コメディのあり方
ダンテから得たコメディのヒント
ダンテの『神曲』地獄編を昨夜読み終えた。13~14世紀に活躍した彼は言わずと知れたイタリア最大の詩人であり、その著作は現代のイタリア語の基礎を成しているとも言われる。
ここでは『神曲』を読んだ感想について述べるわけではなく、タイトルに着目してコメディのあり方を考えてみたい。
『神曲』における喜劇とは
『神曲』という邦題がつけられている本作品の原題は『La Divina Commedia』である。つまり、Commedia→Comedy→コメディというわけだ。そう、これは喜劇なのだ。たとえ地獄編のような、一度読むと忘れられないほど不気味な地獄の描写が含まれていても喜劇なのだ。
そもそも『神曲』はダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれて地獄→煉獄→天国と巡る話である。
この地獄→煉獄→天国のように状況が好転していくストーリーを喜劇と当時は捉えられていた。現代のお笑いを誘うコメディとは毛色が違う。
コメディのあり方
では、なぜ私がここでコメディのあり方を考えようと思ったのか?それは喜劇とされる本作品が政治や宗教、罪について痛烈な批判をしており、現代の日本のコメディにその風土を見出せないためだ。
最近よく『ビッグバンセオリー』というアメリカのコメディ番組を観ているが、宗教的・ジェンダー的・政治的皮肉(批判)をふんだんに盛り込み笑いを誘う。本当に面白い。
茂木健一郎さんも口酸っぱく言っているが、日本のお笑いは内輪ネタに終始し、”終わっている”と。笑
言い過ぎなようではあるが、本質はついている。日本のドメドメな内輪的コメディの風土ではなく、海外の大胆不敵な批判的コメディの風土は洗練されている。
話を戻して、ダンテも批判的なコメディを描いている。(もちろん笑いを取る現代的なコメディのあり方とは異なるが)フィレンツェの主とした政治、イスラム教に対して、キリスト裏切ったユダ、などなど具にそして痛烈な批判をする。
本来的なコメディのあり方を『神曲』地獄編に見たような気がした。
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