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アウシュビッツを訪れて 〜前編〜(ポーランド・クラクフ)

僕は歴史好きの延長で、ナチス政権下に関する代表的な作品だけは触れた上でポーランドにやってきた。『アンネの日記』『夜と霧』『ヒトラー〜最期の12日間〜』『シンドラーのリスト』 (『帰ってきたヒトラー』←これはギャグ)

高校生の頃にはワシントンD.Cにあるホロコースト博物館にも足を運んだ。
(※ホロコースト…ナチスによるユダヤ人大量虐殺のこと。ギリシャ語で「焼かれた生贄」という意味で、ユダヤ教には牛を焼いて神に捧げる儀式が存在した)

そんなことから、最も凄惨なホロコーストが行われたポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所には何としてでも一度訪れたいと長年強く思っていた。 (ビルケナウ収容所はアウシュビッツ収容所で抱えきれなくなった人々を収容されるために作られたためか、広大な敷地だ。)


ガイド

行くと決まればガイドの予約だ。時期によってガイドがいないと見学できないようだ。

僕は日本人、いやアジア人で唯一のアウシュビッツのガイドをされている中谷剛さんに依頼するのをオススメしたい。リベラルな立場でアウシュビッツの背景から、我々に今課されている命題を考えさせられる。 (何より日本語の案内が一番理解度が高いかなと🤔)

依頼はメールのみで、こちらまで↓
nakatani@wp.pl


いざ現地へ!

クラクフ中央駅からバスに揺られて90分で到着。着いた瞬間から場の雰囲気は重く、生憎の雨がその重さをさらに助長していた。13時の待ち合わせ時間に近づくと多くの日本人と対面した。場の雰囲気も幾分は明るくなった。

ツアー開始

※展示を中心には紹介しない。ネットでもそれは見られるので、僕が紹介するまでもない。

日本語で「働けば自由になる」と。そんなことはないのを皮肉ってBだけが逆さになっている。と書いたけど丁度Bが隠れてる😓 他のサイトでご覧下さい、、

この有名な門からツアーは始まる。

ツアーが進行していくに連れて事の凄惨さを物語る展示をまざまざと見せられる。しかし、僕は違和感を感じていた。「ここに来るよりも、圧倒的に資料や本の方がその凄惨さを語っている。展示もよく見るものばかりだ。ここまで遥々やってきた意味はなんだ?」と。

そんなことを感じていると、中谷さんがこの施設は民主主義の結果だとおっしゃった。と言うのは、ナチスは国民によって選ばれたので悪くはないし、ホロコーストを行った彼らも悪くない。全て上からの命令、さらに上からの命令、さらに上・・・と突き詰めていくと、誰の責任でもない。民主主義という制度の下、行われただけなのだ。

では何故国民はナチスを選んだのか?

当時ドイツは経済的に困窮し、ドイツのナショナリズムを刺激するナチスへの大衆的な支持があり、その流れでどんどん支持者が増え、選ばれたと言えるだろう。

つまり、傍観者が大衆に迎合した結果と言える。

身近なところで言うと、日本人は特にその傾向が強い気がする。平均であることを望み、周りがやるから自分もやるとか。政治に関しては全く関心を示さず、それこそ傍観者になり、他の人がやってくれるっしょ状態。

日本だけの問題ではない。今、世界でも同じことが起こってはいないか?

ここまで中谷さんは深くは語らなかったが、一つの彼の問いかけでここまで考えさせられた。

もう一つ中谷さんは面白いことをおっしゃっていた。彼はアウシュビッツまで足を運んだ人限定でツアーを案内をしていて、それはここまで来る元気のある人が、時に少数派として声をあげるキッカケになれば良いんじゃないかと。


期待は虚構をつくっただけ

長年ずっと行きたかったアウシュビッツには僕は期待し過ぎていたのかも知れない。「そこに行けば今まで知り得なかった事の凄惨さのリアル知ることが出来て、色々感じて、色々考えて、何かに繋がるんじゃないか?」と漠然とした期待があった。

しかし、全くそんなことはなかった。

もっと遥かにシンプルなことだった。

長くなったので続きはまた

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