多動で本が読めなくて悩んでいる人へ
こんにちは。ponogardenです。
今回は、「多動」について悩んでいる人へのブログです。
よければお付き合いください。
まず最初にお伝えしたいのですが、
わたしのブログや詩を読んでくださる方はもう、
うっすらと気づいておられるかもしれませんが
わたしはどう見ても「多動」寄りですね。
その観点から伝えさせていただくと、
多動なことは、「今、本人に必要だからそうなってる」
というふうに、読み解くことができると思います。
多動の子。逆に言えば、「動かない子」も。
今の時代って、一つの物差しで測りすぎてはいませんか。
勉強を受ける時、一切の物音を立てずに
座って授業を受けることって、本当に必要ですか。
もちろん、物音が気になる子もいると思います。
じゃあ逆に、「物音が一切ない環境」が
苦手な子もいるはずですよね?
一体、どうすればいいのでしょうか。
「学校」という場では、
最低限の「枠」におさまる訓練というのは
確かに必要かもしれません。
ただ、それってなぜなのでしょうか?
わたしが勘違いしてほしくないのは、
「多動の子」=社会にとって難しいですか?
「不動の子」=社会にとって、必要ありませんか?
安全ではないですか?
本当は、どう思われているのでしょうか?
そこに関して「モヤ」をかけたまま
行動するべきではないですよね。
教育現場ははっきりと答えるべきです。
そして、「じゃあどうすればよいのか」
もちろん、「多動の子」や「発達障害の子」の
教育は一筋縄ではいかないかもしれません。
その過程で、「不登校」を選ぶ結果だけは避けなければならない。
きちんと、「人生」に本気で向き合うこと。
「多動の子」に本気で向き合うとは言っていません。
貴方は貴方の課題に、きちんと本気で向き合うこと。
発達障害の子、多動の子は、
常に人生に対して、本気です。
本気で心動くことをしようとして、毎日生きてる。
本気で創作活動に、取り組む子も。
人生の大半の時間を、そこに注ぎ込もうとします。
この姿勢に対し、どう向き合うべきか?
「貴方は貴方の、課題に本気で取り組むべき」です。
これに尽きると思います。
強めの文章になってしまったかもしれませんが、
わたしは応援したくてこの文章を書きました。
読んでくださり、ありがとうございました。
2024.12.4(水)
ponogarden