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人の死が生んでくれたもの①

最近、仕事中ちょっと涙ぐんでしまいました 笑

もちろんあくびして涙が目に溜っているくらいなもので誰にもきづかれてはいません


先日、若い頃の話を綴ったのでそれをちょっと
ふいに思い出してしまったからです




日々に「?」を抱えながら理学療法士として大人の振りをしていた頃

患者さんが亡くなることが続いた



一人は私が担当する病棟に転棟してきた7、80代の男性の患者さん
その方はもう衰弱している状態で転棟してきた

「もう終わりだ」
「もうここまでだ」


悪い方ではなかったし、精神的に落ち込んでいるわけでもない
会話もできるし、認知面でもしっかりしている

冷静でいてごくごく普通の大人だった

私はその言葉に驚きはしているが悪い気はしていなかった



ただこの人は自分の「死」を理解しているだけ



そう私は思った


そして、表面上淡々と仕事(リハビリ)はしているが
内心では「この人はもう死んでいる」と思っていたと今は思う



無理やり励ますということはしなかったが(そんなことが通用するような単純な方ではないとわかっていたので)


でも、

正直どう顔を合わせればいいか分からなかった


最低限、間違いだけは避けようと誠意を込めて無難に対応するしかできなかった

無理をさせるようなこともしなかったが、
もう少し違う対応もベテランなら出来ていたのだろうと自分を責めるしかなかった


看護師さんは慣れているから「はい、頑張れ頑張れ~」とか平気に言えてしまうのが羨ましかった

でもそれは悪意も何もない機械的な単純作業・・・



食事を摂らなくなって痩せていき体力も落ちていくその患者さんに「これじゃ亡くなるんじゃないか?」と看護師さんたちが呟く声に胸が痛くなっていた

死んじゃう?


私は「死ぬ」と思っていなかったから


現実から逃げていただけかもしれないけど
私は「生き返らせたかった」から

それしか考えてなかった


だってこの人はこれから「死ぬ(かもしれない)」のではなく、
もう既に「死んでいた」から

だからどうにかして復活させたかった



私の頭には2つの世界があるみたいで
「現実」と「理想」みたいに

「亡くなりそう」と言う肉体的な世界と
「もう亡くなっている」という精神的な世界がごっちゃになっていた

だから余計に「亡くなりそう」をどうにかしたいけど
肉体的に私ができることはあまりない事は明確であったし
だからと言って精神的に支えられる、それを肉体面に持ってい行けるだけの
つまり「生き返らす」教育も経験もスキルはなかったので
自分の空っぽさ心がソワソワして悲しくなっていた



あの当時わたしにできることはなかった
人を支えるだけの力はなかった


リハビリは簡単な話、こうゆう状態にしたいという「ゴール設定」をしてそれを叶えるために邪魔している「問題点」をあげていく

ゴールを達成させるために問題点を解消するための具体的なリハビリをやるというのが「リハビリをしている」という事なのだ



問題点を見つけられたが「こうしたい」というゴールを叶えるだけの具体的なスキルが私には当時なかったのだ

理想を叶える力がなかった・・・・

まだ無力な私は平常心を装い、虚無感をひた隠しにするのが精一杯だった




患者さんは実際亡くなられた


リハビリとしてやれることはやった
でもそれ以上に私にできることはなかった

わたしとしてもできることはなかった

出来なかった・・・



運動をする、体をよくするってことだけがリハビリじゃない

そして「それ」が明確になったことにも繋がった




私は人と違う

人と見ている観点が違う

おまけにそれを「諦めきれない」ところがある


そしてそれを「やっていきたい」というのが今でいうPonoのでの伏線回収だったのだと思っている



患者さんが亡くなられた


私はただ、誰もいなくなった病室をじーと見つめることしかできなかった

そして目に焼き付けておかなければならないような気がしていた

忘れないように



病院はいつものように循環している
あの患者さんが居なくなった病室にはもう新しい患者さんが入っていた

『過ぎさるは忘れるが如し』

そう社会に無理やり教育されているような気がして
それが理解できなかった

耐えられなかった

本当はとても悲しかった
皆と同じになれない私は置いて行かれるような気がしてとても孤独だった


忘れないように、せめて見届けるまで
私にとっては忘れちゃいけないような気がしていたから



まぁ、だからそんなんだから私は組織にはいられないんだろう・・・

この世界では私は失格なのだから




どうぞよろしくお願いいたします