、短歌、詩、小説の一番の違いは「長さ」です。 俳句は17文字ですね。短歌は31文字です。詩は色々ありますが、ざっと20行×15文字として300文字と考えます。小説も30000文字としておきましょう(原稿用紙75枚分です)。 ごくごく大雑把に、短歌の長さを1としたとき、俳句は0.5、詩は10、小説は1000になります。つまり、小説は短歌の1000倍ほどの文字数を重ねることができます。 短歌を長さ〝だけ〟から考えることには問題があります。しかし、短歌が長さ

          詩形と発想――短歌の短さについて

          尾山篤二郎「雪の舞踊」と斎藤茂吉の評価(十一月の短歌)

          尾山篤二郎について尾山篤二郎(1889-1963)は石川県金沢市生まれ。15歳のとき、膝関節結核により右足を大腿部から切断。生涯を文筆一本で生計を立てる。歌壇最初の総合誌である「短歌雑誌」の編集に就く。歌集のほかに歌論、古典和歌評釈を書いた。 『現代短歌大事典』では「家庭的にも経済的にも、幸せであったとはいえないが、狷介孤高、奔放不羈、近代短歌史上に特異な光芒を放」つと評価されている(滝沢博夫)。 『秀歌十二月』「十一月」で紹介されるのは最後の歌集『雪客』(春秋社, 19

          尾山篤二郎「雪の舞踊」と斎藤茂吉の評価(十一月の短歌)

          みんな食べて生きてきた――『昭和萬葉集』に読む「食」の歌・備忘録

          はじめに昭和の短歌を集成した一大アンソロジーに『昭和万葉集』がある。全20巻、およそ8万首が収められているという。 そんな『昭和万葉集』から、たべもの短歌だけを抜き出した本があれば、たべもの短歌から昭和という時代が見えてくるのに……あった。小林勝『『昭和萬葉集』に読む「食」の歌』(2018)がそれだ。 見つけたのはけっこう前だが、ずっと読むことができなかった。なぜならこの本は私家版(自費出版された本)で、どこにも売っていないためだ。 もちろん一般の図書館にも置いていない

          みんな食べて生きてきた――『昭和萬葉集』に読む「食」の歌・備忘録

          〈世界〉になじめない〈私〉――前川佐美雄『植物祭』私論/10月の短歌

          はじめに2023年、前川佐美雄『秀歌十二月』、三枝昂之編『前川佐美雄歌集』が発売された。前年には『ねむらない樹』vol.9、特集「詩歌のモダニズム」に前川佐美雄の評論が多く寄せられ、2020年7月には『短歌』に特集「没後30年 前川佐美雄」が編まれている。彼はいまさかんに読み直されている歌人だ。 彼はなにをしたのだろうか。前川佐美雄主宰の歌誌「日本歌人」(1934-41)は戦後に復刊されるが、その同人には戦後短歌を彩る塚本邦雄・山中智恵子・前登志夫らがいた。さらに以下で触れ

          〈世界〉になじめない〈私〉――前川佐美雄『植物祭』私論/10月の短歌

          昔の口語短歌を読む――労働・呪詛・家族

          はじめにテーマ別に和歌を分類した本を類題和歌集という。俳句でいうところの歳時記だ。1928(昭和3)年、奇しくも2冊の類題和歌(短歌)集が編まれている。一冊は『昭和一万歌集』(尾山篤二郎、矢島歓一共編)。もう一冊は『現代口語歌集』(花岡謙二編)だ。 前者は当時の短歌全体を見渡したアンソロジーと言っていい。対して、後者は文字通り「口語歌」の短歌集である。後に述べるように、口語歌はこの時期に最盛期を迎えていた。 『昭和一万歌集』と『現代口語歌集』の目次を比べてみよう。『昭和一

          昔の口語短歌を読む――労働・呪詛・家族

          関東大震災の短歌・補遺

          写真:坪井道一『関東大震災記念写真帖 : 大正一二年九月一日 深川区』 「清住遊園内のバラツク部落」とキャプションがある。 はじめに短歌史の本を手にとり関東大震災と短歌の項を読むと、おおむね同じ歌人の震災詠が挙げられている。「関東大震災と短歌」も「釈迢空の関東大震災詠」もこうした本の記述に従っていた。 国会図書館デジタルコレクションを漁っていると短歌研究会編『新選一万歌集』を見つけた。初版は1925年、1927年に出版社とタイトルを変えた(『新選壱万歌集』になっている)新

          関東大震災の短歌・補遺

          現代短歌詳らか/あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の(千種創一)

          読む はじめてこの歌を読んだとき、いや今でも、結句末の「海の」という言葉に惹かれてやまない。モノクロの世界に色がついたような衝撃。それは定型で読むことを許さないような「、」の配置とともに、筆者の記憶に深く刻まれている。 まずは短歌らしく定型で読んでみよう。音数を数えると、「、」を一音としなければ二九音、一音とすれば三二音となる。短歌は字余りより字足らずをきらうから、「、」を一音に数えるとすると、句切れは あっ、ビデ - オになってた、/って君の/声の短い/動画だ、海の

          現代短歌詳らか/あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の(千種創一)

          川柳/引き出しを引いて出してもうなにもできない

          太陽が押っ死んでから本番だ 血のようなものがみえるが夜だから寝る 枕に足が生えてきて俺が下か ブラインドタッチで夜を暗くする 寿命吸うように新刊手に入れる 本物は初めてみた見なきゃよかった 引き出しを引いて出してもうなにもできない 早起きの三文では夜が買えない ピカチュウのそばでは人を愛せなかった ひとり起きて「夜」を報告するバイト 扇風機一往復ひとり死んだ なにかの末裔ですのでなんとかしてみせます ビル風をお通しに出されても美味い オセロで別れたっ

          川柳/引き出しを引いて出してもうなにもできない